17.

     そんな魔導人形の疑問とは裏腹に、避けた玉子サンド以外は躊躇なく手をつけながら、閃光は結構な量があったメニューをぺろりと平らげた。
    「うん、美味かった……すげえな、ありがとう。あ……そう言えば話は変わるが……お前、名前は?」
     ふと思い出して閃光がそう問うと、魔導人形は一瞬だけ思考するようにきょとんとして、意味が解らないと言いた気な表情を浮かべてみせた。
    「造られてこの方、私に名前などありません。強いて言うなら、この左耳裏にもある型番『Rok-1』と呼ばれることはありましたが、大体はおいとか人形とか……貴方だって家電やリモコンスイッチにいちいち名前をつけたりはしないでしょう? それと同じです」
     言われていることは至極真っ当で、恐らくそれが普通の反応ーー〈魔導人形〉はあくまでも便利な道具の一つだと思っている者は、きっと今まで彼が相対して来た者たちは、そうだったのだろう。
     だから、たかが『己と違わぬ姿をしていると言うだけ』で『言葉を交わしてやり取りが出来ると言うだけ』で、それに苛立ちやもどかしさを覚える自分の方が少数なのだと理屈の上では閃光だって理解している。
     が、それはそう扱われることが前提になってしまっている魔導人形への苛立ちと、自分もそんな輩と同じに思われている反発心を喚起させ、いつも寄せ気味の眉間にくっきりと縦皺を刻んでいた。
    「でもお前は、それが嫌だからここに来たんだろう? 道具扱いされたくねえから、俺と来たんだろう?」
    「…………それ、は」
    「少なくとも、俺はお前を道具として使うために、連れて来たんじゃねえ」
     真っ直ぐな視線が、こちらを貫くように投げかけられているのを感じる。一瞬の交錯の際に垣間見た、今は曝け出された鮮やかな真紅の双眸ーーそれが生粋のものだと言うならば彼も、おおよそまともにヒトとして扱われては来なかっただろうに、
    「…………なら、」
    ーーだから、彼は……
    「貴方がつけてください、私の名前」
    「は……?」
    「貴方がくれた名前がいいです」
     にっこり笑ってそう告げると、まさかそんな申し出をされるとは思っていなかったのか、閃光は狼狽した表情を浮かべた。
     ああ、このあまり慌てたりしなさそうなふてぶてしい少年でも、歳相応な顔をすることがあるのだと、嫌だ面倒くせえと拒否したりはしないのだな、と興味深く眺めていると、やや思案するような間があってやがてぼそりと、小さく願ったものが吐き出される。
    「じゃあ……ロキ」
     魔導人形が初めて見る、その自信なさ気な様子。
     名前はーーその魂を縛る鎖だ。そうあれと祈りを込めて紡がれる、それがそのもの一個である証。名前を与えることは、生命を与えることに等しい。
     故に、ヒトはモノに名前を与えない。
     自分に魂などと言うものがあるかどうかは定かでなかったが、
    「お前の名前は、今日からロキだ」
    「……ロキ……」
     それでも舌に乗せてしっくり来たものか、そうはっきりと紡がれた『自分の名前』は、何故かキラキラした途轍もなく価値のあるもののような気がして、改めて認識するように魔導人形はゆっくりと一つ瞬きをした。
    「それ、型番をローマ字読みしたものですね」
    「……っ、そうだよ悪いか!? そんな急に言われたって思いつかねえよ! 安直で嫌だってんなら、もうちょい……」
    「いえ、」
     憤慨したように眦を吊り上げる閃光が何だか酷く大事に思えて、込み上げて来る初めての感情をどうにかこぼすまいと思いながら、魔導人形ーーロキは小さく笑みを浮かべた。
    「覚えやすくて気に入りました。ありがとうございます」
    「何で上から目線なんだよ」
     俺にネーミングセンスを期待するな、と舌打ちをしながら新聞を広げる若い主人に、温めていたカップへ煎れたてのコーヒーを注ぎながら、ロキは気づかれないようにそっと左の耳朶へ指先を這わせた。
    ーー貴方は……これまでの私ごと、拾ってくださるつもりなのか……
     それに一体どれほどの覚悟が必要か。
    「どうぞ」
    「え? あぁ、ありがとう」
    ーー私は……『僕』は、僕が滅ぶまで……誠心誠意貴方に仕えます……
     そう密かに決意を固めたロキは、本当に読んでいるのかと疑うような速度でページを捲る閃光の傍らに立ち、きっぱりと告げた。
    「あと、ついでにきちんと盟約を結んでください。じゃないと僕は、ずっとジェフリーの持ち物のままだ」
    「自力じゃ解けないものなのか?」
    「可能なら僕はとっくの昔に自由になってます」
    「そりゃそうか」
     苦笑して、カップをぐい、と空にすると閃光は改めてロキを見やった。
    「何がいる?」
    「貴方の血が」
     個体情報を読み込めるならば、別に髪の毛だろうと爪の先だろうと何でも構いはしないのだが、敢えてそう言った。義兄弟、親子、無二の友ーーそうした契りを交わす時は、互いの血を混ぜた盃を酌み交わすのだ、と以前戯れに話してくれた傭兵の言葉が記憶に残っていたせいだろう。
    ーーもっとも、僕には貴方に捧げられる血なんてありはしないけど……
     瞬間、どこに潜ませていたのか何の予備動作もなく閃光が銃を抜いた。
    「…………っ、」
     咄嗟にどう対応すべきなのか、最早戦士としての癖で障壁の〈魔法術〉を展開しかけたロキの目の前で、閃光はテーブルに右手をつくとそのまま何の躊躇もせずに銃口を押し当て、引き金を引いた。
     渇いた火薬の音と共に、ぶしゃっと鮮血が弾けてクロスを真っ赤に汚す。
    「ん」
    「………………」
     差し出された穴の開いた手を見やって、ロキはぐらりと視界が歪むような錯覚を覚えた。ヒトであれば卒倒していたであろうか。
    「『ん』じゃないでしょ! いきなり何してるんですか、貴方は!?」
    「血が要るんだろ? このくれえなら一時間あれば塞がる。あぁ、心配しなくてもこの部屋防音だから、余所には聞こえてな……」
    「馬鹿ですか!? こんなに多量にいる訳ないでしょう!! 救急箱とかどこにあるんですか!?」
    「あー……多分あっちの部屋」
     使うのか使わないのか解らないものがごちゃごちゃと詰め込まれた部屋を指差され、ロキは飛んで行った。中を引っ掻き回し、どうにか目当てのものを見つけ出して戻ると、閃光は驚いているのか呆れているのか、何とも言えない表情で座ったままだ。
    ーー止血! 塞がるって、一体どう言う……
     ぎゅっ、とキツめに腕を縛ると、なおも手を差し出される。この分だとその手を丸ごと、などと冗談でも口にしようものなら、本当にそのまま差し出して来かねない。
     閃光の己への執着のなさは異常だ。
    「ほら、早くしねえと契約出来なくなるぞ」
    「何で……何でこんな真似するんですか!? 治るって……もし、治るとしてもこんな、」
    「うん、まぁ……ちゃんと痛えしな」
     顔色一つ変えずにそんなことを宣う少年が、ロキには計りかねた。こんな犠牲を払う理由など、彼には一つもないだろうに。
    「…………お願いですから、僕のために無茶はしないと約束してください」
    「するだろ、無茶くれぇ」
     事もなげに、
     そうすることが当たり前のように、
    「互いに命預ける相棒だ」
     ヒトではないのに。
     けれど、そんな枠組みなどどうでもいいと言うかのように。
    「お前だけじゃ不公平だ」
    「…………」
     今、きっと自分はひどく情けない顔をしている。それを押し隠すかのように、ロキはぼたぼたと血を流す閃光の手を取った。
    「〈魔法術〉式展開――ロジック・オープン。ダウンロードにより可視化します」
     ヴ……ンッ、と虫の羽音のような音と共に、蒼く光る〈魔法術〉式が、空間に吐き出され明確な形を描かれる。それはどこか異国の言葉のようにも図形のようにも見える何とも不可思議なもので、何度か目にしたことのある閃光も毎度小さく息を呑む幻惑的な美しさだった。
    ーーやっぱり……閃光の血には〈魔法術〉式が宿っている……マナが人間の体内に取り込まれるなんて、そんなことがあるんだろうか?
     傷口に指を這わせ、その血液の個体情報を取り込む過程で、ロキはチリッ、と己の核がざわめく気配を感じていた。反発、と言うには微弱な程度ではあるが、それでも見知らぬものが食い込んで来る感触に絶えず巡る術式が齟齬を覚えたのだろう。
     初めての引っかかりによもや盟約が弾かれるかと懸念したものの、そこからはいつも通りスムーズに術式は執行された。その最高権限者がジェフリー・ロバーツから閃光へと上書きされて行く。
    「『ただ今をもって、その所有権および決定権、命令最上位権限をジェフリー・ロバーツから天狼閃光へ移行します。これよりRok―1型、個体識別番号:〇三〇は彼の命令に従い、いかなる場合もその決定の遂行のため全力で行動するこの盟約を遵守します』」
     締結完了。
     エンドロールのように流れていた式が途切れたことで、それを理解したのだろう。それとも無意識の内にほ、と吐き出した溜息が聞こえたのか。
    「よし、じゃあ今の盟約術式を破棄しろ」
    「…………は?」
     ロキが一体何を言われたのか、と閃光の言葉を明確に理解するより早く、
    『最上位権限者音声認識、盟約術式は破棄されました』
     核内のプログラムが即座に反応、せっかく結んだ主従契約がコンマ数秒で破棄されてしまった。これではロキは主人なしの〈魔導人形〉になってしまう。
    「な…………ん、で……」
    「柄じゃねえし、そう言うんじゃない」
     一体何を指しての言葉かはっきり解ったのは随分経ってからのことだったが、結局今日に至るまでそれは締結されずじまいだ。
    「別に『野良』だと動けねえって訳でもねえだろう?」
    「それは、そう……ですけど」
    「お前の主人はお前自身、お前の意思で魂で自由に全部決めろ」
     そんなことを言われたのは初めてだった。
     〈魔導人形〉は〈機械化歩兵〉はヒトに近しくともヒトではない。例えヒトを補って余りある能力を持っていようとも、ヒトに隷属し使われる道具のはずだった。
    ーーそれを貴方は……
     ヒトとして生きるためにはどうすべきなのかーーそれは、閃光も模索中ながら出した一つの答えだったのだろうとロキは思う。


    * * *


    →続く

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