今日も和都の空は鈍色だ。
     いや、他はどうだか解らないが、少なくとも高く分厚い鉄壁と硝子の天蓋に覆われたこの特区は『真空管都市』の名の通り、外界とは隔絶されている。地下深くで蠢く巨大な歯車と動力炉は、街の全てのエネルギーを賄うべくこの瞬間も轟々と音を立てて動き続けているが、それが絶えず噴き上げる蒸気と灰は上手く浄化されることもなく街の底へ澱のように溜まり、辺りを霧のように白く染めていた。
     そのせい、と言う訳ではないのだろうが、トラオは寝起きに必ず酷い頭痛に苛まれる。
     この街に住んでもう数年になるが、未だに慣れると言うことがない。それほど繊細な神経を持ち合わせているつもりもないのだが。
     睡魔を追い払うためにもシャワーを浴びて身支度を整えると、簡単な朝食を採りいつものように工房へ出向く。間借りしている自宅から歩いて五分の距離にあるこの工房は、機械技巧士であるトラオの小さな城だ。様々な道具や部品が所狭しと転がる室内は、たかだか半日閉めっ放しにしているだけでもひどく埃っぽい。精密機械にとって湿気と埃は大敵なのだが、窓を開けても大差ないのもいつものことである。
     今日は、近隣の酒処から修理依頼の来ていた時計を仕上げなければならなかった。
     何でも先代の頃から頑張っている古株とのことで、店の目玉でもある骨董品である。中の歯車の一つが劣化して動かなくなってしまったとのことだったが、いかんせん構造やら何やらが古過ぎて他の技巧士にはお手上げされてしまったとのことだった。
    「最近の若っけェのは、すぐ『うちではこの型番は扱ってません』ってのが常套句でいけねえや。出来ないなりに何とかしてやろうって気概が感じられねえよな」
     とは店主の言葉だが、俺だってそこまで年寄りじゃねえわとトラオは思ったものである。
     骨董時計の造りは繊細だ。
     一つ取り扱いを間違えれば二度と動かなくなる可能性もある。直せる自信がない者は客とのトラブルを嫌って手をつけるのを躊躇しても仕方のない代物だ。外蓋の螺子を丁寧に外し、壊れた歯車を取り替えるだけと言う単純作業ではあるのだが、それだけにごまかしは効かない。トラオは手袋を嵌めて慎重な手つきで工程を進めて行く。油を差して浮き出た錆を一つ一つ磨き上げ、調整を加えながら内部全体のバランスを見て行くことも忘れてはならない。組み上げる順番さえ間違えなければ難しくはないのだ。
     そうして黙々と仕事をすること数時間、ようやく満足の吐息をこぼしてトラオが外蓋の螺子を締め終わった時には、当の昔に正午を回っていた。酒処の開店時刻にはまだ随分と間があったが、店主は既に仕込みをするために店にいるだろう。今日の暖簾上げに間に合わせるなら、早めに届けてやるのが親切と言うものだ。
    ――持って行くか……
     幸い抱えて行くのが苦になるほどの重さ大きさではない。傷をつけないように梱包すると、トラオは時計を持って酒処へ向かった。

    * * *

     昼間のこの時間、特区は割りと静かなものだ。平日だからと言うこともあるのだろうが、人間よりも機人の方が多いせいだろうか? ざわざわした会話よりも歯車や動力部が奏でる小さな駆動音の方が耳につく。
     石畳を長革靴の底で蹴る度に砂埃が舞い上がる気がして、トラオは思わず顔をしかめた。多少の埃でどうにかなるほど柔で雑な仕事はしていないが、せっかくきれいに磨き上げたものを汚されるようで癪だ。思わず舌打ちをこぼしそうになった時、背後から不意に声をかけられた。
    「おい、トラオ! トラオ、ちょっと待て!」
     そのまま無視して通り過ぎても良かったのだが、通りで大声で名を連呼されるのはごめんだ。仕方なく振り返れば、こちらに巡察隊の制服を纏った男が歩み寄って来るのが見えた。腕に走る赤線が二本なのは、頼りない風貌でも一応隊長であることの証である。
     彼――タツジは以前から縁のある男だ。が、トラオにとっては出来るなら関わりたくない部類の人間だった。元より愛想など欠片もない仏頂面の渋面がますます酷くなる。
    「何だよ……見て解るだろ? 俺は今仕事中だ。用があるなら後にしてくれ」
    「いや、お前俺が訪ねて行ってもシカトするよね? 居留守使うよね? 毎度毎度気づかないとでも思ってんのか」
    「タツジさん、この男は?」
     問うたのはタツジの後ろに控えていた機人である。同じ制服を身に着けていると言うことは、恐らく彼の部下なのだろう。武骨な印象のいかにも旧式ロボット然とした見た目に反して、かなり高度な知能の持ち主であるらしい。
     体躯が鋼鉄で出来た機械生命体――機人がヤマト帝国中から集められているのがこの特区だ。
     彼らはそれこそ単純作業や危険な肉体労働をこなすための低級から給仕や案内係、このタツジの部下のように対人業務をこなす上級まで様々に格付けされてこの街で暮らしている。
    「伊ノ二〇一号、彼はトラオ。機械技巧士だ。昔から何かと世話をしていてな」
     逆だろ、と訂正を入れたかったが面倒だった。せいぜい部下の前でくらいはいい顔をさせてやるさと放置する。
    「もういいだろ、行くからな」
    「まあ、待て待て待てよ。お前、顔が広いからちょっと知ってたら教えて欲しい」
     そう言ってタツジが胸ポケットから取り出したのは、頭部のない惨殺死体の写真だった。
    「………………」
     巡察隊はこの街の治安を守るのが任務だ。警察機関兼軍事力として駐屯している彼らが、事件があったなら捜査をするのは構わない。住民に目撃情報などの協力を募るのもまあいいだろう。しかし、毎回毎回こうしてグロい写真を見せられる者の気持ちを、もう少し慮ってくれてもいいのではあるまいか。と言うより、重要そうな現場写真を一般人に提供するのは情報漏洩にならないのだろうか。
    「それはこの被害者についてか? それとも事件そのもの或いは犯人についての心当たりか?」
    「全部だ」
    「威張るなこの無能が」
     ぺっと唾を吐かんばかりの勢いで罵倒すると、タツジではなく背後の伊ノ二〇一号がムッとした空気を醸し出した。表情を変えられるタイプではないようだから解りにくいが、明らかに上司を馬鹿にされたと感じたらしい。
    「ぶ、無礼者! 貴様、巡察隊長殿であるタツジさんに向かって、何という口のきき方を……!」
    「いいって、こいつはいつもこうなの。気にしなくていいから。あ、ほらトラオ! どうだよ、知ってるか?」
     再度問われて、不承不承視線を落とす。
     死体はどうやら人間――若い女のようだった。この界隈では珍しくもない職業、所謂風俗嬢だろう。「ようだ」とか「だろう」としか言えないのはあくまでも服装から判断するしかないからで、肝心の身元が解りそうな特徴が他に見つからない。刺青の一つでもあれば知人を当たることも出来るだろうが、機械の部品は些末な違いでもぴたりと型番を言い当てられるトラオも、人間の部品はどれも大差なく見えるものだから特定のしようがなかった。
    「他に遺留品とかねえのかよ? これじゃ解るか」
    「それが通り魔的に襲われたらしいんだが、何も持ってなくてな……連続してそんな事件が三件起きてる。本部長殿は何とかしろと薬缶のように激怒されておってな」
     続けて取り出されたのは右腕が欠損した若い男、右脚が断たれた中年女性。こちらの二人に関しては別に胸を一突きされた痕があり、それが致命傷となっているようだった。凶器はいずれも鋭利な刃物。
    「この男はテツの現場で見かけたことがある。向こうで訊いてくれ。こっちのババアはカンキチの店に配達に来たな。そのくらいしか知らねえ」
    「解った。助かる、ありがとな。何せ身元調べるだけでもこのザマだ。犯人なんていつ挙げられることやら……」
    「せいぜい駆けずり回るこった。じゃあな」
     さっさと踵を返そうとするトラオに、三度タツジの声がかかる。
    「被害者はみんな人間だからな。お前も充分注意しろよ!」
    「誰に向かって言ってやがる。俺の心配する前にテメーの首を心配しろ」
     なおも続く言葉は聞こえぬふりをして、片手を上げるとトラオはその場を後にした。

    * * *

     酒処十五夜は特区の中ほどに位置する小さな店だ。機人向けの酒類も多く取り揃えているとあって、食事時や週末などは誰彼構わずごった返す繁盛っぷりである。
     トラオが訪れた開店前の十五夜は、仕込みを行う店主と掃除をしている機人のたった二人しかおらず、そこまで広くない店内もがらんと殺風景に見えるほどだったが、やはりこの時間帯に足を運んだのは正解だったようで、店主のニヘイはひどくトラオを歓迎してくれた。
    「思ったより随分早く仕上げてくれたんだな、助かったぜ……やっぱりこの店にはこの時計がないと何かこう、締まらねえ」
    「そう言うだろうと思ってな。ちょうど他の予定もなかったし」
    「そうかい、せっかくだから飯食って行きな、トラオ。どうせおまえのこったから昼はまだなんだろう?」
    「あー、そう言えば……じゃあ、お言葉に甘えるとするかな」
     椅子を引いて開いている席に腰を下ろす。その間にも淡々とした調子で床を磨いている機人に視線をやってから、
    「あいつ、最近入ったのか?」
    「あ? ああ、ビーってんだよ。低級だからこっちから言わなきゃ気を利かせて動くなんてことが出来なくてな……おい、ビー! そっちもういいから水出せ、水」
    「あい、旦那」
     ぶしゃああ、と唐突に掌から水を噴き上げる機人にニヘイの怒声が飛ぶ。
    「違っげえよ! 客に飲む用の水! 湯呑に入れて出してくれ!」
    「あい、旦那」
     掃除道具を放り出してから湯呑を取りに向かうビーに思わず笑いがこぼれた。
    「こりゃあ大変そうだ」
    「仕方あるめえよ、病気の主人の代わりに働かなきゃならねえってんだから……こんな不器用な奴、他じゃ雇わねえ」
    「まあ……こんな街でも居場所を作るってのは大変なことだからな」
     覚束ない手つきでビーがよたよたと運んで来てくれた水を礼と共に受け取って、トラオは一口啜った。それを見ることもなく、機人はもう先程の場所に戻って掃除を再開している。小さな背中を双眸を細めて眺めていると、唐突に店の扉が乱暴な調子で開かれた。足音も荒く入って来たのは、見るからに粗暴そうな雰囲気の三人組だった。中央の髭面が頭、一歩控えた二人は部下と言ったところか。
    「おい親仁、酒だ! 酒持って来い! この店で一番高価な奴だぞ!!」
    「お客さん、お店まだ」
     もたもたと男たちの侵入を阻もうとしたビーだったが、髭面に突き飛ばされた。その身体は派手な音を立てて掃除用の桶にぶつかり、反動で辺りに水をぶちまけながら床に無様に転がる。
    「うるせえよ、機人の分際で俺たちに指図する気か!? 油臭え汚ねえ手で触るな!! そっちのガキは飲んでんじゃねえか!!」
    「あれ、水」
    「客に文句つけようなんざ、随分デケえ態度じゃねえか。まさかテメー、<三原則>を知らねえ訳じゃあるめえな?」
     懐から取り出される銃。
     それを突きつけられてもビーは顔色一つ変えることも出来ずに床に這い蹲って、されるがままに踏みつけられている。<三原則>はこの国に住まう全ての機人に架せられた首輪だ。
     曰く、『一、機人は人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。二、機人は人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。三、機人は、前掲第一条および第二条に反する惧れのない限り、自己を守らなければならない。』
     これに逆らうことは如何なる場合も許されない。どんな例外も認められない。
     物理的な力で勝る機人に対抗するため、彼らとの共存を決めた人間の作り上げた絶対の掟――それはハナから対等な関係など築くつもりなどない人間の傲慢さが全面に感じられる規律だ。それを振り翳されれば機人たちに成す術はない。例えどんなに怖くともそれを表現する方法すらない、ビーのような低級でも。
    「やめんか、お前ら! 酒なら出すからそいつに手を出すんじゃない!」
    「親仁よぉ……酒は貰うがそれとこれとは話が別だ。愚図な機人を躾けてやるのは人間サマの役目だからな」
     威勢のいいニヘイもさすがに刃物ではなく銃が相手ともなると、おいそれと身体を張る訳にも行かないのだろう。口惜しそうに言葉を飲み込み、顔を歪める。
     それを横目で見遣ってから、トラオはやれやれと溜息をついた。湯呑を男に向かって掲げ、
    「いるなら譲るけど? そんなに喉渇いてんのか」
    「いらねえよ、機人が出した水なんざ飲めるかってんだ! 何だ、ガキ。テメーまで喧嘩売るつもりか?」
    「いやいや、そんなつもりはねえよ。ただアンタら知ってるかどうか解らねえが、他人の機人に危害を加えるとお縄を頂戴する破目になるのはアンタらの方だぜ? っつっても……」
     言葉を切り、立ち上がる。
    「そんな銃で何か出来るならの話だけど」
     瞬間――ばらばらと音を立てて、男たちの掌中で銃が崩れた。余すところなく螺子一本の最少部品にまで刹那で解体された凶器が、一体どうしてそんなことになったのかなど考えるまでもない。自分たちで元の状態に組み上げられないそれが暴力の手段として有効かどうかは判断してくれたようで、茹蛸のように真っ赤になった男たちはそのまま腹いせのようにビーを蹴飛ばすと、覚えてろよと何の個性もない捨て台詞を吐いて入って来た時と同様に騒がしく店を出て行った。
    「……大丈夫か? 一足遅かったな、すまん」
    「お客さん、ありがと」
    「悪いな、トラオ。手間かけた」
    「別にこのくれえ何ともねえよ。まだ食い下がって向かって来られたら面倒だったけど」
     くるくると掌中で仕事道具の螺子回しを弄ぶと、トラオは席に戻って食事が出来上がるのを待った。
     この時代、この街においても機人に対する差別は根深い。自分たちとは根底から異なる存在を受け入れると言うのは、お互いに難しいことだ。それでも本能的に忌避する度合いは人間の方が激しく強い気がするのは、どちらの立場も知る身としては悲しいものがある。
     トラオは知れぬように溜息をつき、床掃除に戻るビーの表情の変わらぬ横顔を見遣った。

    * * *

     そんなある日のこと、トラオは街外れの家に寄ばれて蒸気自動車の修理を行った。随分と年季の入った代物で、大きな工場に運び込んでもこれは手こずるだろうと思えるくらい、あちこちにガタが来ていた。配管を取り替え、部品を改め、劣化した部分をバラして組み直す。
    「あたしが初任給で買った相棒でねぇ……今じゃどっちも老いぼれだけど、大事な奴なんだよ」
    「解るさ。大事に乗ってなきゃ、こいつはとてもじゃないが現役で走れやしない」
     詰まった煤を取り除き、機械油でべっとりとこびりついた汚れを磨いて行く。こうした掃除は素人では出来ないから、点検の度に業者が行う決まりになっているのだが、前担当は随分いい加減な仕事をしたらしい。
    「例え機人じゃなくたって機械にも声はある。俺たち人間が耳を塞いでいるだけさ」
    「はは……そうかもしれないね」
     主動力炉の劣化が一番酷い有り様で、本当なら丸ごと交換のところをあと何年か保てばいい、と言う家主の言葉でどうにか修繕を終えた頃には、既に辺りはとっぷりと日が暮れていた。元々硝子天蓋に覆われた特区内は常に全体が薄く仄暗い霧とも靄ともつかないものが立ち込めているが、時計を見遣ればとうに飯時を過ぎている。
     最後にがしゃんとレバーを切り替えて、エンジンが息を吹き返しぶるりと身動ぎしたのを確認したトラオは、ようやく安堵の溜息を吐き出した。
    「お待たせ、もう大丈夫だ」
    「ああ、トラちゃんありがとう。本当に助かったよ。こんな時間まで悪かったねえ……最近じゃこの辺も物騒だし、何なら泊まって行くかい?」
    「いや、まだ表通りは人気があるから平気だ」
    「そうかい? でもこれ持ってお行き。お代の足しにもならんだろうが、ババアの飯は美味いよ」
     そう言って家主は代金の入った封筒とは別に包みを一つ差し出した。どうやら晩ご飯を詰めてくれたらしく、食欲をそそるいい匂いが鼻腔をくすぐり、つられたように腹の虫が空腹を告げる。
    「ありがとう。じゃあ、俺はこれで。また何かあったら呼んでくれ」
    「はい、ご苦労さま。それにしても、トラちゃんくらいの腕があれば、こんなとこで燻ってないで『外』でも充分食べてけるだろうに」
     仕事道具を片づけていた手を一瞬止めて、トラオは小さく笑った。
    「…………俺くらいの腕の奴ぁ『外』行きゃごろごろいるさ。それに……俺は掃き溜め吹き溜まり終着点のこの街の方が、性に合ってる」

    →続く
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