「な……んじゃ、こりゃああっ!?」
    「殺せ!! その雌猫共もこのくそ女も野良犬も、一匹たりとて残らず八つ裂きにしろ!! 貴様らこの佐々成之(ささ なりゆき)の手足だろうが!!」
     恐怖に顔を引き攣らせてへたれ込む部下たちに、佐々は苛立ち混じりの叱咤の声を上げる。その額からは太い一本の角が生え、肩口辺りには銃身らしき黒い突起が生まれ、黄泉の入口のような暗い穴をこちらに向けていた。
    ――この馬鹿力……っ!
     辛うじて受け止めはしたものの、打ち合っている最中は少しでも油断すれば、そのまま押し切られてしまいそうな力だ。ぎりぎりのところで捌き、振り払う。
    「ナナキ! これか!? こいつがナレノハテかよ!?」
    「うむ……これほど進行が進んでおる個体も、最近では珍しいの」
     ナナキもじっと佐々を見据えたまま、じりと路面に軍靴の底を滑らせた。事態を把握していないのは、哀れな第五大隊の男たちだけだ。
    「だだだ大隊長! い、一体それは……」
    「雑魚への攻撃を躊躇するような軟弱者は、俺の部下に相応しくない」
     ひゅんっ、と何かが空気を切り裂く音。
     カゲトラは羽交い締めにされた女性ごと、元同僚を力一杯突き飛ばした。揉んどり打って地面に転がる彼らが今まで立っていた場所を、鋼の機巧が鋭く薙ぐ。
     がぎぎ、と耳障りな音を立ててその切っ先が建物の壁を引っ掻かねば、もう一人も真っ二つにされていたはずだ。狭い路地であったことが幸いした。
     寸前で刃が停止した男は、腰を抜かして自らが作り出した汚水の上に倒れ込む。
     予測していた訳ではない。
     ただ『もし佐々が鬼化したらどうするか』――例え取り巻きであろうと、自分以外の他人を路傍の石か何かくらいにしか捉えていない男が暴走すればどうなるか、それをカゲトラが知っていただけだ。
     背後に迫る殺意の塊に、飛び退って刃を弾く。すぐ間近の壁を穿たれ抉られた女が、半狂乱で悲鳴を上げた。
    「何ぼさっとしてんだ! 死にたくなかったらさっさと失せろ!! ナナキ、そいつら邪魔だ!」
    「…………三分、持ち堪えろ!!」
     一瞬逡巡するような気配があったものの、言うなりナナキは女性二人の腕を掴んで引き起こすと、通りに向けて駆け出した。一般人に知られることは少ない方がいいだろうし、何よりナナキが全力を出すには周囲に他人が出来る限りいない方がいい。
     佐々は刹那そちらをちらりと見やったが、すぐに興味を失ったのか、後からでも追いつけると踏んだのか、再びカゲトラへ向き直った。面白がるように双眸を細める。
    「そいつらを庇うのか? あれだけ踏んだり蹴ったりされといて物好きな男だな」
    「好きで助ける訳じゃねえ。ただ、俺がくそむかつくからって言うのが、こいつらが死んでいい理由にならねえだけだ」
    「そう言うのを酔狂だと言うんだ。本当に……目障りだ。私のこの姿を見て、少しも恐怖しないのも気に障る」
     ゆっくりと佐々の背後で鉄索(ケーブル)が揺らめく。
    ――ビビってねえ訳ねえだろ……今すぐ帰りたいわ……
     大軍や小型蒸気戦車など、今まで物理的に勝てやしないものと対峙したことは一度や二度ではない。それでもその際カゲトラは一人ではなかったし、相手は人間なのだからどうにか対処の仕様はあったのだ。
     けれどナナキとの初対面の時にも感じた、この根元から生物として次元が違うものに対する畏怖は、今の佐々にも覚えている。もしそう見えないのだとするならば、生来のふてぶてしい面構えのせいだ。
    ――暴走を止めるっつったって……難易度高過ぎだぜ、こりゃあ!
     そう思いつつも、得物を構えた眼差しは挑戦的な光を宿し、口許は不敵な笑みを湛える。恐れ、危険だと言うことは承知しているが、同時に闘争本能はこの強大な敵へ立ち向かうことに悦びを感じているのも確かだった。
    「そりゃ、今のテメーなら容赦なくぶっ飛ばしても怒られねえからな!!」
     言うなり、カゲトラは地を蹴って佐々へ躍りかかった。一息で間合いを詰め、渾身の力を込めて刃を振り抜く。
    「吼えろ、シュラモドキ!!」
     機巧が変形し、蒸気を噴き上げながら刀身が灼熱の高温を帯びた。振り下ろされた鉄索を焼き斬るようにして叩き飛ばす。力で勝てないナレノハテ相手に組み合って体力を消耗していては、いずれこちらが押し切られて負けてしまうのは目に見えている。
    ――だが、これならいける……ちゃんと通じてるぜ!


    →続く

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