「……そうかよ。じゃあ、任せた」
     カゲトラは意固地にならずに獲物を譲った。悔しいが現時点で己の力量は、あれほど進化したナレノハテと対等に向こうを張れるほどの腕ではない。『なりたて』だった佐々とは吸った血の量が違うせいか、纏う瘴気にも似た気配は禍々しい揺らぎを放っているように感じた。
     万が一ここで取り逃がしたりなどすれば、また新たな犠牲者が出る。その危険を押してまで己の我と矜持を保とうとするほど、愚かにはなれなかった。
     軽やかな音と共に着地した女を見据えながら、機巧を二振りの小太刀へと変幻させたナナキは、狙いを定めるように双眸を細めてみせる。
    「わしもつくづくお人好しじゃの……主がおらなんだら、危うく逃がしてしまうところであった。礼を言うぞ、カゲトラ」
    「俺ぁ礼の言葉より現物支給の方がいい。梁山泊一本で手を打ってやる」
    「馬鹿言え、あんな高い酒! ……せめて、銚子で許せ」
    「了解」
     背中合わせで呼吸を計ったのはほんの刹那。
     お互い振り向くこともなく、ほぼ同時に地を蹴って目の前の敵に躍りかかる。
     市街地で大多数相手でもないのに、強大な火力を駆使する意味はない、と判断するくらいの思考回路は残っているのか、女はナナキに倣うようにしてやや反りの強い肉厚な刀を形成した。ずっと俯いたままだった顔が初めて上げられる。
     それを見て、思わずナナキは裏返ったような悲鳴を上げて後退った。
     露になったその容貌は、元の面影など窺えもしないほどに干からび朽ち果て、半ば以上崩れていたからだ。無理矢理それを継ぎ接ぎしてヒトの形を保っているような姿を、さらに無惨にしているのが埋め込まれた機巧と蒸気駆動――口に当たるのであろう位置から、桃色の着物の胸元まではべったりと血に汚れている。
    「かかかかかカゲトラ!! 交代じゃ! 無理じゃ、えぐいのは無理なんじゃ!!」
    「テメ……っ、今頃言うな!!」
     突き出された槍の先を辛うじて弾いてから、カゲトラは叫んだ。自在に間合いを伸縮して来る男の槍術は、物静かなその見た目に反して鋭く重い。油断していたら瞬く間に串刺しにされるだろう。捌いたと思って懐に飛び込もうとすると、死角から錘の仕込まれた台尻が骨の一つも砕いてやろうと牙を剥く。
    「別にどちらが先でも構わないよ。彼女は――ヒナギクは、十三人の人間を食わなきゃならない。君たち二人で丁度なんだ。早いか遅いかなんて、大した意味はないさ」
    「何だそりゃあ……どこの怪奇小説だよ! あの女がテメーの何なのかなんざ知りゃしねえが、例え何であっても死体をあんな風に扱う権利はテメーにゃねえだろ!!」
     繰り出される攻撃を受け止め弾き、流してそのままこちらの刃を叩き込む。それと同時に銃身へ変貌したシュラモドキは零距離で吼えた。
     鋼の弾丸が牙を突き立て、男は血飛沫を上げてその場に昏倒するはずだった。が、実際には瞬きもせぬ内に盾と化していた得物に、小さな凶器は阻まれている。
    ――こいつも魔神兵装(ましんへいそう)を持ってやがるだと……!?
     しかも何度となく駆使して来たせいであろう、蒸気駆動を制御し機巧を組み換えるその早さは、カゲトラより断然上だ。
    「ヒナギクは死んでなどいない!!」
     思わず驚愕して呼吸を詰めた瞬間を狙われた。そのまま盾で直に殴られ、あまりの衝撃にたたらを踏む。くらりと歪んだ視界を立て直す暇もなく、今度は槍の台尻が鳩尾へ叩き込まれた。
    「が……ぁ、っ」
    「ヒナギクは死んでなどいない!! 死なせない! 僕がきっと治してみせると、どんなことをしてでも治してみせると約束したんだ!!」
     狂気に満ちた口調で何度も台尻が振り下ろされる。幸いにも切っ先でないのは、無駄な血を流させないために違いない。けれど半ば我を失ったように口角から泡を飛ばして絶叫する男は、まるで呪詛のように彼女は死なないとくり返し吐き続けている。
     そう己に言い聞かせていなければ、辛うじて形を保っている世界が壊れてしまうかのように。
     がしっとついにその長柄を掴み、カゲトラは力任せにそれを引いた。まさかそんな行動に出られるとは、思っても見なかったのだろう。均衡を崩して倒れ込んで来る男の鼻面へ、思い切り頭突きをくれてやる。
    「テメーが今やってんのは医者の仕事じゃねえ、呪術者の仕事だ!!」
    「ぐああっ!?」
     喞筒(ポンプ)を引いて空薬莢を射出し、次弾を再装填。躊躇なく絞った引き金に、蒸気と共に放たれた弾丸は違うことなく男の右肩を貫いた。肩甲骨が砕けただろうから、これでしばらく利き手は自由に使えまい。
     カゲトラは胸倉を掴んで男を地面に叩きつけると、馬乗りで押さえつけ、その両手を背後で拘束した。
    「テメーにゃ洗いざらい話して貰うからな」


    →続く

    COMMENT FORM

    以下のフォームからコメントを投稿してください