「…………っ!」
     弾かれるように露わになった白い肌と無防備な乳房に、ナナキの双眸へ怒りが滲む。
     それを面白がるように受け止めながら、男はそのまま手にした短刀の切っ先でつ、とナナキの肌を撫でた。あと少し力を込めれば刃が突き立つかもしれないと言うぎりぎりの強さで、そのくせ愛撫するような優し気な仕草で、首筋を辿り肩を腕を撫で、胸の膨らみをその先端をなぞる。
    「君の肌は白いなあ……なかなか人間じゃあこんなきめの細かい瑞々しさを保っておくのは難しい。ヒナギクも色は白かったんだけど、やっぱりそれは病気故の白さでね。陰りがあると言うか、触れると粉々に砕けそうな脆さがあった。君の身体は本当に綺麗だよ」
    「触るな……下衆が!!」
     跳ね上げた爪先をその鳩尾に叩き込んでやろうと試みるものの、既に身体は自分の思うように動いてはくれない。渾身の蹴りをお見舞いするどころか、上手い具合に間に差し入れられた男の脚で膝を割られる始末だ。
    ――この銀糸さえなければ、こんな輩など……っ!!
     悔しさでぐっと歯を噛み締めたナナキは、せめてもどこかへ食いついてやろうと牙を向くが、短刀の切っ先に牽制されて男へは届かなかった。
     全身に力を込めて銀糸を引き千切ろうとする度に、忌まわしい枷に触れた肌が裂けて血を噴き出す。焼けた細胞は修復に時間がかかるのだが、それでもこんな男に綺麗だと褒められたものをめちゃくちゃにしてやりたい衝動に駆られて、ナナキは踏ん張った足に力を込める。
     その間にも男の手は太股を這い、その柔らかな弾力を味わうように撫で回した。
    「うん……本当に人間の頃と変わらないんだなあ。やっぱり内側の問題なのかな? ねえ、そう言えばずっと訊きたかったことがあるんだ。ヒナギクはともかく生身の君は機巧が皮膚を突き破って顕現する形になるけど、あれって痛くないの? 神経系とどう繋がってるの?」
    「…………っ、ぅ……あっ」
     ぞわぞわ込み上げる不快感と怖気にびくりと身体を強張らせたナナキに、男はぺろりと舌舐めずりをして短刀を逆手に握り直した。そのまま肌へ切っ先を押しつけ、斬り下げるようにして刃を動かすと、決して浅くはない傷をナナキの体躯に刻みつける。
     斬られるのは初めてではない。戦闘に慣れぬ頃は何度も重傷を負ったし、筆舌に尽くし難いほど酷い仕打ちを受けたのは一度や二度ではない。
     けれど、じくじくと己が塗り潰されて行く感覚は、他の何にも変えようがないほどの暗闇の中に、容易くナナキを突き落とした。
    「君に生殖機能はあるのかい? 他にぼんくら共に弄くられてつけ加えられた機巧は? 君にあってヒナギクにないものが、何か埋め込まれたりしていないのか?」
    「主は……そのぼんくら共が作った資料を、読んだのであろう? ならば、当然……知っている、はずじゃ」
     呼吸が苦しい。
     意識がふらつく。
     今は熱いのか寒いのか――痛みを意識することで、辛うじて壊れそうな己にしがみつく。
    「わしの血はナレノハテを殺すもの……例え魔神兵装(ましんへいそう)へ加工したところでそれは変わらぬ。猛毒を与えて、愛しい女を……二度も殺す気か?」
    「愛しい女……?」
     わざとらしく首を傾げて男はにたりと嗤う。
    「ヒナギクは妻でも恋人でもない、ボクのたった一人の妹さ。可愛い可愛い遊び道具だ。あいつがかかった不治の病……この国には過去にも一人だって罹患した記録のない奇病だった。ボクは狂喜したね。薬の研究のためだと嘘を吐いて、何度も何度も切り刻んだ。あの馬鹿な妹はね、それでもこの外道の畜生を、兄として信じてたんだ。傑作だろ!?」
     どくん、と一際大きく鼓動が体内に谺する。魂が震え、力尽くで捻曲げられてしまったかのような衝撃がナナキの全身を貫いた。
    ――血が……足りぬ……欲しい、喉が渇いた……
    「君は蠱毒と言うものを知っているかい? 毒虫やら何やらを一緒くたに器の中に閉じ込めて作る、呪術用の道具さ。奴らに餌は与えない。従って弱いものから食い殺され、他の毒に侵されてのたうち回るはめになる。そうして数日後、生き残った最強の毒虫を使って呪いをかけるんだ」
     男は饒舌に説明しながらも、ナナキの肌へ切っ先を宛てがい続ける。決して深く突き刺したり、太い血管を傷つけて大量に血を噴き上げさせたりはしない。まるでナナキの限界がどこにあるのか見極めようとするかのように、広く浅く蹂躙して行くのだ。
    「今回のこともそれと同じさ。似た年頃、背格好の女をナレノハテに仕立て上げ、それを食らい続けて、ヒナギクは最早奴らの中では一等強い力を手に入れた。あとは君の餌であるあの男を食って、君の血で作った魔神兵装(ましんへいそう)を組み込めば、人工的にもマガツヒトが作れることの証明が出来る。どんなことをしても治してやるって約束したからね……どうせなら、君を越える最強の生物になって、ボクの理論が正しかったことを体現して貰わなきゃ」
     瞬間――ばつん、と大きな鋏で鉄索(ケーブル)を切断した時のような耳障りな音が室内に響いた。ナナキを縛り上げていたはずの銀糸がばらばらと解けてその足元に散らばる。
    「え…………?」
     男が興奮のあまりに手を滑らせて、誤って銀糸を裁ち切ってしまった訳ではない。そもそもこの短刀にそれほどの切れ味はない。ならば一体何故、切れるはずのない銀糸が切れているのか――
     俯いていたナナキが、ゆっくり傲然とした仕草で顔を上げる。大きく強調された犬歯、眼球の先程までは薄い青がかった綺麗な白だったはずの部分が墨を垂らしたように漆黒に染まり、理性など遥か彼方に投げ棄ててしまった生ける災厄の様相で、人外の化け物――まさしく『鬼』と呼ぶのが相応しい禍ツ人の顔で、かつてナナキだったものは嗤った。


    →続く

    COMMENT FORM

    以下のフォームからコメントを投稿してください