総次郎が到着した際、現場は酷い有様だった。
     いや、『到着した際』と言うのは正確ではないかもしれない。先んじて検分に当たっていた監察方が現場をみだりに無茶苦茶にする道理などないし、一般生徒なら直視することも出来ずにそのまま腰を抜かすかすぐさま踵を返すだろう。
     ならば、初めからこの場はこのような状態であった訳で、犯人であろう〈異能者〉の残虐性を顕わにした異様な光景だった。
     子供が玩具の人形を乱暴に扱えばこんな風になるのだろうか?
     被害者の遺体は力任せに引き千切ってばらばらにされたかのように点々と、無造作に投げ捨てられている。当然人体であるならば、体内に収まっている血液や臓腑が撒き散らされている訳で、幼い身体にもこれほどのものが押し込められているのかと総次郎は半ば感嘆にも似た感想を抱いた。
     おまけに食事マナーのなっていない獣が群がりでもしたかのように、遺体は激しく損傷している。最早人間としての何かを保てなくなっているらしい〈異能者〉は、一刻も早く狩り出さなければならないだろう。
     そう決意していた時、
    「総次郎隊長、お疲れ様です」
     傍らから声をかけられ、総次郎は相変わらず眠たそうな視線をそちらに向けた。
     そこに立っていたのは、平太の検査を行った少年医師――眞撰組諸士取調役兼監察方の一人、山崎一烝【やまざき かずむ】である。
     今日も白衣の彼は、慣れていると言うことを除いてもその能面のように整った顔を眉一つ動かさず、ペコリと頭を下げてこちらに敬意を示した。
    「お疲れ様なのです。何か良い発見がありましたか?」
     見たこと以上の収穫など特になさそうだ、と総次郎は思ったのだが、何も検死だけが検分の全てではない。こちらの問いに小さく頷いて、山崎は懐から何かが入った小さなビニール袋を取り出してみせた。
    「これは?」
    「持ち帰って詳しく調べてみなければ解りませんが、蜘蛛の糸に非常によく似ています。遺体のあちこちに絡み付いておりまして。どうも数種類あるようですが……」
    「……『一匹』とは限らないと言うことですか?」
    「ええ。万が一の最悪の可能性は、常に考えておくべきかと思います」
     〈能力者〉の大量覚醒、と言う話は今までに例がない。
     また、同じ〈異能〉を備えた者が行動を共にしていると言う話も聞いたことはない。
     しかし、それはこれまでにない、と言うだけの話で、だから絶対にないと言い切れるものではなかった。初めて症例が上がった日から様々な人間が手を尽くしてはいるものの、〈能力者〉については未だによく解っていないことの方が多いのだ。
    「解りましたです。トシさんへ報告は?」
    「先程お電話を。詳細は帰隊して後、書面で上げると伝えております」
    「そうですか。では、何名かを警備に残して僕は帰るのです」
    「畏まりました。ご足労ありがとうございます」
     決して監察方の面々が隊士たちの腕に劣る訳ではない。いや、寧ろ危険極まりない任務を任されている彼らは精鋭中の精鋭と言っても過言ではなかった。
     それでも、総次郎が配下の隊士を残したのは万が一の時のためだった。万が一『何者か』に襲われた際――山崎が掴んだ情報を少しでも無事に、屯所に持ち帰る確率を上げるためである。自分が指揮する者たちを大事に思わない訳ではない。けれどそれ以上に、総次郎に取っては眞撰組の方が大切なのであり、その維持の方が大切なのである。
    ――考えるのは苦手なのです……
     犯人は誰なのだとか、どう言うつもりでいるだとか、そんなことなど総次郎はどうでもいい。二の次、三の次だ。
     そんな難しいことを考えるのは歳哉たちの仕事であり、自分の仕事ではない。
     総次郎はただ言われるがままに刀を取るだけだ。
     己自身が全てを断つ刃であるかのように。

    ***

     この街では毎日どこかで誰かが死ぬ。
     或いはそれは、大規模な俯瞰的視点で見れば外界にいた時だって同じで、何一つ変わらず、自分の預かり知らないところで多くの命が終わりを迎えていたのかもしれない。
     けれど、この閉ざされた場所ではそれをもっと身近に痛切に感じざるを得ない。
     見ないふりが聞こえないふりが知らないふりが、出来ない。
     ほぼ毎日恒例となってしまった朝の黙祷で、平太はきりきりと痛む胸元をぎゅっと握り締めていた。
     読み上げられる犠牲者の名前と所属。端末に一斉送信されて来た写真の女の子の顔に平太は見覚えがあった。昨日不良共に追われて逃げて来た少女だ。恐らくは騒ぎに巻き込まれまいといつの間にか姿を消していたせいで、きちんと無事を確認出来なかったが、まさかこんな形で再会することになろうとは。
     一瞬彼らが邪魔立てに腹を立てて彼女を追い立てたのかとも思ったが、一行は眞撰組に捕縛されてからはウイルスを体外に排出させるための<施設>に隔離されたはずだ。その難攻不落の警備を誇る場所から逃げ出せはしないだろう。
     つまり少女を殺した犯人は別にいるのだ。
    ――何の意味があるって言うんだ、一体……
     変わらない。
     変わるはずない。
     例え〈ウイルス〉を恐れて子供たちをこんなところに閉じ込めたって、
     例えどんなに眞撰組が街中を警備したところで、
     その危険に晒され、向き合わなければならない世代にとっては危険も恐怖も何一つ変わらない。
     今日自分は死ぬのか。
     明日誰かを殺すのか。
    「ウチの隊士にならないか?」
     君にはその力がある――そう言いたげだった近藤の言葉に首を振った。
     妹一人守れなかった自分に、一体何が出来ると言うのか。
     クラスメートたちがざわざわと騒いでいる。
     その中央、長い髪の女の子がひとしきり涙に沈んでいるのを平太は見ないフリをして視線を逸らした。被害者は彼女の妹だったのだ。今年初めてこの街に来たと言う。不運、としか言いようがなかった。
    ――本当に……それだけ、か?
    「清水【しみず】さん可哀想……」
    「元気出してね」
     やめろ。
     やめろ。
     やめろ。
     過ぎた悲しみは失った虚無感は途方もない絶望は、そんなありきたりな薄っぺらい同情などで癒えやしない。圧倒的な感情の前に言葉など届きはしない。どうしようもない理不尽な暴力を憎んでも、何も出来ない己が代わりに死ねばよかったと呪うほど思ったところで、現実は変わらない。
     投げかけられる慰めは逆に刃となってクラスメートを苛むだけだと言うことを、どうして誰も気付こうとしないのか。無責任な同意がどれほどその精神を滅多打ちにすると思っているのか。
     恐いよね。
     犯人早く捕まらないかな。
     しばらく通学やめようか。
     ざわざわざわ……
     ……ざわ、
     がたんっ!!
    「……平太? どうしたの?」
    「ちょ……早退する。気持ち悪い」
     音を立てて立ち上がった平太に、怪訝な視線が飛んで来る。気遣わしげな春華の声にすら苛立ちを覚えて、平太は教室を飛び出した。

    ***

    →続く