「お嬢ちゃんのようなお客には、正直おすすめしないねぇ……」
     あるのかないのか解らないくらいに、細い糸目を片方だけうっすらと開けて、花火屋はそう言った。
     歳なのか若いのか、それもどうにも危うくて、頭に巻いた手拭いですらも胡散臭くて、辛うじて男であるらしいことが迷わずすむくらいの、何とも形容しがたい空気を纏っている。耳にじゃらじゃら開いたピアスだけが、やたらと現代チックで違和感があるのも含めて。
     けれど、夕夏にとってはそのくらい胡散臭いくらいがちょうどいい。逆に怪しい方が信じられる。きっとこの手の店はこうでなければならない、と言うイメージを、この男は解っている気がした。
     ムッとして、袋に入った品を鷲掴む。
    「お金ちゃんと払ってるのに問題ある? 火を扱うのが危ないような、子供でもないと思うけど」
    「お金や年齢の問題じゃあねえのさ、心の在り方の問題だね」
    「何それ」
    「そいつがどういう代物かは、解って買ってやがるんだろう? 何かあっても、ウチじゃあ責任取れないし、どうにかしてやることも出来やしないよ、ってぇ念押しだぃ。後から文句言われても、おいらも困っちまうからよぅ」
     値踏みするように、じろじろと上下する視線。
     夕夏は小さく舌打ちして、
    「それよりコレ! パチもんだったら、お金返してよね! バイトだって楽じゃないんだから!!」
    「パチもんだったら、ね……」
     くっくっ、と人を食ったような嗤いをこぼす花火屋に苛立つまま踵を返して、薄暗い店内を後にした。何とも言い難いくすんだ色の暖簾をくぐり、真っ直ぐに近所の公園を目指す。
     神社の横にこじんまりと併設されているそこは、古びたブランコと小さな砂場しかないため、昼間でも誰も遊んでいない。夕夏が子供の頃は地域の祭などが開かれていたはずだが、担い手がいなかったのか人が少なくなって廃れたのか、かつての賑わいは見る影もなかった。日も暮れ、鬱蒼とした背後の大きな樹を、不気味に感じるこの時間ではなおさらだ。
     一丁前に他所と等しく溜め込んだ熱気を今頃放出しているそこは、幸いにも邪魔になりそうな人影は見つからなかった。今は誰かに見られては困るのだ。
     ベンチがないので、鎖が切れやしないかと恐る恐るブランコに腰かける。ぎっ、と軋んだ嫌な音はしたが大丈夫そうだ。
     夕夏は安いビニール袋から取り出した花火を今一度、じっと眺めてみた。入っているのはそれほど長くもないものが四本。それと和紙のような粗い手触りの人型の紙と、香典の時にしか使わないような、薄墨の筆ペン。
     呪いものがこんなに文房具屋でも揃いそうなもので大丈夫なのか、と言う思いは相変わらず消えなかったが、それでも一月分のバイト代を注ぎ込んだのだ。本物でなければ困る。
     ネットの掲示板で噂になっていたーー逢いたい死者に逢える花火。
     意を決して、夕夏は人型に筆ペンで名前を書いた。
     『渡会鉄矢(わたらいてつや)』
     つい先日バイクで事故死した、一つ歳上の恋人の名前だ。ずっと片想いをしていたのを、ようやく叶えたばかりのところだった。
     無惨な遺体と最期の別れをすますことが出来ず、いろいろな想いだけが尾を引いて残った。
     そんな時だ。
     ふと見たネットの掲示板に、タイムリーな話題が取り上げられていた。『逢いたい死者に逢える花火が存在する』ーーそんな根も葉もない噂話が、まことしやかに語られていた。
     オカルトの噂など、大抵が作り話だと言う。
     夕夏もそうしたものだと、テレビで特番が組まれていても、半分以上は『承知して』笑っていたものだ。他人事であったから、曰くつきの場所に行く輩を馬鹿だと言えたし、不思議な現象も不気味な何かも一歩引いて見ることが出来た。けれど、今は違う。
     本物であるはずがない。
     本物であって欲しい。
     相反する想いが交錯する。
     あるいは、圧倒的なまでの現実を叩きつけられて、目を覚ませよと言われたかったのかもしれない。彼はもう、この世界のどこにもいやしないのだと、認める理由が欲しかったのかもしれない。
     人型の紙を口にくわえたまま、花火を取り出す。火薬をただなすりつけただけのような、味気も飾り気もないそれは、小さな頃みんなでやった、お徳用バラエティーパックに入っていて、結局最後まで残っている地味な花火によく似ていた。
     ネズミ色の先端に、家から持ち出した父親の百円ライターの火を掲げる。
     ひゅばっ、と火薬の弾ける音が辺りに響き、けれど赤や緑の派手な火花よりも先に、朦々と煙が沸き出して、夕夏は慌てた。
     こんな様子を近所の人間に見られたら、火事かと勘違いして騒ぎになってしまうのではあるまいか。誰かに見られたら、このチャンスは台無しだ。次はいつこの花火が手に入るか、そんな保証はありはしない。
     けれど、そんな杞憂が形を取る前に煙の中にゆらりと見覚えのある影が姿を表した。間違いない、鉄矢だ。
    「鉄ちゃん!!」
     思わず名前を読んで飛びつきそうになるのを、夕夏は寸手で堪えた。
     この花火を使う条件は二つ。
     一つは、誰かに見られてはならない。もう一つは花火が終わるまで、何があっても声を立ててはならない、だった。
     頭一つ以上背の高い鉄矢は、夕夏を見つけて生きていた時と同じように人懐っこい笑みを浮かべた。が、次の瞬間には酷く悲しそうなーーついぞ見たことがない憂いの表情を滲ませる。
    「馬鹿な真似しやがって」
     耳触りのいい低音が、溜息混じりの言葉を紡ぐ。大きな掌が、ぼろぼろと頬を伝う夕夏の涙を雑に拭った。
    「まあ、でも……一緒に花火観に行こうって約束破ったの、俺だもんな……ごめん、夕夏」
     投影された映像のように、向こう側が透けて見える鉄矢は実体などない。涙だって決してきちんと拭えている訳ではないのだが、その手の温もりを思い出して夕夏の胸の奥はぎゅう、と掴まれたような息苦しさを覚える。
     が、それも束の間。花火が呆気なく終了し、鉄矢の姿はまるで白昼夢か幻であったかのように、あっと言う間に掻き消えてしまった。
    ーー嘘……っ!
     こんなに短いものなのか。
     慌てて二本目に火をつける。ますます煙は濃くなり、辺りの景色があやふやになるほどだ。火薬や焦げ臭い臭いがしないのがまだ幸いだった。
     鉄矢はすぐに現れた。
    「ほんのちょっとだったけど、お前と一緒に過ごせたの、すげえ楽しかったよ。ありがとな」
    ーー私も……私もすっごい楽しかったよ!!
     言葉に出来ない想いを伝えようと、夕夏は力一杯首肯する。果たしてそれで理解してくれたのかどうかは定かでなかったが、鉄矢の手はそのまま夕夏の頭を撫でた。
    「だからもう、前向け。お前はこっちに来るなよ」
     また、花火が終わる。
     夕夏は慌てて次に火をつけた。言いたいことも言えないのに、こうして火薬が尽きる度に突き放されているようで、鉄矢との間には最早どうしようもない隔たりが出来てしまっているようで、絶望感が再び夕夏の心を蝕む。
     あの日、電話で彼の事故を知らされた時と同じーーまるで世界から切り離されて、自分一人だけが置いて行かれてしまったかのような。
    ーー嫌だ……嫌だ、鉄ちゃん置いてかないで!!
     三度現れた鉄矢のシャツを掴もうとするも、夕夏の手は彼をすり抜ける。ヒヤリとした感触だけが残った。
    「夕夏」
     鉄矢はいつもの笑みを浮かべ、
    「俺ぁいつも夕夏の傍にいるよ。見えないし、触れないし、話せないけど」
    「…………」
    「だから、すぐじゃなくていい。でもお前には笑って過ごして欲しい。俺はお前の笑ってる顔が、一番好きなんだ」
     もう最後の一本だった。
     この花火が終わってしまったら、彼にはもう二度と逢えない。一体何を伝えたいがために、自分はこの花火を買ったのだったか。一体何を望んで、この花火を買ったのだったか。
     大好き?
     私も連れて行って?
     逢えて良かった?
     違う。違う。そんなことではない。
    ーー私は……
     震える手で最後の花火に火をつける。
    ーーごめんね、鉄ちゃん……
     あの日、ケンカ別れになったままだったのを謝りたかったのだ。自分の幼い我が儘で、彼の気持ちを疑った。こうして、ちゃんと応じて現れてくれただけで、充分だった。
     そっと額にキスが落とされる。
     が、瞬間バチィッと大きく火花が爆ぜて、花火は唐突に終わりを告げた。まだ、火薬は半分ほど残っているにも関わらず、何度ライターの火を掲げてももう一度灯ることはなかった。
    「…………不良品、湿気てんじゃん」
     口唇を尖らせはしたものの、夕夏の顔は先程までとは違い、少し晴れやかな表情を浮かべていた。
    「ちゃんと毎年お盆は帰って来るんだぞー」

    「あーあ……ちゃんと四本消費させたら、彼女の魂もこっちに来られたのに……勿体ない」
     風もないのにゆらりと揺らぐ風鈴をちらりと見遣って、花火屋は不満そうに溜息を漏らした。邪魔をしたのは勿論鉄矢だ。
    「彼女の寿命が尽きるまで、心変わりしないとでも? きっと来年の今頃には、違う誰かが隣にいるさ。最大のチャンスを棒に振ったんだ」
    「いいんだよ、それで」
     いつの間にか隣に座り込んで、途中まで消費された花火をくるくると手の中で弄びながら、鉄矢はじろりと花火屋を睨んだ。
    「あいつはまだ生きてんだ。あいつの回りまで泣かせなくていいだろ……俺なんかのために」
     寂しくないと言えば嘘になる。
     けれど、たった数日恋人だったと言うだけで、彼女の人生を縛る権利など、自分にはないと鉄矢は思うのだ。彼女があの花火を使ってくれたおかげで、伝え損ねた想いを告げることが出来た。それだけで充分だった。
    「そう言うキレイなアオハル的な話は、おいらの好みじゃないんだがねぇ」
    「じゃあ、何であんたは『逢いたい死者に逢える花火』なんて売ってんだ?」
     鉄矢のもっともな問いは、今までも何度となく問いかけられたものなのだろう。
     花火屋は頭の部分が燃えたようになくなっている鉄矢の人型をくしゃりと握り潰して店の隅に放ると、新しい紙を器用に切り抜きながら嗤った。


    以上、完。