「きっと……そろそろ来る頃だと、思っていたよ」
     私が剣を片手にその場所を訪れた際、彼は静かに笑ってそう言った。
     世界の果てのその先の、寂寞たる景色が広がるそこには、彼以外何もない。生命の息吹も、無生物の影も、畏れるものですら何一つ。
     全てを飲み込む闇の中にあって、どこをどう辿ったのかは定かでない。
     ただひたすら、迷わぬように惑わぬように、彼の名を心の内で呼び続けながら歩いて来たのだ。私が探していると言うよりは、彼が私を見つけてここへと導いてくれるように。
    「さて……誰かが訪ねてくれたのは、いつぶりだったかな。疲れただろう、座りたまえよ。お茶を入れよう」
     隠者はそう言うと、どこからともなく茶器とポットを取り出した。
     そう言われると、しんしんと身体の奥底が凍えてしまいそうな寒さを覚えていたことを思い出し、私は礼を告げて指差された空間に腰を下ろした。何もないはずなのに、丁度いい高さに丁度いい硬さの何かが存在し、私の体重を受け止める。
    「ポラリス」
     カップに湯気の立つ熱い茶が注がれるのを見つめながら、彼の名を呼ぶ。
     とろりとした深い蒼のような、光り輝く全ての希望のような不思議な液体は、得も知れぬ芳醇な香りをこの闇の中に振り撒いた。幾千幾万の死んだ星たちの墓場のようなこの、世界の終わりと始まりに。
    「何だい、ベガ」
    「虚しくはありませんでしたか?」
    「そんなことはないよ」
    「淋しくはありませんでしたか?」
    「そんなことはないよ」
     無数の祈り。
     無数の願い。
     どれほど永い刻が経とうとも、
     どれほど深い絶望が訪れようとも、
     変わることなく連綿と紡がれる生命の囁き。
     その途方もない重さを抱えて、導き、行末を、歩むべき道を指し示して来た彼の孤独も、ようやく今日終わりを告げる。
     その役目を、新たな願いと希望を私に託して。
    「ベガ」
     柔くあたたかな声が私の名を呼ぶ。
    「何でしょう、ポラリス」
    「畏れることは何もないよ」
    「はい」
    「哀しむことは何もないよ」
    「はい」
     有限の祈り。
     有限の願い。
     その儚いが故の煌めきを、芽吹いた生命の迸る刹那をどうか慈しみ愛おしんで。
     差し出されたカップを受け取る。
    「お疲れ様でした、ポラリス」
    「あとは頼むよ、ベガ」

     例えどれほどの困難が立ち塞がろうとも、
     例えどれほどの辛苦がその道を阻もうとも、

     未来は、何一つ決まってなどいない。




     ゆっくりと立ち上がると、僕はそこを後にした。
     深い闇の中、何にともなくひとり剣を構える彼女を見遣って踵を返す。
    「大丈夫」
     希望はそこに、ある。



    Fin.