「何ダ、お前かカゲトラ……大丈夫、試運転までちゃんと終わってる。バッチリ完璧。お代はずめ」
    「そうかぃ、そりゃ有り難ぇ」
     嬉しそうに破顔する彼の目の前に、店主ーークロガネが後ろの棚から差し出したのは、帝国軍の支給品である革長靴であった。カゲトラは先の騒動で一足を駄目にしてしまっていたから、修繕でも依頼していたのだろうか。
    「新しいものを黒須に頼めばよかろうに」
    「あ? いや、違えよ。修理じゃなくて改造。こいつは新品だ」
    「改造?」
    「そう。何せこいつは玖街一の機巧技士だ。廃材から軍用四輪駆動に負けねえ車も造れる」
    「玖街一じゃなくてヒノモト一に訂正するよろし」
     不満気に腕組みをしながらそう鼻を鳴らしたものの、褒められたのは満更でもないらしい。が、その場でカゲトラが草履から履き替えようとするのを見るや否や、クロガネは慌てて一回りは違う体躯に容赦なく踊りかかった。
    「バカトラ!! 店の中で試そうとするなし! 外出ろ外!!」
    「ちょ……っ、解った! 悪かったよ! 危ねっ、工具振り回すな!!」
    「イイか、お前バカだから念押しするヨ。くれぐれも狭いところで出力最大にすんな。壁に激突してお前挽肉(ミンチ)ネ」
    「解ってらぁ、マジありがとうな」
     わしわしと乱暴な仕草でクロガネの頭をかいぐり回すと、カゲトラは懐から代金らしい封筒を引っ張り出して押しつけ、さっさと踵を返した。新しい玩具を手にした子供と同じで、一刻も早く触りたくて試したくて堪らないのだろう。
    ーーしょうのない奴じゃの……
     呆れて溜息をこぼし、クロガネに会釈して後に続こうとしたナナキは、「オネーさん」と呼びかけられて足を止めた。
    「何じゃ?」
    「あいつ、ここに誰か連れて来たの初めてヨ。バカだから無茶苦茶するけど悪い奴じゃないネ。だからヨロシクしてやって欲しいヨ」
    「勿論、承知しておる」
     どことなく誇らしい気持ちになりながら扉を潜り、階段を上って路地に戻ると、カゲトラは既に『改造した』と言う革長靴を履いていた。しかし、見た感じ何か違うようには見えない(勿論規定違反で咎められないようにだろうが)。とは言え、前回駄目にした代物も底に鉄板を仕込んで、攻防共に文字通り底上げ強化していた男だ。今回もそうした類なのだろう。
    「主は他にも外部にいろいろ流しておらんじゃろうな? バレたら首が飛ぶぞ」
    「心配しなくても武器は出してねえよ。大体〈魔神兵装〉は弄りようがねえだろうが」
    「そう言う問題では……」
    「大体装備強化するなら、防御力も上げなきゃ意味ねえだろ。俺ぁ重いの嫌いだから当たる前に潰す。っつーことで、これだ」
     得意気ににやりと笑ったカゲトラは、片脚を上げて足裏を見せてくれた。上手く偽装してあるが、よく見ると本来着いていないはずの小さな部品が付け加えられている。
    「何じゃ、これは?」
    「蒸気機巧」
    「は!?」
    「百聞は一見にしかずだ。まあ、見てろ」
     しゃがんで踵部の小さな摘みを捻ると、カゲトラはだんっ! と思い切り地面を踏みつけた。
     瞬間、空気の爆ぜるような音と共に、その身体が大きく跳ね上がる。人間の筋力ではおおよそ不可能な高さまで、瞬きの刹那で放り投げられたようにカッ飛んで、軽々と玖街の低い建物の上を取った。
    「どうだナナキ! これなら飛空艇なしでも陰人(オンヌ)とヤれんぞ!!」
    「極小とは言え………動力炉を仕込むなど、正気か? 下手したら足が吹っ飛ぶじゃろうに……」
    「うっお、均衡取るの難しいな、これ……」
    「のう、主はその後どうやって着地するつもりじゃ?」
    「…………着地?」
     そうこうする間にも、最高度に到達したらしいカゲトラの身体は自然重力に従って落下を始める。強大な陰人を単身ぶった斬ることだけしか考えていなかったのか、ナナキの問いにきょとんとした表情を浮かべたカゲトラは、次の瞬間青褪めて咆哮した。
    「考えてなかったあああああああーーっ!!」
    「だから馬鹿だと言うんじゃ!! 得物を抜け!」
     取り敢えずはそれだけで理解したものか、カゲトラは佩いたままだったシュラモドキを抜刀した。蒸気駆動を叩き起こし、振り抜く。その衝撃の反動で落下速度はやや減退し、何とか轢かれた蛙のように無様なぺしゃんこ姿は晒さずにすんだ。受け身を取って転がったせいで砂埃塗れになったものの、どうやら大事には至っていないようだ。
    「カゲトラ……っ!」
    「あー死ぬかと思った洒落にならん……」
    「馬鹿者、無茶苦茶じゃ」
    「生身でやれっつーんだから、無茶もすんだろ」
     手を差し出すと、躊躇なくそれを掴んで立ち上がりながら、カゲトラは悪びれなく笑った。
    「お前の背中預かるなら、そのくれえやらなきゃ足りねえよ」
    「全く……度し難い男じゃの」
     つられて笑うと、ナナキはカゲトラの胸をとん、と拳で突いた。


    →続く