翌日、まだ夜明け間もない時間帯に二人は上層区画の帝都ヒガシノミヤコに向けて出発した。街灯のない荒れた道は、蒸気四輪駆動の先頭灯だけでは心許ない。
    「ああ、くそ……っ!! 最悪だ! 総督府に出向くってこたぁ、あれだ! しち面倒くせぇ正装とやらをしなきゃならねえんだろ!? あのじゃらじゃら邪魔な飾りがついた……首に縄つけられてるみたいで、大っ嫌えなんだよ俺ぁっ!!」
     だんっ!! と砕け散りそうな勢いで拳が操縦環(ハンドル)に叩きつけられる。いつもの隊服ですら、自分の動きやすいように着崩し手を加えている男だ。一時でもきちんとした格好をしろ、と言うのが我慢ならないのは理解出来なくはない。
     が、ぎりぎりと苛立ちと苦虫を摺り潰すように奥歯を噛み締めながらもそれを纏っているのは、黒須の顔を立てたと言うよりは、余程の事情ありと汲んでのことだろう。引っ切りなしにふかされる紫煙に呆れた眼差しを浮かべながら、ナナキは込み上げる欠伸を噛み殺した。
    「頼むから安全運転をしてくれ。ぶつかるようなものはないとは言え、瓦礫や崩落穴に突っ込むのは勘弁じゃ」
    「……大丈夫か? お前いつもならまだ寝てんだろ。気持ち悪ぃなら命令なんぞ無視して引き返すぞ。連絡なら入れとく」
     少し速度を落としてなるべく揺らすまいと気遣ってくれるカゲトラに、ナナキは小さく笑みを浮かべて見せた。暗がりで顔色が悪いのには気付いておるまい、と思っていたが、存外この相方は目敏いのである。
    「大事ない……着くまで寝ておく。指示された通り、このまま向こうてくれ。それより向こうに入ってからの方が問題じゃ。『そう言う仕様になって』おるとは言え、ヒトでない身は不自由よの」
    「……けどよ、」
    「ふふ……本当なら、妙なのはお前の方なのじゃぞ?」
     黄金の双眸を僅かに細め、
    「ヒト型、主と同じ見てくれをしておるとは言え、わしはマガツヒト……戦うための兵器で、鬼ーーヒトならざるものじゃ。戦に赴く訳でもない時分に、わしの体調を気遣うお前が、普通とは違うのだ」
     予想通りの答えをナナキが翻すつもりがないことは百も承知なのか、溜息と共に紫煙を吐き出すと、カゲトラは変速機(ギア)を切り替えて鞴(ふいご)を踏み込んだ。
    「別に変じゃねえだろ」
     不機嫌な声が返る。
     常にしかめっ面と唸る獣じみて苛立ちを押し殺したような喋り方をするせいで、初見の相手からは必ず畏怖される男ではあるが、どうやら今は本当に気に食わないことが言ってしまったらしい。
    「言葉話して、意思疎通が出来て、ましてや自分(テメー)の相棒だぞ。心配するのが普通だろ! お前が何だろうが、それこそそっちの方がどうでもいいわ」
    「のう、カゲトラ」
    「ぁんだよ」
    「…………主は何故、まだ軍部に留まっておるんじゃ?」
     軍部の意向はともかく、彼の気性ならとっくの昔に除隊届を叩きつけていてもおかしくはない。それとも既に何度も脱走を試みて痛い目に遭っているのか、だとしても唯々諾々と従い、飼われ、繋がれているのが彼らしからず不自然ではあった。
     しかし、これだけ日々不平不満と言うよりは悪口雑言の罵倒を並べ立てているのだから、問われるのはもっともだと思ったのだろう。さらに投げようとしていた言葉を飲み込み、一度冷静になるべく息を吐いてから、カゲトラは逸らすことなくナナキを見返した。
    「前を見ろ」
    「……ぶつかりゃしねえよ。そりゃあ、あれだ……帰るとこも行くとこもねえからだ。学もねえから、用心棒かゴロツキくれえしか出来ねえし、どっちがマシか解りゃしねえけど」
    「…………」
    「っつーのは建前で、まあ、一応あれだ。侠の約束っつーのがあるからだ。まだそれを果たしてねえから辞められねえ」
    「一体誰との約束じゃ?」
    「…………俺が最初に配属された部隊の、隊長だった大猩々(ゴリラ)だよ」
     ごまかすつもりはなかろうと思ったものの、正直答えが返って来ることもないのではないかと思っていた。素直にこぼされた声に悲哀や郷愁と言った色がないのが、いかにもであったが。
    「平民狩りで連れて来られた連中が、取り敢えず基礎訓練される第九部隊。その中でも問題児ばっか寄せ集められた伊班の大将、オウガ。知ってるか?」
    「いや……わしは単騎でしか戦線には出して貰えん故、各部隊の指揮官すらも知らぬ」
    「…………そうか、でもきっと会ったらお前も気に入ったと思うぜ」
    「……気に入ったと思う……?」
    「八年前に死んだ」
    「…………そうか」
     それ以上はまだ話す気にならなかったのか、カゲトラは口をつぐんで運転に集中し始める。少し開いた窓から吹き込む風は相変わらず廃油と汚水の入り交じった臭いを孕んでおり、泥濘と瓦礫に彩られた悪路の揺れに身を任せている内に、いつの間にかナナキは浅い眠りに落ちていた。


    →続く