関所を通り抜け、美しく碁盤目状に整備された道を進む。カゲトラは上層区画へ生まれて初めて足を踏み入れたが、その白を基調とした壮観な街並みに目を見張ったり息を呑んだりすることはなかった。代わりに苦々しく一つ、舌打ちをこぼす。
    ーー薄ら寒ぃ……
     軍用蒸気四輪に乗っていても突き刺さるような、他者を廃絶する空気。中流区画のゆったりした空気ともまたまるで違う雰囲気に、ぞわっと全身が総毛立つ気がした。
     人気がない訳ではない。
     が、行き交う蒸気四輪と整然と歩く使用人らしき人々はあまりにも作り物めいており、活気と言うよりも生気に欠けている気がする。広大な屋敷ばかりが立ち並ぶ、住宅街の体が強いからだろうか? まるで、この地上で動いているものは全て蒸気駆動の機巧だと言われても、カゲトラはそうかと思ったことだろう。
     中央に聳え立つ総督府に入るには、東西南北それぞれの門から架かる橋を渡らなければならない。その周囲は深い奈落になっており、底の知れない不気味な闇が大きく口を開けている。遥か下はこの国の心臓部を動かすための動力機構となっており、落ちたら最後その巨大な蒸気駆動に文字通り粉砕される羽目になるのだ。
     渡った先は広場になっており、既に到着しているらしい者たちの蒸気四輪が所狭しと犇めいている。皆一様に土手っ腹に家紋が刻まれていたり豪奢な灯りがついていたり、その威容を示すのに忙しそうだった。
     一番隅に寄せて停車すると、カゲトラはまだ眠っているナナキの肩を小さく突付いた。
    「ナナキ、着いたぞ。起きろ」
    「ん……」
     少しはマシな気分になったのだろうか? 先程よりは顔色がよいように見える。ゆっくりと瞬きを繰り返す内、ようやく黄金色の眼は焦点を結んだようだった。
    「すまぬ……運転大変であっただろう?」
    「別に。気分は?」
    「大丈夫じゃ。ありがとう」
    「よし、なら行くか」
     後部座席に放り投げておいた軍帽と〈魔神兵装〉シュラモドキを手にしたカゲトラは、ナナキと連れ立って本館へと向かった。
     街並みと同じく白いつるりとした円柱状のーー塔と呼ぶには些か高さが足りない気がするーー建物には、両脇にそれぞれ四階建てほどの別棟が備わっており、手前には見事に整えられた庭園が不釣り合いな面立ちで来訪者を出迎える。中央には散ることがない、とされる樹齢百数十年を超えた桜が見事に満開の枝を広げているが、これはその当時の技術を駆使して再製された人工植物であった。
    ーー攻め難い造りだ……もし陥落(お)とすなら、こりゃあ手間がかかる……
     ともあれ、そんな美しい景観など歯牙にもかけず睨めるように建物へ視線を這わすカゲトラに、ナナキは小さく苦笑を浮かべてみせた。
    「主、今物騒なことを考えておるであろ?」
    「あー、いや……つい、癖で」
    「そう言うのは小一時間我慢しておれ。口煩い輩ばかりだからの」
    「解ってんよ」
     二人が来ることは事前に連絡が入っていたのか、入口に立っていた衛兵はちらりと視線を投げて来たものの、黙って扉を開けてくれた。
     が、ナナキに続こうとしたカゲトラには無遠慮な視線が投げつけられる。本来なら、一等兵ごときが召喚されることはないが故の威嚇だろうが、売られた喧嘩を素通り出来ないのがこの男の性分だ。噛みつくように睥睨し返すものだから、ナナキは「やめぬか」と耳を引っ張らねばならなかった。
     大理石の長い廊下には重厚な樫の木の扉が並ぶ。
     緋色の絨毯と豪奢な瓦斯燈、執政組織であるが故に厳かさを損なわぬ意匠ではあるが贅を尽くした様相に、カゲトラは本能的にしかめっ面になってしまう。
    「何か虫酸が走る……そう言やここも、あの病院みたく壁やら何やらに銀が組み込まれてるのか?」
    「そうじゃ。故に主の得物もここではただの刀と変わらぬ。絶対、抜くなよ」
    ーー成程……だからさっき咎められなかったのか……
     万が一にもカゲトラが謀反を起こしても制圧出来る、と判断されているのだ。
    ーーくっそ、ナメやがって……
     行き止まりの正面に、一際大きな扉が聳え、秘書官らしき洋装の男が待っていた。二人の姿を見つけるなり、内衣嚢(ポケット)から懐中時計を引っ張り出すと、盤面を見ながら掌でこちらを押し留める。
    「十五秒お待ちを」
     会議に台本でもあるのか、と言いたいところだが、男は舌打ちをこぼしたこちらの表情など素知らぬふりをして、片眼鏡(モノクル)を光らせながら扉を押し開けた。
    「十三大隊のお二人が到着されました!」
     波を打ったように静かだった室内の空気が、ざわ、と揺れる。
     部屋の中央には大きな円卓が鎮座しており、その周りをぐるりと各大隊の隊長である士族、各執政官長である華族の面々が囲んでいた。
     いっせいにじろりと向けられる品定めのような視線、侮蔑の吐息、無関心と言う敵意。
     しかしカゲトラの双眸はそれらを飛び越して、一段高く作られた最奥の台座ーーそこに座る一人の青年に向けられていた。


    →続く