「何か、隠してる気がする」
     串に刺さった肉に豪快に噛みつきながら、カゲトラは眉根を寄せた。常からその視線で人を射殺すつもりかと思うほどの剣呑な眼差しが、そうして苛立ちや不満を宿すとますます獰猛さを増すものだから、ナナキはいなすように吐息して口端を緩く持ち上げる。
    「何か、 とは?」
    「何かは何かだ、はっきり解らん。何となく虫の知らせと言うか、野生の勘と言うか、とにかくヤバい不味い臭いがぷんぷんする」
     彼の言わんとするところは、解らないでもない。
     前線に立つ機会はほぼ皆無と言っても過言ではない帝国軍の正規兵ではあるが、曲がりなりにも総督である金烏に絶対の忠誠を誓い、日々の鍛錬を怠ることはない腕利きの猛者ばかりが集められた精鋭だ。装備も常に世界の最先端を行くものを揃え、外向きには『自衛のための』『平和的解決のための』武力であって、他国と戦争をするつもりは微塵もない、と宣っているものの、その能力は列強諸国と比べても、決して劣るものではない。
     それらを差し置いて、いの一番に指名されるのが何故たった二人しかいないーー況してや対陰人用の秘匿部隊である自分たちなのか。
    「罠……だと、思うのか?」
    「いや、俺たちなんざその気になれば小指の先で潰せる奴だぜ? あの坊ちゃん……そう言うんじゃなくて、こう……何か観察されてる、みたいなぞわぞわした感じが気持ち悪い」
    「観察、の……強ち間違いではないと思うぞ」
     カゲトラが十三大隊に配属されて、ちょうど三月ほどになる。今までこれほど長くナナキの傍にいた者はいない。
     上層部にしてみれば、超弩級の問題児が折よく適合者だったものだから、三日と保った者のないここに左遷(トバ)してちょっと灸を据えてやろう、くらいの試みだったのかもしれない。ところがこれが音を上げる気配がないどころか、化物に向かって突っ込むのに躊躇がないわ、 既に二体も陰人討伐の戦果を挙げるわ、でどうしたものかとなったのだろう。
     金烏直々にその目で見て判断する、と下駄を預ける形にしたのではあるまいか。
     もし視察時に『運よく』陰人が出没し、見事に討伐ないし退けることが出来たならよし、万が一それが不可能であったならば、彼らの安全を確保するため 捨て駒に。
     ナナキがマガツヒトとして起動して数十年、きちんと機能しているところを見るのは誰もが初めてなのではあるまいか。
    「…………何か、それだけじゃねえ気がするんだよな」
     ぼそり、呟いたカゲトラの言葉は、がやがやと言う喧騒に紛れてナナキ以外には届かなかっただろう。
     酒と煙草と何かを焼く香ばしい匂いと、排水と廃油と蒸気灰の混沌と入り混じったこの街独特の空気。酔っ払いの怒声、客待ち女の嬌声、食器のぶつかる音と笑い声、路上で日銭を稼ぐ者たちの音楽、眠らない不夜城を彩る毒々しい極彩色の瓦斯燈たち。
     うなされるほどの熱気と狂気と。
     明日をも知れない者たちが奏でる、刹那の命と欲望の輝き。
     きっと彼ら上流階級の人間が一生知ることはない、
     口が裂けても大事だなどとは言うまいが、それでもカゲトラが守ると決めた、ナナキが守りたいと願う光。
    「ならば無理に引き受けずともよかったのではないかえ? 主、ああ言った輩は嫌いであろ?」
    「ああ、ちょっと何回か殴りそうになった。何なんだ、あいつら!! お前のこと見えてねえみたいにガン無視しやがって、呼んだのテメーらだろうがってんだ!!」
     喉を鳴らしてでかい椀の酒を一気に煽ってから、けれどカゲトラは先ほどまでの胡乱な表情を掻き消すようにぐいとロ元を乱暴に拭って、不敵な笑みを浮かべてみせた。
    「だから、ここいらで俺らの存在価値ってやつをとくとご覧いただこうじゃねえの。ちょっとやそっとでぐらつかねえ信頼ってやつを掴み取るのよ。そしたら、要らん口出して来る糞野郎は随分減るだろ……何たって頭のお墨付きだ」
     不穏な笑い声を立てるその様子はいかにも悪たれ上がり、 と言った体ではあったが。
     ナナキは不思議と余計な不安も心配も拭われたようで、 その黄金(きん)色の双眸を細めて笑った。
    「うむ、期待しておるぞ」
    「何他人事みたいに言ってやがる。 テメーも道連れだ」
    「…………ふふっ、そうか」


    →続く