歓楽街から通りを一本外れただけで、そこは人気も火の気もない真っ暗闇の魔窟になる。そこに潜むのは得体の知れない空想上の魔物などではなく、れっきとした同じヒトの皮を被った魑魅魍魎たちだ。今は三頭竜が睨み合って均衡を保っているおかげで、以前に比べれば随分と血を見ることは少なくなったが、平穏ぬるま湯を嫌う輩は掃いて捨てるほどいるこの玖街で巡回をすれば、必ず一定の割合で小競り合いだの何だのはささくれのように立ち上がる。
     二人の纏った軍服を見て、ぎょっとした顔で腫を返してくれれば随分と可愛げがある方で、往々にしてそう言った輩は帝国軍を蛇蝎のごとく嫌っていると言うのが定番であるせいで、抜刀せずども拳の一つや二つ投げてしまうのは致し方ないところではあった。
     揉め事の仲裁の仕方は知っていても、カゲトラと言うのは血の気も多ければ手も早い男である。が、むやみやたら暴れて回るようなことはしない。着るような権威の笠を持っているつもりはないからか、弱いが故に生き残るためこの街でも最底辺の人間がどんな術を取るかを熟知しているからか、存外騒ぎを収める手腕に長けているのである。
     中には悪たれ時代のことを覚えている者もいて、本当に少しずつではあるが着実に玖街の住民の中にもちらほらと『こいつだけは他の軍部の人間とは違う』と言う目を向けてくれる者も増えていた。
    「取り敢えず、今日は次の区画まで見たら帰るか」
    「そうじゃの……本当に人手がもう少し必要じゃな。攻街は広い上に深過ぎる」
     夜も更け、じきに日付も変わろうかとする頃合いだ。
     今日は変わらず手掛かりは見つからなかったが、ナレノハテと出くわすこともなかった。相対的に見れば充分だ。
     噛み殺し損ねた欠伸にカゲトラが大きな口を開けた時、
     ドカン…………っ!!
     派手な爆発音と共にびりびりと大気が震えた。咄嗟に周囲を見渡すも、視界の範囲に火の手は上がっていない。
    「ナナキ!」
    「奥じゃ!」
     アタリをつけてからのカゲトラは速かった。ぐんっ、とナナキを抜き去ると勝手知ったる何とやらで細く入り組んだ路地をかっ飛んで行く。夜目が利いても見逃してしまいそうな、積まれたガラクタ向こうの袋小路で一人を囲んでいる集団を見つけた。
     いずれも暴力と言う腕に覚えがありそうなガラの悪い連中だ。酔っぱらっているのか、寄ってたかってうずくまった青年へ、手にした得物を振り下ろしたり蹴飛ばしたりとやりたい放題している。
    「なあ、兄ちゃんよ。俺のツレがぶつかられた腕、ポッキリいっちゃってる訳だよ。スマンですんだら、警察は要らねえだろう? 誠意をよ、見せなさいよっつってんだ」
     一人わざとらしく腕を抱えた背後の男を指差しながら、頭らしき男が濁声で喚き散らす。
     どう見ても、その後制裁を受けた青年の方が重篤な傷を負っていたが、彼らはその上金まで無心するつもりでいるらしい。
    「アニキ、財布」
    「放せっ!! おい、やめろ!!」
     押さえつけた青年をまさぐっていた下っ端が、隠していたぼろい布袋を探り当てる。放り投げられたそれを受け取った男は、思っていたよりも随分重いそれに、にんまりと蛇のような笑みを浮かべてみせた。念のため口を縛ってある紐を解いて中身を検めてみると、街灯の仄暗い灯りでも解るほどぎっしりと紙幣が詰まっているではないか。
    「おーおー、たっくさん持ってるじゃねえの。駄目だぜぇ……この街で、こんなに大金を持ち歩いてちゃあ」
    「返せ!! それは妹の薬代だ! 毎月どんだけ必死こいて貯めてると思っ」
    「薬って、何のクスリだか解ったもんじゃねえなぁ……え?」
    「何ならその妹とやらも、おれ達が可愛がって世話してやるぜ?」
     下卑た嗤いと罵声、打ち下ろされる拳が肉を骨を穿つ音。
     この街では力ない者に生きる術はない。縋るものなど何もない。ただひたすら、嵐のような災いが通り過ぎるのを這いつくばって息を殺して待つだけだ。その命が唐突に奪われる瞬間まで。
    ーーくそ……っ!
     青年が奥歯を噛み締めて、ぎゅっと悔しさと共に拳を握り締めた瞬間ーー


    →続く