「どっせぇあああああっ!!」
     横合いから凄まじい叫びと共にかっ飛んで来た飛び蹴りが、どんぴしゃ男の巨躯を吹っ飛ばした。嫌な音を立てながら面白いくらい地面を転がった男は、そのまま自らがぶち壊したゴミ山と瓦礫に頭から突っ込んで埋まる。
    「お、お頭ぁーーーーーっ!!」
    「な…………」
     誰もが呆気に取られて言葉を失う。
     一体全体自分たちの身に何が降りかかろうとしているのか、狩る側から狩られる側へ理不尽に転落してしまった男たちは、瞬時に事の次第が理解出来なかっただろう。
     それでも頭の男はどうにか面目を保つためにがらがらと瓦礫を払い除けながら、
    「テメー! 俺たちにこんな真似をしてただですむと……」
    「あぁ゛ん?」
     しかし、どチンピラも蒼白になりそうな迫力で凄み返して来たのは、帝国軍の隊服を纏った歳若い男ーー無論、カゲトラであった。
     この辺りでも馴染みの枯草色ではなく、夜闇に溶け込むような黒いそれに反して、短羽織のような外套は鮮やかな浅葱。意匠も若干異なるそれがどんな意味を持つのか、彼は知らない。 それでも両頬に刻まれた派手な二対の傷と言い、隙のない立ち居振る舞いと言い、本能的にどちらが強いかを瞬時に把握出来てしまう。まるで腹を空かせた獰猛な虎の前に放り出されてしまったかのようだ。
    ーーこいつ……
     が、
    「正義の味方気取りなんざ、あんたら腐れ役人の仕事じゃねえだろう」
    「帝国軍がなんぼのもんじゃい!」
     悲しいかな、向こう見ずを売りにする下っ端たちはその力量差を計れなかった。足元に転がした青年と同様に屠ってしまえと、手にした得物を振り被ってカゲトラへ一斉に躍りかかる。
    「やめろ、お前ら!」
     と男が制止の声を上げるのと、振り抜いた挙が纏めて彼らを吹っ飛ばすのとはほぼ同時だった。紙一重で凶器の群れを掻い潜り、あるいは躱しながら、的確に左右とごつい軍靴の足裏が哀れな下っ端たちの体躯に抉り込まれる。深夜の裏路地に、再度派手な破壊音と悲鳴と土煙が上がった。
    「一般市民からカツアゲなんぞ下らねえ真似してる暇があんなら、真面目に仕事しろってんだ。何ならウチでびしばし使ってやってもいいんだぜ」
     悪辣な笑みを浮かべて、物騒な音を立てながら指を鳴らすカゲトラに、
    「こら、どっちがチンピラじゃ」
     追いついたナナキが、鋭く後ろ頭に手刀を叩き込む。それがこの数分のやり取りの中で一番えげつな音がしたが、誰もツッコミは入れなかった。猛虎の背後を音もなく取るーーそれで充分この少女の実力は証明されたようなものだった。
    「ともかく、争いをやめよ。今まではろくに巡回も出来ておらなんだが、この街の治安維持も我々の任務の内じゃ。今後はしっかり取り締まって行く故、あまり目に余るようならば縄についてもらうぞ」
    「おら、奪(と)った財布返せ」
     二人の腕っぷしを目の当たりにしたせいか、本気でお上に楯突いて粋がる覚悟はないせいか、男たちは存外あっさりと財布を放り出し、舌打ちをして踵を返した。立ち去るその表情は、いずれも暗い感情が重い灰のようにべったりとこびりついている。
    「…………カゲトラ、主は少しやり過ぎじゃ」
    「はん、あれっくらいでちょうどいいんだよ」
     窘めるナナキの言葉を片手で叩き落として、財布を拾い上げながらカゲトラの強気な眼差しは少しも翳りを帯びない。
    「お前はあれだろ、俺が着てんのは帝国軍の隊服だから『また軍が権力を笠に着て』とか何とか要らん顰蹙を買うっつー心配をしてんだろ」
    「解っておるなら少しは、」
    「この街は、話し合いなんかしてたら別の人間に後ろから刺される。俺ぁ誰の味方でもねえ。 自分 (テメー)が気に食わねえと思ったらぶん殴ってその後考える。相手がどこの誰であろうとだ」
     伊達に何度も、同僚や上官と一悶着起こしてはあちこちの部隊をたらい回しにされて来た訳ではない。間違っていると思ったら、等しくそれに牙を剥くであろうこの男のやり方がこの街をどう守って行くのかーーしばし様子を見ながら手綱を取って行くしかあるまい。
    ーーこれは……ナレノハテや陰人(オンヌ)よりも手がかかりそうじゃ……
     人知れずナナキは溜息をこぼした。
    「おい、アンタ大丈夫か?」
     カゲトラはと言えば、地面に転がったままだった青年を抱え起こしたところである。頭を打ちつけられて脳震盪でも起こしていたのか、大きな声で呼びかけられて意識を取り戻したらしかった。
    「っぅ……、」
    「いい、無理に動かすな。刺されたり撃たれたりはねえな? どこか痛むところは? っつーか、爆発巻き込まれなくてよかったな。あいつらこんな路地裏で火炎瓶使うとか阿呆なのか」
     テキパキと傷の有無やら何やらを確かめるのも手慣れている。乱暴で雑なイメージが強いが、彼は弱い者に対して横暴な振舞いをすることはない。
    「大丈夫、だ……半分は生身じゃない」
     自嘲気味に笑った青年が、そう機巧義手の腕を掲げてみせた時、俯いていた顔を初めて上げた。切れ長の双眸涼やかなそれを見て、カゲトラの目が真ん丸に見開かれた。


    →続く