「お前、タツオミだろ!? タツオミだよな!」
     ぱっと珍しく嬉しそうな表情を浮かべて、カゲトラが声を上げる。言われた方の青年ーータツオミは一瞬きょとんとした表情を浮かべたものの、こちらもすぐに思い出したのだろう。強張っていた顔を綻ばせて、差し出された手を借り立ち上がった。
    「カゲトラか! 一瞬、解らんかった……久し振りだな」
    「おー、忘れてなかったか」
    「お前こそ」
     バシッ、とじゃれ合うように背中を叩かれる。
    「相変わらず無茶苦茶だな。変わりないようで安心したよ」
    「元気そうでよかった。連絡取ろうにも、玖街じゃまともに手紙とか届かねえからよ……にしても、鈍ったんじゃねえの? お前ならこんな雑魚共相手にならねえだろ」
    「あれから何年経ったと思ってる……現役のお前たぁ違うんだよ」
     明け透けな物言いに苦笑をこぼして、タツオミはふと傍らのナナキに気付いたらしかった。一瞬信じ難い、とでも言うように愕然とした表情を浮かべてから、カゲトラを見遣る。
    「お前……いつの間にこんな美少女を……え、もしかして何か弱み握ってるのか?」
    「オンナじゃねえぞ、相棒だ。ナナキ。えーっと、軍曹だから階級は俺より上か」
     それからようやくこちらへも紹介が必要なことを思い出したのか、
    「ナナキ、タツオミだ。俺のツレ」
    「何じゃ、その雑な説明は」
     言葉が足りないにもほどがある。
     呆れて眉を寄せるナナキに、自分が説明した方が早いと思ったのだろう。タツオミはす、と右手を差し出そうとして、機巧義手は気味悪がられるとこちらを慮ってか左手を差し出し直した。
    「タツオミです。こいつとは第九大隊の伊班で同期配属されまして、ずっと面倒見てました」
    「面倒見てたのは俺だ。お前最初、なよっちくて使えないっつってよくボコられてただろうが」
    「記憶にないな」
     こんな風に彼と気兼ねなく軽口を叩き合う相手、と言う者をナナキは初めて見た気がする。上官である黒須に対しても、カゲトラは不遜極まりない口調と態度を崩しはしないがそれとは何か違っており、一種の懐に入れた警戒心のなさを伺わせた。
    「主……ちゃんと友がおったのだな」
    「ぁんだよ、その言い方……俺がまるでぼっちみたいな」
    「しかし、そなた今軍属では……」
    「ええ、まあ……この通りの身体ですし。退役してからは専ら日銭稼ぐ労働者です」
     機巧義肢をひらひらと振って苦笑しながら、タツオミ。従軍者が戦闘でその四肢を失い、御役免除として職務を解かれることは珍しくない。それは強制徴兵で無理矢理に連れて来られた下層区画の住人も例外ではなく、ただでさえ貧困を抱えた彼らから大切な働き手を奪った挙げ句、傷物にして返すあまりのやり口にも関わらず、涙を痛みを飲まねばならないのが現状だ。
     ろくな手当もされないまま、傷を膿ませて死ぬ者も後を立たない。こうしてどうにか日常生活を送れているタツオミは、充分に運がよかったと言える。
    「そう言えば、お前妹は元気か? いっつも後ろに引っついてたちっこいのがいただろう? 名前、何つったっけ……えーっと……」
    「イチカ」
    「そうそう、イチカだ。二つ、三つ離れてたよな」
    「ああ……三つ下だった。ちょっと病気でね……この街じゃ、薬で先延ばしするのが精一杯さ」
     タツオミの表情が刹那、翳る。それは本当に一瞬で、この暗闇の中ではよく見ていなければ見逃してしまいかねないほどの微かなものだった。けれど、それをすぐに拭い去ると彼はとん、とカゲトラの胸を小突いた。
    「だから、助かったよ。お前がこの金取り戻してくれて。ありがとな」
    「いいってことよ、気にすんねぃ! ちょうど俺もむしゃくしゃして……んん゛、ゴホン! ああいや、とにかく今度からはちょくちょく顔出すから、何かあったら俺に言え」
    「頼もしい限りで何よりだよ」
     かつてはよく、そんな顔をして笑っていたのだろうか? 少しだけ童心に帰ったような表情を浮かべると、タツオミは重ねて礼を言い、ナナキに丁寧な一礼をして踵を返した。
    「じゃあ、今日は本当にありがとな」
    「おい、送るぞ」
    「大丈夫だ、本当にすぐそこだから」
    「お前もちゃんと診てもらえよ! あと、あのあれ、今度飯行こうな!!」
     それ以上言葉を重ねることは憚られたのか、 カゲトラは角を曲がってタツオミの姿が見えなくなるまでずっとその背中を見送っていた。その口元はいつも以上にぐっと一文字に引き結ばれている。
     悪事を諍いを取り締まるだけでは、到底足りない。それらで飯を食い、生活が成り立つ者がここには集まっている。そんなことをしても、ただ鬱憤と不満が溜まって行くだけだ。それは弱い者へ弱い者へと向けられ、延々と断ち切れない負の連鎖を生み出し続ける。この街にはこんなにも救いを『普通』を求める者が溢れているのに、必要なものがなさ過ぎた。
    ーーこんなんじゃまだ……守ったなんてでけえ面出来ねえわ……
    「…………戻ろう、カゲトラ。夜も遅い」
    「…………ああ」
     絶望にはまだほど遠い。
     そっと背中に添えられた手に、ぐっと拳を握り締める。


    →続く