三日後ーー上層区画、帝都ヒガシノミヤコ。
     総督府から蒸気四輪で十分程南に下った場所に、国立鐵道蒸気機関車の駅舎が新設されている。硝子張りで、忙しなく歩廊(ホーム)に出入りする車体を見下ろせる待合室は、着飾った者たちで賑わっていた。外国で流行っていると言う軽食や飲み物が味わえる喫茶店が併設されているため、そちらに足を運ぶ客も多いせいだろう。
     幾本も走る線路(レール)、豪奢な壁の装飾、磨き上げられた敷瓦(タイル)、 瓦斯燈、 目を見張るような正面玄関口の大きな機巧時計。機関車の黒光りする鋼鉄の体躯はいかにも力強く、蒸気を噴き上げる汽笛の音や車輪の漕ぎ出される様は、間近で見ると圧倒されるような迫力に満ちている。この場に立ち、耳目をそばだてていれば、ヒノモト帝国は間違いなく新進気鋭の強豪国として、世界に肩を並べたと鼻を高く出来るだろう。
     客車六両と貨物車二両、燃料を積んだ一両の計九両の威厳に満ちた姿は、実に堂々たるもので最高速度時速二百粁(キロメートル)を誇る。
     その中にあっても一際異彩を放つのが、政府の限られた者しか使用の許されていない超特別客室と、そこから直結す専用車両だ。
     金箔で軍章である八咫烏が横っ腹にでかでかと刻まれた先頭車両は、当然のことながら内装も『華美』を体現した有様で、深い緋色の天鵞絨(ベルベット)生地の貼られた長椅子のフカフカ具合と来たら、下層区画の住民が数年働いても切符を手に入れられないであろう四等車両の雑さと比べても、目が眩みそうなほどであった。
    ーー帰りてえ……落ち着かん……
     ちかちかする視界をごまかすように、 目を細めているカゲトラの人相は不機嫌さも相俟って凶悪犯のごとく悪辣であったが、彼を召還した当の金烏本人は少しも気にしていないようであった。
    「よかったね、カゲトラ。普通なら、一生乗る機会なんかなかっただろう?」
    「乗って行かなきゃならねえとこもねえんで」
     無愛想な声音とぞんざいな口調に、彼の傍らに立っていた親衛隊員からじろりと殺意を帯びた視線が投げかけられる。本当なら「向かいの席に座れ」と誘われたのだが、辞退と言うより断固拒否した辺りからカゲトラが腹立たしい ことこの上ないのに違いない。 言外に「この平民風情が」と言いたいのを、 御前であるから喉元ぎりぎりで堪えているのがよく解る。
     かたん、かたん、と規則正しく枕木を食む車輪は思うより静かで、揺れもあまり感じなかったが、蒸気四輪よりも遥かに大きな鉄の塊が、それを凌ぐ速さで走っていると言う現実がまだきちんと認識出来ていないのだろう。飛ぶように過ぎて行く車窓の景色を見遣るカゲトラの眼差しは、座りが悪いとでも言いたげにぴりぴりと警戒心に満ちている。
    「今度から総督府に来る時は、蒸気四輪じゃなくてこれに乗ってくればいい。 玖街までしか通ってないけど、それでも何時間も運転するよりましだよ」
    「……玖街には通ってるんですか」
    「意外かい? でもこの国には他に歓楽街がない。士族、華族だって遊びに出向くことはある。 まあ、捌須賀(はちすか)寄りだし目立たないように作られてるからね。 君が知らなくても無理はない」
     知ってたか、と視線で問うてみるも、ナナキも微かに首を横に振る。 彼女も殆んど廃棄区画で過ごしているのだから、あの街に明るくないままなのだろう。それよりもカゲトラは、彼女の表情がいつもの明るさを潜めているのが気に食わなかった。具合が悪い、と言う訳ではないようだが、軍部の連中を前に萎縮しているような空気すら感じられる。
    「…………」
     いや、 ナナキが嫌だと思っているのは刺すような敵意ではなく、目の前でにこにこと無邪気な笑みを浮かべている金鳥だけだろうか。
    「俺ぁ、あんまり好きじゃないですね。 運転を他人に任せるってのは。 命握られて檻に閉じ込められてるみたいだ」
    「ふふ、それは慣れてないからだよ」
     笑う総督は全く心配していないようだったが。
    ーー刀ぁ振り回すには狭すぎる……死角が多い、短筒は? どのくらい損壊したら、走行に支障が出る? 蒸気駆動が遠過ぎて見えねえのも気持ち悪い……襲われたら無防備過ぎる……
     どの辺りを通るのかおおよその説明は受けたし、比較的治安が安定している街を走ることも納得はした。ゆくゆくは、もっと路線を増やして平民でも気兼ねなく使えるものにしたいのだと言ってはいたが、カゲトラに言わせれば決まった道だけ走るものは狙ってくださいと首を差し出しているに等しいものだ。 先回りし、持ち伏せし、線路の一部でも壊してしまえば、くそ重たい全身を横転させずとも機関車を止めることは容易い。軌道の上しか走れない、他に走っているものがあればまだしも現在は単線だーー何かあれば、助けを求めるのは困難だろう。況してや、通信が途絶えがちになる山間部であれば、 蒸気戦車(タンク)などは通れやしない細道ばかりだ。
    ーーああ、そうか……
     出発前に感じた違和感が、 今さらのようにじわじわと突き上げる。
     予感と言うにはあまりにも確信的な。
     普段あまり総督府から出ることのない金烏が、何故わざわざ急ぎの用でもないくせに廃棄区画へ出向こうとしているのか。何故わざわざその護衛に二人を指名したのか。
    ーーこいつ……何か襲撃の情報を掴んで、自分を餌に反政府組織を吊るし上げる気か……!!


    →続く