それから一時間ほど、蒸気機関車は順調に廃棄区画へ向かって走り続けた。
     相変わらずどんよりとした廃煙に覆われた空のせいで、 素晴らしいと手放しで喜べるほどではなかったとは言え、普段廃材と瓦礫が立ち並ぶ景色しか目にしない二人にとっては、充分魅力的な自然と街並みが広がっていた。日が差さずとも枯れないように独自に進化した草花と、多少の家畜、蝶や鳥たち。色とりどりの建物一つ一つは、上流区画に佇むもののように荘厳さはないものの、牧歌的で長閑な風景は荒廃し殺伐とした渇いた風の吹く下層区画では想像も出来ないものだ。
     引け目を感じたことはなかったが、それでもこの何分の一かの穏やかさがあの街にも訪れればいいのにと願ってやまない。
     けれど、下って行くごとにその色は次第に褪せてくすんで行き、 少しずつ少しずつ澱を含んだように濁り始めた。
     途中駅舎が見える度に蒸気機関車は停車し、人々が乗降のために行き来する。大きな駅、小さな駅を問わず乗客は少なからず入れ替わり、窓の外の人混みを力ゲトラは珍し気に見遣っていたのだが、それも下層区画へ近づくにつれて徐々に少なくなって行く。先頭車両に総督自身が乗っていると言うのに、貸し切りなどにはしない辺りがいかにも罠じみていて、背筋が薄ら寒さでぞわぞわする気がした。
    「カゲトラは随分といろんな部隊を渡り歩いているようだね」
    「はあ……まあ、そうっすね」
     移動の最中、ここで仕事を執り行う訳にも行かず手持ち無沙汰だったのだろう(最高決定権を持つ彼が扱うものとなれば、それこそ最高機密だ)、ちょくちょく世間話の体を装って金烏から繰り出される質問に、カゲトラ自身は辟易していた。事細かな報告まで彼の耳に入っていないことは理解出来るが、今まで相対して来た士族や華族と言う人種は下々の人間に興味を持たないことが常であったからだ。
     同じ立場であるなど不遜だとすら考えている者が殆んどで、下層区画の者など犬畜生と大して変わらないと正面切って口にすることを憚らない輩の方が圧倒的に多い。
     とは言え、にこにこと絶えることのないその笑みが、純粋な好奇心ばかりで出来ているようには到底思えないが。
    「どこの部隊が一番強かった?」
    「部隊としては、黒葉信周(くろば のぶちか)隊が」
    「ああ……あそこは毎年開かれる御前試合でも、 上位成績者が多いからね。でも、『部隊としては』って言うのはー対一でやったら負けないって言うことかな?」
    「俺は今までオウガ大隊長以外に負けたことはないんで」
    「……それは頼もしいなあ。そう言えば、空軍や海軍に興味は? まだ配属されたことないだろう?」
    「言ったでしょう、乗り物に閉じ込められるのが好きじゃない」
    「成程」
     普段の力ゲトラからすれば、口調も物言いも随分と控えめであったが、やはり隣に立つ親衛隊員たちにしてみれば不遜無礼極まりない調子なのであろう。総督本人が不快そうな気配を微塵も見せないため押さえてはいるが、いつ抜刀して斬り捨てられたものか定かではない空気が、びりびりと重苦しく車内を覆っている。
     気付いていない訳ではなかろうに、と横目で伺いながらナナキは相方がいつ地雷を踏み抜くか気が気ではなかった。
    「じゃあ、何故十三大隊には長居してるの?」
     すう、と細められる黄金色。
    ーーああ、そいつが本命の質問か……
     傍らでナナキがその両拳をぎゅっと握り締めたのを知ってか知らずか、力ゲトラは面白がるような金烏の眼差しを真正面から受け止めて答えた。
    「俺ぁどこも自分の意志で出たことはないです」
    「へぇ?」
    「命令に従えないクズ兵士は要らねえと、上に楯突く生意気な家畜は要らねえと、たらい回しにされてるだけです。十三大隊はまだ、俺に辛抱してくれているだけだ」
     ここでだって仕事内容に伴って、大概の無茶をしている。それを今のところ黒須やナナキが問題にしないでいてくれるだけだ。
    「じゃあ、同じように言われたら出てくの?」
    「少なくともこいつは」
     カゲトラはちらりとナナキへ一瞥をくれてから、にやりと不敵な笑みを浮かべてみせた。
    「そんなこたぁ言わないですよ」


    →続く