蒸気機関車は何事もなく下層区画へと入った。
     ここに駅舎はただ一つしかないため、実質玖街に設置されたその場所が終点と言うことになる。中流区画最後の駅ではどっと乗客が降りて行く様が見られ、成程こんなものに乗っていると言うのは、即ち降りた瞬間に身ぐるみ全てを剥がれても文句は言えない街だった、と言うことを嫌でも思い知らされた。
    ーーってか、よく考えたら線路って上質の鉄だろ? よく今まで引っ剥がされなかったもんだ……
     監視の目がある訳でもないだろうに、例え堅固な監視があったところでこの貪欲な街の住人が、黙ったまま指をくわえて見ている、と言うのはいかにも薄気味悪い。
     まだ突如として現れた文明の利器を遠巻きに観察している、と言うのが正しいのかもしれないな、と考え、男は退屈と共に欠伸を噛み殺した。今日は特別厳戒態勢で、罷り間違っても関係者以外をこの車両に近付けさせるな、との命令だった。
     とは言え、もうこの機関車に乗客は殆んど乗っていないはずである。終点までの半刻は楽なものだ。
     親衛隊、とは名ばかりの末端で殆んど傍に寄せて貰えたことのない男からすれば、総督は一般市民の視点と変わらず雲上人であった。野犬だの何だのと悪名高い下っ端が同じ車両に招かれているのが単純に面白くなかったし、速いとは言え長時間何もせずに立ちっ放しでいるのにもそろそろ飽きて来る。
    ーー暇だな……
     下に向けた視線をぼんやりと正面に戻した時、不意にがらりと車両同士を仕切る扉が開いた。
     立っていたのはそこそこ背の高い男である。頭巾を被り、外套を纏っているせいでその正体も素顔もとんと知れない。下層区画の中にはほんの僅かな光でも皮膚が爛れてしまう体質の者も少なくないため、そうした格好は兵士も目にしたことはあったが、彼が怪しいことには変わりなかった。
    「おい、貴様。ここから先は立入禁止だ。何人たりとも通す訳にはいかん、戻れ」
     威嚇の声を上げて、しっしっと犬猫でも追い払うように手を振れば、大抵の者は『触らぬ神に祟りなし』と言わんばかりに事を荒立てることを嫌って、こちらの顔色を窺いながらすぐ踵を返すものだ。
     が、頭巾の男はじり、とさらに一歩踏み込むと、外套の裾に隠すようにしていた右腕をおもむろに突き出した。しゅるりと言う衣擦れの音と共に包帯の下から露わになったのは、目を背けたくなるような傷や病気に蝕まれたそれではない。
    「な…………っ!?」
     思わず絶句した。
     瓦斯灯の光を弾く鋼鉄の肌が、見張り番の目の前できりきりと微かな音を立てながら禍々しい姿に変貌して行くではないか。
     失った四肢を補うために機巧義肢と言うものが開発されたのは少し前のことで、彼もそうした技術で仲間が救われたのを目の当たりにしたことはある。故に造り物の腕に驚いた訳ではない。それは男の知る機巧義手とはまるで様相が違っていた。
     組み替えられたそれはヒトの手、ではない。
     頭巾の下で、男が嗤ったのが見えもしないのにはっきりと解った。
    「別にお前のような輩の許可など必要ない」
    「強襲、強襲ーーーーっ!!」
     辛うじて腰の得物を抜きながら見張り番が叫んだのと、男の右掌がカッと閃光を放ったのはほぼ同時であった。刹那、轟音と激震が辺りに響き渡る。ふしゅ、と廃蒸気が巻き上がる粉塵を蹴散らした向こう、吹っ飛んだ豪奢な扉と見張り番の残骸を踏み締めながら、事態を把握しかねているのろまな第一大隊の面々を睥睨して、男は不敵に笑った。
    「さあ、天誅の幕開けだ」


    →続く
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