3.

    「定期検査……?」
    「うむ……まあ、蒸血症候群(じょうけつしょうこうぐん)の病状が進行しておらぬか、他に異常を来しておる箇所がないか、月に一度診て貰っておるのじゃ」
    「…………ふーん…………」
     それは『何かあれば』即処分をするためなのか、とも思ったが、帝国軍はナナキを最終切札にしている節もある。寧ろ、彼らの都合のいいように彼女の身体が弄られていなければよいのだが。
    ――そうそう無下には扱わねえ、か?
     しかしナナキの表情が晴れないのは、自ら望んでのことでもなければ、気の進むような内容でもないからだろう。それでも断固拒まないのは、自分が安心したい部分もあるからかもしれない。
    「だったら、さっさとすませちまおうぜ。何か起こった時に、どっちも身動き取れないんじゃ不味いだろ」
    「……そうじゃな」
     残りをかき込んで席を立つと、二人は支度を整えてから蒸気四輪に乗り込んだ。大体いつも操縦環(ハンドル)を握るのはカゲトラだ。蒸気駆動に火を入れ鞴(ふいご)を踏み込むと、ぶるりと、身体を震わせた鋼鉄の獣がゆっくりと走り出す。
     廃棄区画の景色はどこもかしこも灰色の廃墟ばかりだ。崩れ、朽ちかけ、ゆっくりと終焉に向かう――或いはとうの昔に終わってしまっているものの墓場。
     路面は舗装などされておらずがたがたの悪路だし、泥濘やいつ地盤沈下するとも限らない箇所を用心しながらの走行になるため、意外と神経を使う。運転が出来ない訳ではなかったが、ナナキはあまり好きではなかった。かと言って毎度飛空挺を飛ばすのも何だか大袈裟な話で、カゲトラが来てくれたのはそう言った意味でもありがたい。
    「そう言えば、この前黒須(くろす)サンにうちは増員ねえのか、って訊いてみたんだけどよ」
     片手で器用に操縦環を操りながら、煙草をくわえて火をつけると、カゲトラは細く紫煙を吐き出した。
     如何に特殊任務を担っているとは言え、隊員がたった二人では負う責務が多過ぎる。ましてや、先日のように人手が必要な探索や捜査などの面ではとても追いつかず、これでは肝心の対応が後手に回らざるを得ない。
    「あの小っさいオッさん、全然役に立たねえ……っつーか、やる気ねえぞ。『一応上に話は通しておくけど……』とか何とか言ってやがったが、ごり押しして無理矢理捩じ込めってんだよ! こんなんじゃおちおち休みも取れやしねえじゃねえか!!」
    「まあ、わしのこともナレノハテや陰人(オンヌ)のことも機密事項だからの……関わる人間は最小限であるに越したことはないし、何よりなり手がおるまいよ」
    「俺の場合は強制異動だったんだけど選択肢とかなかったんだけど」
    「…………すまぬ」
    「まあ、あれこれ面倒くせえ奴らと関わらなくていいし? 本っ当、士族はクソみてえなのしかいねえからよ。その点じゃお前にゃ感謝してるけどな」
     ふん、と鼻を鳴らす横顔はいつも不機嫌な仏頂面のせいで、本当に怒っているのかどうかいまいち判別がつかない。けれどカゲトラは嫌で嫌で堪らなかったら、どんな手段を高じてでも十三大隊を出て行くだろうから、まだこうして付き合って籍を置いてくれていると言うことは、満更でもないと思っていいのだろう。
     やがて蒸気四輪は玖街(くがい)を抜けて、中流階層区画へと入った。その南部に帝国陸軍本部は構えられている。
     比較的安定した生活を送っている人々が住まうこの区画は、色とりどりに趣向を凝らした様々な店が建ち並び、活気に溢れている。穏やかでどこかゆったりとした空気の漂う街並みは、見慣れた下層区画とは違い、和やかな雰囲気で若干の余裕が伺えた。
     そんな中で一際目立つ赤煉瓦造りの堅牢な陸軍本部は、威圧的な空気を撒き散らして辺りを睥睨しているようで、景観などまるで考えていない無粋さが、この街に受け入れられない最大の原因だと言うことを、そろそろ理解した方がいいとナナキは思っていた。
     大体如何にも、と言う見た目を装っているのは、帝国軍の威光を示したい彼らからすれば至極当たり前の選択だったかもしれないが、陰人(オンヌ)や反乱組織やもし交戦となった際の諸外国などからすれば、ここを陥落(おと)せば終わりだと自ら声高に主張しているようで、実に愚の骨頂なのである。
     そんなことを提言したところで耳を傾けてくれるような冴えた思考と広い視野の持ち主は、残念ながらこの組織には頭から末端まで一人もいないが。
     その傍らを通り過ぎ、三キロほど北上した辺りにくすんだ灰色の軍属病院が建っている。カゲトラが事あるごとに担ぎ込まれているここが、今日の目的地であった。


    →続く