4.

     ナナキの指示で裏手に蒸気四輪を停めると、そのまま二人は裏口を潜った。
     緊急搬送口とも違う――まるで関係者でなければ見落としてしまいそうな、こっそり出入りするためだけに作られたような狭苦しいそこには、開けた途端既に係の人間だか担当の人間だかが一団待ち構えていて、慇懃無礼な一礼と共に出迎えられる。
    「お待ちしておりました、ナナキ軍曹。ご健勝そうで何よりです」
    「うむ……今日はよろしく頼む」
     慣れた様子で先立って薄暗い階段を地下へと降りて行く白衣の背中に、カゲトラは小さく舌打ちをこぼした。
     瓦斯(ガス)灯を絞るにしても限度がある。明るいところから暗いところへ――人間の目は慣れるまで暫しの時間を要する。彼はその時間が普通よりも短い性質を訓練によって手にしていたが、万が一にも現在襲撃されたら大損害を被ることだろう。
     埃っぽい饐えた臭い。
     普段使われることはないのだろう空間は、息が詰まりそうな重苦しい気配が充満していた。それはまるで、長年降り注ぎ蓄積された死の刃のような。
    ――壁は普通の混凝土(コンクリート)……脆いな……
     いくら検査を行うだけとは言え、ナナキを迎え入れるにしては軟弱過ぎはしないか――そう手を這わせた建材にはたと小さな光の粒が紛れているのに気づいて、眉間の皺が一層深くなる。
     蒸血症候群(じょうけつしょうこうぐん)患者に取って猛毒とも言える銀が、極々微量ではあったが練り込まれた混凝土なのだ。その身体の自由を奪い、体内の機巧を黙らせる――完全停止出来るほどではないにしろ、その間に最小限の被害で彼女を制圧するための対策は取られていると言う訳だ。ナナキの顔色が優れないように見えたのは、何も室内の暗さだけではないらしい。
     しかしそれでも、毅然と背筋を伸ばした姿勢を崩さず一行に従う彼女に、同情や心配など寄せて、その矜持を無下にするような無粋だけはしてはならぬと思った。
     何階分か下って行き着いた最下層は、厳重そうな施錠をされた分厚い鉄扉が奥へと物々しい顔立ちでいくつも佇んでおり、如何にもな雰囲気を醸し出していた。危険度の等級を示すものなのか、赤字で某か書かれた札が貼られたりかけられたりしており、例え迷い込んだとしてもおいそれと歩みを進めることを許されなさそうだ。
     と、白衣の先頭の男が徐にその中の一つを開けて、ナナキを中へと促した。
     当然、後に続いて扉を潜ろうとしたカゲトラは、しかしその直前で立ち塞がった男に行く手を阻まれた。
    「君は外で待っていたまえ」
    「あ? 何だよ、見せられねえ卑猥な検査でもしてんのか?」
    「卑猥ではないにしても、そんな様子を見られたい婦女子はいないと思うがね。繊細さ(デリカシー)の欠片もないな、君は」
    「テメーらが妙な真似しねえかどうか見張りが必要だろ? 密室じゃ何してるか知れたもんじゃねえからなぁ」
    「カゲトラ」
     好戦的な光をぎらつかせて男を睨みやる相方に、ナナキは苦笑しながら窘める声を上げた。
    「仮にも病院の敷地内ぞ、抜くな。すぐ終わる故、そこで待っておれ。何なら四輪に戻っていても構わぬ」
    「…………解(わぁ)ったよ」
     無意識に兵装の柄にかけていた手をゆるりと解くと、カゲトラは深々と息を吐いてから威嚇するように再度男へ鋭い視線を投げ、壁に背中を預けて凭れた。
    「あと言っておくが、ここは禁煙じゃぞ」
    「だったら俺が切れて暴れ出す前に、さっさとすませろ阿婆擦れ」
    「うむ、では行って来る」
     笑って踵を返した背中を奪うように、ゆっくりと鉄扉が歯の浮く音を立てて閉ざされる。揺らぐ瓦斯灯の炎に舌打ちして懐を探りかけ、
    「禁煙とかクソかよ……」


    →続く