5.

     あのヒナギクの一件からこっち、カゲトラは単独で何度か廃坑に潜って、ヒナタ研究員が私物化していた辺りを中心に調査を行っていた。
     玖街(くがい)にばら蒔かれた『ナレノハテ化を促す』阿片の試薬を少しでも手に入れられれば、と思ってのことだったのだが、大爆発の影響でかその後液状化した有毒瓦斯(ガス)に流されたせいでか、生憎と結構な広さで探索してみたものの、それらしいものを手に入れることは未だ出来ていない。縄張り(シマ)内の邪魔者が消え失せ、再び市場完全掌握が叶ったコチョウは左団扇で優雅に笑っていられるだろうが、ただ単に余所者を追い払えば話は終わりとならないカゲトラからすれば、渋面を崩せないのが現状だった。
     玖街を調べても一包すら出て来ないのは、如何にも不自然ではないか。
     ヒナタ研究員が計画の終了を見越して早めに売りを引いていたとしても、買った使用者がその見込み通りに阿片を使用するかどうかまでは予見出来まい。まだ手元に持っている輩は必ずいるはず、と見て調査しているものの、たった二人でこの闇深い街を根刮ぎ隅々まで調べて回るのは不可能に近い。
    ――それにしたって、まるで誰かが意図的に回収して回ったみてぇな綺麗さだ……
     研究室跡に碌な資料が残っていないのも気にかかる。
     ヒナタ研究員がヒナギクを治療しようとしていたにしろマガツヒト化しようとしていたにしろ、蒸血症候群にも連なりかねない不治で未知な血液の病気を患っていた妹には、様々な手段を高じたはずだ。その血の分析結果や試した治療方法の数々、はたまた彼女をナレノハテ化させた手段と経緯――膨大な書類の中からそれらだけが上手いこと、燃えて灰になるなどと言う偶然が、果たして起こり得るものか。
    ――そもそもあの辺りはそんなに燃えてなかった……液状化瓦斯も室内にまで入ってはなかったはずだ……
     最初に足を踏み入れた時は負傷の痛みや何やら様々な条件状況が重なって、正確に室内の様子を記憶出来たとは言い難い。故にその当時と何か異なるところがあるかと問われても、カゲトラは自信を持ってここが違う、と言える訳ではなかったし、多分変わったところはないだろう。
     故に明確に違和感を伝えて来るのは、その本能的な嗅覚だけだ。
     或いは、変わっていることを気づかせないくらいそっくり『必要ない情報』と『求める情報』が自分たち以外の何者かに寄ってすり変えられていなければおかしい、と言う秘密を探るが故の自負、か。
     そんなものがあった保証など始めからなかったし、もしあったとしてもこそこそ物証を始末するより、カゲトラたち二人を始末する方が圧倒的に楽で合理的だ。
     たった何度か顔を合わせた程度の人間の内面など知る術は持たないし、科学者技術者が皆几帳面に記録を残しているとは限らない。カゲトラを動かしているものはただ、あの日記を目にした限り、ヒナタ研究員はそうしたものをきっちりつけていそうだと言う、こちらの予想根拠でしかない。
    ――あとはもう、中流階層区画(このあたり)にあるだろう自宅を探索するしかねえ……っつっても、俺に住所教えて貰えるわきゃねえし、いや、ガキがいた病院を当たる方が先か……
     白黒はっきりつけてしまわなければ決まりが悪い。誰に命じられた訳でもないし、カゲトラにどうにかする義務がある訳でもなかったが、
    ――このくれえしなきゃ、大見得切ってぶった斬ったのに言い訳出来ねえだろ……
     果たして行き詰まった現在、一体どうやって捜査を進めたものか。あまり頭を使う作業、ちまちました物事には向いていない、と自覚しているカゲトラは、今後のことをそろそろナナキときちんと話さねばならないだろうとも思っていた。
    ――それにしても、多分今日は無理だな……
     すぐ終わる、と言っていた割には既に彼女が扉の向こうに姿を消してから六時間が経過している。いろいろ検査項目があるにしても、やはり一度も出て来ないのはおかしくないだろうか?
    ――そろそろ乗り込んでも文句言われる筋合いはねえよな……
     苛立ちをぶつけるように背凭れていた壁から身体を起こし、魔神兵装(ましんへいそう)の柄に手をかける。閉じたきりうんともすんとも言わない取っ手を握ろうとした瞬間、まるでその怒りに呼応するように、それががちゃりと音を立てて回った。


    →続く