よほど難儀な検査をされたのか、その顔は紙のように蒼白で血の気が失せており、足元も力が入らないかのようにふらふらと心許なかった。
「おい、ナナキ!!」
こちらの顔を見た途端に、緊張の糸が切れたかのようにその場に頽れる小柄な身体を辛うじて受け止める。ゾッとするほど体温が下がり、その口元からは凶悪に尖った犬歯が――吸血衝動に駆られたが故の牙がこぼれていた。
「…………すまぬ、カゲトラ」
「お前、血ぃ抜かれたのかこの馬鹿!!」
確かに症状の変異が見られるとすればそこしかないだろうから、肝心の汚染された血液を調べるより他にあるまいが、それにしてもただでさえ貧血気味の体調のようなものを、ここまで徹底しなくても良かろうに。
渋面のまま舌打ちをこぼすと、カゲトラは躊躇なく襟元を寛げた。そのまま抱えたナナキの後ろ頭をぐいと寄せる。
「早よ飲め」
「嫌じゃ……今は加減出来ぬ、っ」
「いいから。軟弱なテメーと違って、ちょっとやそっと血吸われたくらいで倒れやしねえよ。暴走止める方が大変だろうが! あとこれ恥ずかしい。めっちゃくちゃ恥ずかしい。だから早よしろ」
重ねてそう言えば、ようやく納得したのか堪え切れなくなったのか、ナナキの腕がそっと背中に回った。
首筋に寄せられた柔らかな口唇の感触、濡れた熱い吐息が肌に触れたかと思うと、つぷ、と立てられた牙が侵入して来る。痛みはない。けれど確実に他者が己の中に踏み込んで来た独特の感触はカゲトラの全身を総毛立たせ、生命を啜り上げられる得も知れぬ快感に、理性が丸ごとぶん殴られたような心地に陥る。
「…………っ、ぅ……」
「ん、む……っ、はあ……」
いつもの口唇から吸血される行為が児戯に思えるほど強烈な衝動に襲われるのは、恐らく溢れる血量に比例するからなのだろう。くらりと視界が歪んで思わず伸びそうになる手を鋼鉄の意思で自制したのは、ナナキがあまりにも必死な様子だったからかもしれない。
――くそ、据え膳辛ぇ……
上がりかける呼吸を懸命になだめて、相方が落ち着くのを待つ。ぎゅっと握る手が少しだけ温もりを取り戻したような気がした。
「……すまぬ、もう大丈夫じゃ」
どのくらいの時間そうしていただろう。実際には大した時間など経過していないのだろうが、あと少し長ければ暴走していたのはこちらかもしれない、と内心苦い思いを嚥下しながら、カゲトラはナナキを放した。
「俺の俺は大丈夫じゃねえ」
「…………こんなとこでなど、嫌じゃ」
「期待してねえよ馬鹿。未通女いふりすんな」
わざとらしく頬を染めて視線を逸らすナナキに舌打ちをこぼして、カゲトラは襟元を正すと踵を返した。器用なことに溢れた血はなく汚れたりなどはしていない。
「カゲトラ」
「……ぁんだよ」
「いつもありがとう。感謝しておる」
「…………おう」
改めて真正面から礼を言われると照れ臭い。ばりばりと後ろ頭を掻いてから、手持ち無沙汰になった手はそのままナナキに伸ばされることなく、懐を探って煙草を一本取り出してくわえた。
「どうせなら、言葉じゃなくて態度かモノで表してくれよ。俺ぁそう言うの信じねえ性質だ」
「考えておこう」
どうせ本気でそう言っている訳でもなかろうが、これ以上弄るとカゲトラは本当に怒ってしまうだろうから、そう笑ってナナキは切り上げた。
階段を上りきり、さて胸糞悪い建物を後にしようとしたところで横合いから声がかけられる。
「カゲトラ君、ここ禁煙だよ。外出るまで火はつけちゃ駄目だ」
→続く
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