7.

    「黒須サン」
     この場に似つかわしくない軽薄な声音と率直(フランク)な物言いは、視線を向けて確認するまでもない。彼らの唯一無二の上官である第十三大隊隊長の黒須泰介(くろす たいすけ)大佐である。
     相変わらず縁側で茶を啜るご老公を思わせるような(実際そんな高齢ではないのに)ほてほてとした歩調でこちらへ向かって来る彼を、カゲトラは何とも言えない面持ちで見やった。
    「……何やってんすか、こんなとこで」
    「うわー、心外だなぁ……そのいかにも『部下に仕事を押しつけて遊ぶ上司と出食わしちゃった』みたいなしょっぱい顔」
    「俺の本心が、余すところなく正確に伝わってるみたいで何よりだ」
    「あのね、こう見えても僕は存外忙しいんだよ? 君たちみたいに現場で戦えない分、本部といろいろ調整したりとかさぁ」
    「はいはいそーですかありがとうございますご苦労様です」
    「うわ、微塵もそんなこと思ってない口調!」
     駄々っ子のような表情で言い訳して来る黒須を無視して扉を開けると、外へ出るなりくわえた煙草に火をつけて、カゲトラは深々と紫煙を吸い込んだ。ゆっくり肺を巡らせてから細く吐き出す。
    「あー美味え……死ぬかと思った」
    「大袈裟じゃな」
     苦笑したものの、待たせたことを悪いと思ったのか、ナナキは階段に腰を下ろした。一本消費するくらいは付き合ってくれるらしい。
    「今日こっちに来たのだって、ナナキ君の検査日だったの思い出したからなんだよ! 伝えなきゃならないことがあったから」
    「わしに?」
    「いや、二人に。明日で構わないけど総督直々に召喚命令があった。朝一で総督府に行って来て欲しい」
    「総督府へ? 何故じゃ」
     上層区画のど真ん中に立つヒノモト帝国最大の蒸気機関『タカマガハラ』――この国の生活動力の殆んどを賄っていると言っても過言ではない、天に楯突く鋼の高層建築物の地下にある総督府は文字通りこの国の要だ。
     現ヒノモト帝国王帝にして、帝国軍の指揮全権を保持する最高権力者たる、総督金烏(きんう)が坐す心臓部。
     本来なら軍部でも、四大士族か華族五家しか足を踏み入れることを許されない、彼らに取っての聖域へ、一体どんな理由があれば召喚される羽目になるのか。たった一兵の平民など人外の兵器など、この国最高峰の男にとって虫けら同然だろうに。
    「嫌だね、面倒くせえ」
     はん、と鼻を鳴らして紫煙を吐き捨てたのは勿論カゲトラだ。
     こう言う高圧的な命令のされ方が大嫌いな男だから、理由や内容如何ではなく本能で反射的に拒否してしまうだろうと言うのは、黒須も想定の範囲内である。よくもこれまで処刑されずにこの軍で生き残って来られたものだ、と呆れつつ、
    「いや、面倒くさいだろうけどお願いだから行って? じゃなきゃ、僕が殺されちゃうんだけど」
    「用があるなら、向こうから出向いて来るのが筋だろ。俺は会う理由がねえ」
    「わしも……気が進まぬ。と言うより、わしが行くのはまずいと思うがの」
    「そこはもう気にしなくていいよ。ってか何も考えないで感情も置いといて、とにかく行って。命令だから。よりにもよって総督直々に言われたことだから! 僕だって、聞いた時びっくりしたよ」
     不機嫌な仏頂面はますます凶悪さを増していたが、カゲトラが更なる暴言を吐くより先にナナキが解ったと了承したものだから、黒須はほっと安堵の息をついた。
     何か言いた気に舌打ちをこぼしてそっぽを向く相方へ、
    「本当に出向いて来られて、一方的に銃を突きつけられて話をするより、まだましじゃろう」
    「何でだよ、行った先で蜂の巣にされるかもだぞ」
    「だが壊したところでわしらの生活に支障はない」
    「ああ、そうか成程」
     そう言う彼女の顔色を伺う限り、決して進んで望んでのことでないのは明らかだ。
     軍部を蛇蝎のごとく嫌っている自分と、対抗する術を持ちながら心底では恐れているナナキと、一体どちらが強く嫌だと思っているだろう。どうあれ、彼女が行くと言うなら、着いて行かない訳には行かない。
    「いいね、とにかく絶対行ってね。伝えたからね!」
     くどいくらいに念押しして自分の蒸気四輪へ向かう黒須の背中を見遣ってから、最後の一息を吐き出すと、カゲトラは短くなった煙草をぽい、と投げ捨てて苛立ちを込めて軍靴の底で踏み消した。


    →続く