それから強化硝子の嵌め込まれたゴーグル付きの瓦斯被甲(ガスマスク)をこれまた隙間なくきっちりと被り、分厚い手袋を二重にして嵌めると、ようやく準備は完了だ。
一抱えはある携帯空気貯蔵庫を背負い、被甲からぶらりと下がった配管を繋いで作業道具を担ぐ。
総重量は三十瓩(キログラム)を越えるそれらを毎度抱えたまま、地下深くまで潜るのは大層な負担だったが、仕事を選べる立場にない人間に文句を言う資格はない。
不幸な事故に巻き込まれて死のうが、身体を汚染されてのたうち回ろうが、誰も気にかけてくれはしないのだ。否、そうした危険が他の人間に比べれば格段に低いタツオミだからこそ、きつい汚い危険の三重苦が付き纏いはするものの、この仕事を回して貰えると言っても過言ではない。
回転錠を数度唸らせて分厚い鋼鉄の蓋を開けると、中から黴臭い空気が溢れ出して来る。いや、被甲を被っている以上外界の空気は遮断されているのだから、臭いなど解るはずもないのだが(もし感知出来たらそれは、どこかに空気の入り込む余地があると言うことに他ならない)、目に見える訳でもないそれの気配を嗅覚は感じ取っているらしい。
緊張を緩和すべくぺろりと舌で口唇を湿らせ、タツオミは影のように僅かな隙間に身体を滑り込ませた。
途端に視界がほの暗い鈍色から、純黒の闇へと塗り替えられる。
暗視用へと透鏡(レンズ)を切り替え、貯蔵庫の目盛を切り替え、タツオミはその中へ足を踏み入れた。歩幅は小さく、急ぎ足で歩く。制限時間は二時間だ。行き帰りのことを考えると、作業時間は僅かしか取れない。
替えの貯蔵庫を抱えて潜れば、まだ長い時間この区画に留まれるのだろうが、余計な荷物を増やすのもあまり誉められたことではなかった。欲をかいて許容範囲を越えてしまうと、何かを得るどころか一番大事なものまで失ってしまいかねない。
ざくざくと何かの破片を踏み締めていたと思ったら、次の瞬間にはぬるぬると纏わりつく粘着質な何かが床を埋めている。その一つ一つが何かなど気にしていては、この区画を歩けはしない。
大事なのはそれが何かなどではなく、自分の足がどうにかなる前に先へ進むことだ。時は金なり、と偉大な先人の言葉にもあるように、焦りは禁物だが無駄なことに意識を向けている場合ではない。
廃棄区画最下層『幽獄窟』ーー先の戦争でヒノモト帝国の国土西半分を消し飛ばした兵器が炸裂したために、地盤沈下して崩落した最悪の汚点。
その際にばら撒かれた有害な化学物質のおかげで、未来千年この地で生きて行ける者は存在しないと言われている具現化した地獄。
そこから汚染されていない滅びた世界の残骸を発掘して、タツオミは生計を立てている。
本来なら立入禁止区域に該当するため、見つかれば即時射殺されても文句は言えない盗掘だ。しかしそもそも廃棄区画に軍部が訪れることは殆どない。向けられる危険の低い銃口よりも注意しなければならないのは、こんな場所でも生きようと独自の進化を遂げた生き意地汚い者たちである。
→続く
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