「俺さー、犬飼ってたんだけどこの前死んじゃってさー」
     火をつけないまま少年がくわえている煙草の先が、喋る度にプラプラと揺れる。その能天気とも言える口調はおおよそこの場に似つかわしくはなかった。
     耳障りな音を立てながら、換気扇が煮えそうな空気を辛うじて撹拌している。そこに微かに混じるのは、羽虫の飛び回る不快な音だ。部屋を満たしているのは、おおよそこの世で再現出来る限界の地獄の象徴だった。
     床を隙間なく埋めてうず高く積まれたゴミの山。その大半がプラカップやらアルコールの空き缶やら、あとはいつのものか考えたくもない残飯と古雑誌である。そこにばら撒かれるように散った空のPTPシートやらパケの残骸。
    「お前はサボテンだって枯らしただろ」
     部屋の奥ーー血塗れで転がる半裸の男女を見聞していた女が、舌打ちと共に立ち上がって少年を見やった。
    「……ダメだな。片方は頭かち割れてるし、もう片方は内臓出てる」
    「いや、そもそももう虫も集ってる半腐り死体から拾えるものなんかないでしょうに。あとサボテンは枯らしたんじゃなくて、水のやり過ぎで根腐れしたんですー」
    「どっちにしても生き物の世話をする、と言うことに向いてないんだよ」
    「朱華(しゅか)さん酷いや」
     胃の中のものが全てひっくり返りそうな程の悪臭が立ち込め、そこここで虫の這い回る気配がする。閉め切られていた先程までは、それこそ蒸し風呂のような暑さだった。
     水も出ない。
     電気も止まっている。
     遮光でないカーテンに閉じ込められた小さなこの世の終わりのような世界。
     珍しくはない。
     けれどありふれてもいない。
     誰もが見ないふりをする中で、それでも確実に存在している悪意の吹き溜まりのような。
     カラカラカラ……
     乾いた音を立てて換気扇が回り続けている。
     羽音と腐臭と何かの蠢く音と。
     転がるヒトだったものの奥ーー壁の隅、ゴミ山に埋もれるようにして小さな身体を丸めている子供に向かって、少年はなおもニコニコと嘘くさい笑みを投げかける。
    「だからベッド空いてるんだけどさー……お前、来る?」
     薄暗がりの中で、大きな双眸がじ、と少年を見つめ返した。警戒している、と言うよりは何故そんな申し出をするのだろう、と疑問を抱いている顔をしている。
    「やめておけ。言ったろう、生き物の世話をするのにお前は向いてない」
    「生きてるのも死んでるのも大差ないよ。な、どうする?」
     再度促され、子供は困ったように朱華の方を見やった。彼女が反対している以上、頷いては駄目だと思ったのだろう。他人の顔色を伺うことが習慣となっているらしい。
     が、口を開くより先にぐうう、と彼の腹の虫が答える方が早かった。一体どのくらいまともな食事をしていないのだろう。汚れたTシャツとハーフパンツから覗く手足は枯れ枝のように細い。
    「うんうん、この状況で腹減るってお前サイコーだね。じゃあ、とりあえず飯食いに行こっか」
    「……本気で言ってるのか」
    「あー、その前に風呂入れってこと?」
    「そうじゃない」
     先んじて部屋を出た朱華は、おずおずと伸ばした子供の手を引く少年を見やって溜息をこぼした。
    「お前にこの子の命の責任が取れるのか、と言う意味だ。エン」
    「まあ……」
     安物ライターで火をつけて、一つ紫煙をふかした少年ーーエンは、無様に床に転がる死体を見やってから鼻で嗤った。
    「アレよりはマシでしょ」
    「……どうだかな」
    「あ、そうだ。お前名前は?」
     問えば、ふるふると首は横に振られる。
     まあ、この手の子供はきちんと届けが出されているかも怪しいものだ。
     しばらく考えるようにんー、と眉を寄せたエンはカンカンと足音を立ててボロい外階段を降りている内に思いついたものか、
    「じゃあ『トワ』。今日からお前トワね」
    「トワ……」
     もしかしたら口がきけないのではなかろうか、と危ぶんだ子供は、戸惑い気味に与えられた名前を舌に乗せる。そして初めてはにかんだような嬉しそうな笑みを微かにこぼしてみせた。