「しゃ、社長! どうなされたんですか? 今日はもうご帰宅されたのでは……」
「ああ……そのつもりだったんだが、急遽取引先から連絡があってね……どうしても急ぎの案件だと言うから、引き返して来たんだ」
「はぁ……それはご苦労さまです」
カードキーを翳して、ジェフリーは足早に部屋の前を通り過ぎて行く。
彼が直々にやり取りしているクライアントがいることは、何となく警備員も察していた。夜間や休日などでも時たま、そうした『特別対応が必要な懇意の客』のため、ジェフリーが出社して来ることはそこまで珍しくない。
「『彼ら』あってこそのトイボックスだからな」
が口癖の社長が奮闘しているから、外資企業でもここまでシェアを伸ばすことが出来たのだろう。
ーードーナツつまみ食いしてる場合じゃないな……
生真面目な警備員は、ペーパーで指を拭って闇に沈む出入り口へ視線を向ける。
当然彼のような一般職員は、自分の勤めている会社が、本当はどんなものまで取り扱って利益を上げているのか、知る由もない。社長の『懇意の客』が何を求めてこんな時間に無茶なオーダーを通すのか、知る由もない。
薄ら暗い闇は、すぐ隣でぽっかりと口を開けて獲物が落ちて来るのを待っているなどと言うことは、平穏に生きる彼らは想像すらしたことがないだろう。
ーーまあ、だからこそこうして……ありとあらゆる夢や希望を売ることが出来る……
その単語が意味するものは何も、きらきらと美しく輝くものだけではないのだと、ジェフリーは社長室階まで直通のエレベーターに乗り込んだ。
数十秒の沈黙後、軽やかな音を立てて鉄の箱が到着を告げる。
人気のない廊下は足を踏み出すと共に、パッと照明が灯った。主の帰還と共に目覚める忠実な城だ。が、ジェフリーが扉に辿り着く数歩手前で、音もなく柱の影から銃を構えた魔導人形が姿を現す。
「止まってください」
いつもならジェフリーの出入りには構わないように告げているのだが、昨日まんまとバレットなる若い怪盗を取り逃がしたことで、エドガーからこっぴどく叱られていた。警戒モードが引き上げられているのだろう。
「構わない、私だ。急ぎの仕事が入って戻った」
「止まってください」
なおも銃口を下げない魔導人形。
「じゃあ、早く照合しろ。急いでいると言っただろう」
溜息を吐きながら、ジェフリーは彼を見遣る。こう言うところはどうにも融通がきかないものだ。
が、彼はなおも、
「通せません」
「おい、魔導人形……ふざけている場合じゃ……」
「いえ、私のシステムが照合したデータ自体は貴方を主人(ロバーツ)と認識しています。ですが、彼はお気に入りの女性の誕生日パーティーをすっぽかして戻って来るほど仕事熱心ではないですし、貴方ならこの機を逃さずここに来る、と思いましたので」
「…………成程。そいつぁ調べが足りなかったな、あのスケコマシ。約束通り、また来たぜ」
瞬間、その口からこぼれたのはまるで違う声。
舌打ちと共にばさりと変装を脱ぎ捨てると、それで相手の視界を塞ぎざま閃光は懐の銃を抜いた。そんなものが目眩ましになるほど、この魔導人形は生易しい相手ではないことは百も承知だ。
「無駄です、いくら速くても弾丸は私には当たらない」
物理法則へ干渉し捻じ曲げ意のままに書き換える〈魔法術〉を使える彼を捉えるには、認識出来ても捌けない数の弾雨で攻めるか、その〈魔力〉が処理出来る限界を超えた一撃を叩き込むしかない。かつてガトリングガンすら凌いだと言われる相手に、それはたった一人で、如何な通常の弾速よりも速い得物を閃光が手にしていたとて、そうそう簡単に成せることではなかった。
「悪ぃが、狙いはお前じゃない」
バンッ!! と思ったより大きな音を立てて魔導人形の銃身が弾け飛ぶ。ほんの少しのズレでもあれば叶わないーー銃口を撃ち抜くと言う離れ業を、このたかだか十代の少年は、顔色一つ変えずにやってのけたのだ。人間であれば、見事に両手を吹っ飛ばされて、使い物にならなくなっていただろう。
ーーこれが……『バレット』の才能……
一体どれほどの余力を隠し持っているのか、魔導人形を持ってしても正確に底を測れない。
けれど目の前の彼に覚えたのは畏怖でも恐怖でもなく、ただ純粋にその桁違いの手腕を披露しあえる『期待』だった。極限まで高めた技術を、普通では到達出来ない領域を、互いが死なないすれすれのラインで繰り広げるーーそんな相手は長年戦場を渡り歩いた魔導人形も巡り会ったことがなかった。
そう、紛れもなく初めて、魔導人形はワクワクと高揚感を覚えていたのだ。
ともすれば、次の瞬間にはどちらかが血飛沫と共に床に倒れているかもしれないのに。
→続く
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