4.

    「話はスワロウテイルから伺っていますわ」
     にこりと柔らかな笑みを浮かべる目の前の女性に、閃光は黙ったままカップに口をつけた。
     彼女の名前は仁科(にしな)いろは。
     スワロウテイルが紹介してくれた仲介屋である。
     裏社会に身を置いているとは到底思えない深窓の令嬢然としたおっとりした印象だが、優しそうに笑うその双眸は決して好意的な光を浮かべてはいない。使える駒か否か、見定めようとするような冷徹な計算高さが奥の方に微かに伺える。
    ーー虫が好かねえが……まあ、そのくらいの方が逆に信用出来るか……
     情で仕事をする人間は、この世界で生きるのに向いていない。その熱い想い故に、いつか何らかの理由で足を引っ張られる可能性がある。互いに利用し合うくらいの冷めた距離感がちょうどいい。
     店内には羆のような体格のマスター西表馨(いりおもて かおる)が一人、カウンターの中でグラスを磨いている。
     こちらの話を聞いていないフリをしながらも、隙なく注意は払われているようだ。わざわざいろはがここを指定して来たのは、恐らく彼も事情を知って協力的な立場にあるからなのだろう。
     まかり間違って一般人が迷い込んだりしないよう、奥まった路地にひっそりと佇む看板や案内すらない店構えと言い、他に同業らしき客すら姿が見えないことと言い、情報が漏れないように徹底されているようだ。
     会話の邪魔にならないボリュームで流されるジャズピアノ。挽きたてのコーヒーと入り混じった煙草の匂い。時間の流れをゆったりと感じられる昔ながらの喫茶店だ。
     座りの深い落ち着いた色のソファーも、磨き抜かれた美しい木目の床も、飾られた絵画や花のセンスも嫌いではない。が、のんびり観察してその空気を楽しんでいる場合でもなかった。
     早速、向かいの彼女から先制のジャブが放たれる。どうやらこの世界は、主導権を取るために率先して場を制そうとして来る輩が多いらしい。
    「二代目と仰ってましたけど……でも、本当にお若く見えますのね。いくつでいらっしゃるの?」
    「多分あんたより『随分』下だけど、年齢で仕事する訳じゃねえだろ。それとも、ガキだと信用ならねえって言うつもりか?」
     この手のやり取りは、下手に出て舐められたら負けだ。一度刷り込まれた立場の意識を覆すのは容易ではない。躱しざま、こちらも一撃放っておく。
     じろりとサングラス越しに投げたこちらの眼差しに怯んだ様子もなく、いろはは汗をかいたアイスティーの雫をつ、と指先で辿ってみせた。
    「そんなつもりはないですわ……ただ、依頼の内容上坊やが侵入(はい)るのはどうかと思うような、口にするのを憚る場所がたくさんあるのも事実ですもの。曲がりなりにも仲介屋として、パートナーに要らぬ心的外傷(トラウマ)は負わせたくないでしょう?」
    「お心遣い痛みいるが、生憎そんなに初心じゃねえわ。無駄な話はいい、さっさと俺に回せる仕事をくれよ」
     言いながら、閃光は仲介屋に手を差し出して見せた。何気なくぱっと翻して開かれたその黒革手袋の掌の上には、いろはがつけていたはずの薔薇を模したピアスの片方がころんと横たわっている。
    ーーいつの間に……!
     驚いて確かめた耳元は、間違いなく右側のピアスがなくなっていた。本物だ。どうやってかは解らないが、閃光は触れられた気配をいろはに感じさせることなく、小さなアクセサリーを奪ってみせたのだ。
    「…………そのようですわね。解りましたわ、では早速一つお願いしたいものがありますの」
     いろははピアスを受け取り、鞄の中から手帳を取り出すと、その間に挟んでいた一枚の写真をこちらに押しやった。
     写っているのは壮年の白人男性ーーが、その鋭い双眸は恐らく一般人(カタギ)ではないのだろう。いくつもの修羅場を潜った者だ。身につけたスーツも高級品、周囲を取り囲んでいるボディーガードらしき数人は軍隊上がりか。彼らが常に行動を共にしているとなると、少々面倒くさそうではあった。
    「男の名前はジェフリー・ロバーツ。アメリヤ合衆国の実業家ですわ。トイボックスってECサイトをご存知? そこの日本支社の社長。本家のトップのご令息だそうなの」
    「『揃わないものは何もない』のアレだろ? …………で?」
    「この日本支社ビル最上階の社長室に、〈在りし日〉と言う〈魔晶石〉で出来た時計がありますわ。網膜認証、指紋認証、音声認証、パスコードの四段階の強固な鍵があって、開けられるのは勿論、ジェフリー本人のみ。ああ、生体認識付きだそうですから、殺して該当部位だけ持って来ても開かない仕組みになっておりますわね」
    「成程……ナントカと煙は高い所が好きってのは本当らしいな。最上階ってのは、侵入るのも逃げるのも易い最も守るに適さない場所だってのに。因みに獲物の大きさは?」
    「……二〇センチ四方の置時計ですわ。重さは五〇〇グラム。これが実物の写真。報酬は一千万円、とのことですが……いかが?」


    →続く