右耳のピアスが非常灯の光を反射して輝く。
隙なく構えられたグロック17。同じ衣装と装備を纏っているのにいまいち毛色が違うのは、もしかすると追加で呼ばれた傭兵か何かなのかもしれない。少なくともスワロウテイルがくれた情報の中に、彼の存在は含まれていなかったはずだ。
ーーやべえ……不味そうな奴に見つかった……
「へえ……それで、俺の前に来た奴らは全員くたばっちまった訳だ」
背中を冷たい汗が伝う。
ヒトの数倍五感が鋭いはずの閃光が、こうまで完全に不意を突かれてしまったのは、
ーーこいつ……音も匂いもねえ……
それどころか、通常向けられるはずの殺意や害意も全く感じられない。淡々としている、と言うにはあまりにも平坦な、表面をなぞっているだけのような。どれだけ訓練を重ねていれば、これほど気配を消せるものなのか。
銃口は寸分の狂いもなく、こちらの心臓をぴたりと狙って動かない。
「ええ、ここまで来たのは貴方が初めてだと思いますが。でも、無駄な殺しはしない方がいい。貴方もこんな下らないことで命を捨てるのは、勿体ないことだと思いませんか? まだお若い、時間は有効に使うべきだ」
「何が無駄かは、お前に指図されなくても自分(テメー)で決めるわ。こっちにも退けねえ理由があんだよ」
瞬間、閃光は懐の銃を抜いて予告なく一撃を放った。予備動作の一切ないその早撃ちは、ヒトが反応出来る速度を遥かに上回っている。弾丸は正確に相手の銃を弾き飛ばして、その両手を衝撃で痺れさせているはずだった。
がーー
撃つと同時に力一杯床を蹴って、青年の懐に飛び込んだ閃光を、鋭い銃声が迎え撃つ。
「…………っ、」
避けた動作で軌道修正が間に合わなかったのか、それはこちらの左肩口を浅く掠めた程度で外れた。とは言え、おおよそ並の人間が取れる反応ではない。
ふ、と短く息を吐き出すと共に、上背で勝る彼の顎を狙って掌底を繰り出す。紙一重で躱されたところを、反対の死角から横腹を抉る一打。加減しているとは言え、喰らえばまともに呼吸を整えるまで最低三十秒はかかる。
けれど、捉えたはずのそれは思っていたよりも重い反動を拳に返して来て、伝えるはずだったダメージを届けられたとは言えなかった。その証拠にきれいなバックステップで距離を取られる。
反対にリーチの長い蹴りが鋭く浴びせられ、大きく上体を反らされた。瞬間、無防備になった胸倉を掴まれ、背中から派手に床に叩きつけられる。強制的に肺から酸素を吐かされて、意識が刹那真っ白に染まった。
「ぅぐ……っ、」
眩む視界、けれど再び銃口を突きつけられるより疾く引き金を引く。青年にマウントを取られまいと跳ね起き上がり、なおも一撃。負けじと撃ち返される弾道から逃げながら入口の鍵を狙うも、やはり彼を倒さない限りは、認証行動すらさせてもらえなさそうだ。
ーーくそ……マジかよ、俺のスピードについて来る……
パワーは出力を上げれば勝てるかもしれないが、彼を怪我させたい訳ではない。けれど、向こうも全力を出しているとは言い難い気配を感じる。手加減をされているのは初めてだ。経験値は相手が上、だとしたら正面突破するためにどこなら自分が勝てるか。久し振りに覚える焦燥に、思わず笑みがこぼれた。
こちらを近づけまい、と連射されるグロック17の咆哮。
けれど、正確に吐き出されるが故に『狙いやすい』。迎撃の照準は合わせるべくもない。
「無駄弾使うな、って怒られるような、ケチなオーナーでもねえってか」
「…………っ!」
コンマ数秒遅れで放たれた閃光の弾丸が、一つ残らず青年の撃った弾丸を撃ち落とす。弾き飛ばすのではなく、真正面から衝突して互いの鋼がひしゃげる様が、研ぎ澄まされた視界ではっきり捉えられた。
ーー勝てるとしたら銃(こっち)の方だ……
装填数はグロックの方が多いにも関わらず、手数で閃光が勝り次第に青年を圧倒して行く。じりじりと後退らせられている自覚はあったのか、彼は先程停止警告を発したラインをこちらが超えた瞬間、無謀を承知で弾雨に向かって突っ込んで来た。
閃光としても、解錠にかける時間を考えたらもうあまり彼にかまけている余裕がない。この交戦を聞きつけた下の警備兵だって、そろそろ駆けつけて来るだろう。
「くっそ……怪我しても恨むなよ!」
狙いは両手足。
普通なら一発でも痛みでそうそう動けはしないだろうが、彼に限っては身体が動けば間違いなく反撃して来ることを想定しての四連射だ。しかし、狂いなく牙を穿ったはずの弾丸で青年は止まらなかった。
ーー血が出てねえ……何か仕込んでやがったか!?
間合いに踏み込まれる。
右の大振りはフェイク、すぐさま腰を捻って繰り出される下方からの拳をぎりぎりで躱す。凄まじい音を伴う余波に前髪がぶわりと持って行かれた。
距離を取らせてもらえず、苦し紛れの反撃を繰り出すも拳も蹴りも受け止められる。
否、当たってもいつもなら胃液をぶち撒けて相手が倒れるはずなのに、一向に手応えを感じない。サンドバッグでもこれだけ殴れば傷むはずの自分の素手での攻撃が、これほど歯が立たないのは初めてだった。多少の装備くらいなら、衝撃は突き抜けて内臓に伝わるはずなのに。
ーー硬過ぎだろ……どうする……!?
逡巡している間に、逆に青年の放った回し蹴りの踵が鳩尾にねじ込まれる。咄嗟に後ろに飛び退って致命打は避けたものの、衝撃を殺すには至らず、閃光はそのまま吹っ飛ばされて壁に叩きつけられた。まるで大砲でも打ち込んだかのような派手な罅が刻まれる。
「ごほ……っ、ぁ……」
割れた破片で額でも切ったものか、どろりと伝った血を乱暴な仕草で拭う。
距離を保ったまま構えを解かずにいた青年は、はっとしたような表情で小さく息を呑んだらしかった。それを見て、ようやく閃光は己のサングラスが転げ落ちて、鮮血のごときその紅い双眸が露わになっていることに気がついた。
「貴方は、一体……」
そこに浮かべられていた表情は、多くの人間が反応しがちな恐怖ではなかったものの、珍しがられるのもいい気はしない。ち、と小さく舌打ちをこぼして、胸に乗っかっていたサングラスを拾い上げてかけ直すと、閃光は青年がかかって来ないのをいいことに、立ち上がり懐から煙草を取り出して火を灯した。深く一息吸い込んだ紫煙が、急上昇していた頭の血を正常に戻して思考回路を冷却する。
ーーもしかしてこいつは……いや、そんな低い可能性があるか?
「引き返して下さい。今ならまだ、貴方を殺さずにすむ」
→続く
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