が、それを目眩ましにするように愛刀を翻したアレンへ、ロキはさらに左手を突き出して術式を詠唱する。
    「空気中の酸素分子へアクセス、振動命令。運動による加熱現象、炎上爆発を実行」
     何もないはずの空間が辺りの空気を巻き込んで激しい爆発を引き起こす。鼓膜が揺さぶられ、真っ直ぐ立っていることが出来ずにミツキはその場にしゃがみ込んだ。しかし、アレンはそれがどうしたと言わんばかりの勢いで突っ込んで来る。爆炎を破って鋭い切っ先が突き出され、躱せずロキはそのまま右手を貫かせた。柄の辺りまで深々と刺さった刃を抜けないアレンの手を掴み、間近でさらに〈魔法術〉を爆発させる。
     が、アスファルトの上にまき散らされたのは鮮血などではなかった。
    「成程な……その鋼の身体、その〈魔法術〉……貴様〈魔導人形(オートマータ)〉か」
    「そう言う貴方こそ〈機械化兵(サイバー)〉だったんですね……〈大戦〉の二大負遺産がこんなところで合いまみえるとは、奇妙な縁もあったものです」
     完璧に――人間だと疑いもしなかった二人の正体が明らかになる。
     切っ先に貫かれたロキの手は人工皮膚が捲れてその下の機械体が露わになっていたし、アレンの吹っ飛ばされた右腕の断面からは配線ケーブルが垂れ下がっていた。
    「嘘…………」
     〈魔導人形〉は〈魔晶石〉をエネルギー源として動く機械生命体であり、〈機械化兵〉は脳以外の全てを鋼に変えた元人間である。
    どちらも泥沼化した〈世界大戦〉末期に、不足する兵力を補うため積極的に投入された〈兵器〉であるが、戦後は〈世界連邦〉政府が人道的な面から如何なる方面においても使用を禁止すべく、全面凍結及び廃棄処分の措置が取られたはずであった。
    ――二人もまた、闇に流された内の一つってこと……?
     だとしたら、ロキの『負の遺産』とはとんでもなく自虐的な言葉だ。
    ――でも、〈魔法術〉が使えるならロキの方が圧倒的に有利なんじゃ……
     しかし、ちらりと伺った横顔にはいつもの穏やかさも余裕も感じられない。閃光を援護しに行きたいと言う焦りを除いたとしても、やはり向こうは数多の死線を潜り抜けて来た本物の修羅なのだ。踏んだ場数も醸し出す迫力もまるで桁が違う。
    ――そうだ……ましてやロキには私と言うお荷物がいる……
     何かを守りながら戦うのと、ただ目の前の敵だけに集中すればいいのとでは、向ける注意の散漫さを考えればどちらが有利かなど言うまでもない。
     ぎりぎりと拮抗していた互いの力が、アレンの咆哮と共に崩れる。強引に刃をさらに押し込んだ彼はそのまま刀を割り下げて、ロキの手を斬り落としてしまった。例え機械の身体で痛みなど感じなくとも、その視覚的衝撃はかなりのものだ。咄嗟に息を詰めたロキに僅かな隙が生まれる。
     それをアレンは見逃さなかった。
     深く踏み込み、身体ごとぶつかるような重い一撃が放たれる。寸手で致命的な深手は避けたものの、彼との近接戦闘は明らかに分が悪い。勢いを殺さず地面を転がって距離を取ったロキは、〈魔法術〉を放つべく周囲の〈存在固定粒子〉へと干渉する。
     が、歴戦の男の狙いはロキを討つことではなかった。
    「『斬り割け、マサムネ』」
     瞬間、アレンの刀が蒼い光を放った。キーンとハウリングのような甲高い音に耳鳴りを覚えたのも束の間、ミツキは目に見えない何かが自分に迫るのを感じた。〈魔法術〉が発動したのだ、と理解したのと「ミツキさん!」とロキがこちらへ叫んだのはほぼ同時。
     だが、どんなに最速で防御用の〈魔法術〉を展開したところで、既に放たれた疾風を回避することなど出来るはずがない。
     誰の目にも、哀れな女が斬り刻まれて血飛沫に染まる瞬間が映るはずだった。
     バチ……ィッ!!
     まるで電気回路がショートしたような派手な音を立てて、ミツキの周囲で蒼い光が炸裂する。見えない刃は見えない何かによって悉く阻まれたのだ。
    「な…………」
     一番驚いたのは死んだ、と思ったミツキ自身である。一体何が起こったのか、と言わんばかりに自分の身体を見下ろし、傷一つ負っていない状況に目をぱちくりと瞬かせる。
    「え……アレ? 私……何ともない?」
    「ふん……持ち主を守ったか『暁』……指輪ごときが忌々しい」
     正確には彼女の持つ『天道』のおかげなのだろうが、そんなことは二人しか知らない。一人ごち、アレンは再度物理的にミツキを葬ろうと一太刀を振るうが、如何な神速の剣とは言え既に幾度かその太刀筋を目にしたロキは、寸手の紙一重で刃を受け止めた。
    「退いて下さい!」
     ロキの残された左手はアレンの右腕の断面に思い切り〈魔法術〉を叩き込んでいた。アレンの全身に蒼いパルスが迸り、神経回路を浸食する。その圧倒的なまでの冷徹さと攻防における身体能力の高さで、対人間用としては抜群の威力を発揮した機械化兵ではあるが、唯一にして最大の弱点は〈魔法術〉に対抗する術を一切持たないことだった。
     戦場ではその特化した剣速で数多の魔導人形を屠り廃材へと貶めて来たアレンではあったが、ミツキのせいで完全にタイミングをずらされていた。
    「ぐ……ぅっ!」
     意志とは無関係に身体が動かなくなる。成す術もなく地面へ倒れ込んだアレンの姿を確認してから、ようやくロキは背後の主人を振り向いた。
    「閃光……」
     しかし、その視界に映ったのは何より残酷な光景だった。
     恐らく〈遺産〉なのだろう氷の如き刃が深々と閃光の体躯を貫き、背中からその切っ先が顔を覗かせている。傷ついた肺から喉を逆流した血が口唇から溢れた。ずるりとアスファルトに膝をくずおれる身体を受け止めることもなく、ウォルフはそのまま手首を返して太刀を振り抜いた。斬り裂かれた身体から飛び散った鮮血がびちゃりと地面を汚す。
    「か……は、っ……」
     短く息を吐き出した閃光には最早抵抗する余力など残っていないのか、ウォルフになされるがまま爪先でごろりと仰向けに転がされた。
    「閃光……っ!!」
     駆け寄ろうとするも間に合わない。
    「来る……なっ!」
    「後の〈魔晶石〉のことは僕に任せて、君はゆっくり寝ているといい……永遠にね!!」
     ロキの叫びとウォルフが地面に切っ先を突き立てる音が重なる。途端、爆発したような衝撃が辺りを貫き、アスファルトを食い破っていくつもの氷柱が顔を覗かせた。その先端はいずれも毒々しい赤に染まっている。
     一拍遅れる形で乾いた音を立て、閃光の銀色の銃が地面に落ちて転がった。この状況でも傷一つついていないそれを、拾い上げる不敵な笑みはどこにもない。
    「………………」
     それを見やったウォルフは緩やかな笑みを浮かべると、そのまま背後を振り返ることもなく立ち去ろうとした。が、これで邪魔者はいなくなったとでも言いたげな、悠然とした足取りを突如として響いた轟音が縫い止める。
    「な…………」
     ガラガラと不協和音を奏でながら崩れ去った氷柱の山から姿を現したのは、巨大な狼だった。夜闇の天幕よりもなお深い漆黒の毛並みに包まれた体躯は、優に四メートル程はありそうだ。辺りを見下ろす鮮血の如き真紅の双眸は炯々と輝き、口元から覗く牙はこの橋すら易々と噛み砕いてしまいそうな程鋭い。
     一度窮屈さを払うようにぶるりと身体を振るわせた獣は、ゆっくりとした足取りで散らばる氷柱を踏み締めるとこちらへと向き直った。
     ぐるぁぁあああ……っ!
     誇らしさすら窺える、凶暴で獰猛な咆哮が周囲の大気を振るわせる。
     突然現れた巨狼に、ただでさえパニック状態だった橋の上は更なる混乱の坩堝に叩き落とされた。悲鳴を上げ逃げ惑う者、我先にと怒号を上げる者、阿鼻叫喚の地獄絵図だ。
     その様を眺めていた巨狼は喧しそうに双眸を細めると、カッと口を開けた。凄まじい勢いで業火が噴き出し、巻き込まれた空気が焼かれて消し炭になる。跡形もなく熔けた車体を見て、誰もが背筋を冷たい汗で濡らしたに相違ない。
    「だ……駄目です、閃光!!」
     我に返ったロキは、慌てて両手を広げて巨狼の前に立ち塞がった。そんなものがこの獣に取って何の抑止力も持たないことなど解っていたが、それでも閃光のためにこれ以上の暴挙を許す訳にはいかなかった。
    「落ち着いて……しっかりして下さい!!」
    「……アレが、閃光だって?」
     さすがに圧倒されている様子で、ウォルフが遙か頭上にある巨狼の双眸を仰ぎ見る。
    「この獣が……天狼閃光だって? 君はそう言ってるのかぃ、魔導人形」
    「そうですよ!! 貴方が閃光を殺そうとしたからです!!」
     ロキは刹那だけ視線を移してウォルフを睨みつけると、何をやり取りしても無駄だと思ったのかすぐに巨狼に向き直り、低い声で呪文を詠唱し始めた。
    「『我が祖、我が父、我が母に連なる者、あるべきものをあるべく形作るもの』……」
     しかしロキをしてもそれだけ難解で複雑な術式の発動を待っている程、獣は愚かでも鈍くもなかった。
     力強くアスファルトを蹴って跳躍し、容赦なくロキへその牙を振るう。噛み砕かれる危機は紙一重で逃れたものの、まともに頭突きを食らう形になったロキは吹っ飛ばされて焼け残った車の瓦礫に突っ込んだ。
    「ロキさん! バレット……!! 貴方、自分の大事な相方のことも解らないの!?」
     上げかけた悲鳴を憤りの言葉に変えてミツキが叫ぶが、そもそもこの巨狼が人語を理解しているのかどうか怪しいものだ。巨狼はそのまま彼女を屠ろうと踏み込んで来る。
     死神の鎌のような牙がガチン、と空振りして乾いた音を立てたのは、ロキがミツキを庇って地面へと倒れ込んでくれたお陰だ。だが完全に躱す余裕はなかったのか、その背中は斬り裂かれて無惨な傷痕を晒している。
    「ロキさん……」
    「すみません……この状態の閃光は何を言っても解らないんです。元に戻った時も記憶がない……だからこそ、全力で止めなきゃならないんです」

    →続く