「そう邪険にするこたぁねえだろ。せっかく助けに来てやったのに」
     しかし、立派な髭を蓄えた口からこぼれたのは、先程の胴間声とは打って変わって低く張りのある若い声。聞き覚えのあるべらんめえな口調。
    「嘘……バレッ……」
    「静かにしろ。バレて諸共殺されてえのか」
     こぼれた涙と共に上げかけた声を掌で塞がれて、ミツキは目を白黒させた。それでも今まで押し潰されそうだった不安と絶望感はきれいに拭い去られ、胸の奥から安堵と別の何かがじわじわと込み上げて来る。
    「無事……だったんだね。もしかしたら死んじゃったんじゃないかって……」
    「まあ、何とかな。怪我してねえか」
    「あ……うん、私は平気。貴方こそ、まだ動けないって……」
    「脱け出したのが医者にばれたら、地獄に送られるだろうな。だがそう言って、呑気に寝てる訳にも行かねえだろう……オーバーに情報を流すのは常識だ」
     あれほどもがいても一ミリも外れる気配のなかった手錠が、閃光が少し力を込めるとあっさり壊れてしまった。ずっと強制的に無茶な姿勢を取らされていた腕も肩も痛くはあったが、動かせないほどどうにかなっている訳ではない。
    「すまんかったな……巻き込んじまって」
    「別に、貴方が悪い訳じゃ……」
     す、と閃光の手がミツキの両手を取り、手首に滲んだ手錠の痕をそっとなぞった。血は出ていないが見た目が痛々しいと言うか生々しく、改めて自分がどれほど危ない立場に立たされていたのかと言うことを自覚する。
    「危ない目に遭わせたし、怖い思いもさせた。こんなことなら、あの時お前に偽物なんか渡さなきゃ良かったな」
     武骨で無愛想で自分勝手な俺様なのかと思いきや、ウォルフが言ったように他人を危険な目に遭わせることに対して酷く敏感らしい。あれだけの自分でもコントロール出来ない力があれば当然なのかとも思うが、いつも自信満々な目の前の男が珍しく憮然とした表情を浮かべている様子を目にして、ミツキは思わず苦笑を浮かべた。
     先程の言葉で怖がられている、とでも思ったのだろうか。
     けれどあれだけ恐ろしい獣の姿を目にしてもなお、ミツキは閃光が怖いとは思わなかった。ウォルフとは対峙した瞬間、全身を戦慄が貫いたと言うのに。
    「とにかくのんびりしてる時間はねえ。悪いが、生憎テメーを守って脱出するこたぁ出来ない。外にゃあいつらの下っ端がうろついているかもしれねえが、ここから出て南に少し行ったところにロキが乗って来たボートが停まってるはずだ。一先ずそいつに隠れてろ」
    「……解ったわ」
    「もし、万が一本気でヤバいと思ったら、俺たちに構って躊躇するな。さっさと離脱しろよ、いいな?」
    「二人は?」
    「舐めんな。俺たちはどうにでもなる。柔いテメーと一緒にしてんじゃねえ」
     心配な気持ちがなかった訳ではないが、自分がどうこう言ったところで何か出来る訳ではない。ミツキに出来ることは今この場においてただ一つ、彼らの邪魔をして足を引っ張らないことだ。
    「それから、〈魔術式〉分解するまでテメーの指輪はもうちょい預かる」
    「うん……閃光」
    「何だよ、まだ何かあ……」
     続けて悪口雑言を吐き出そうとする口唇をキスで塞ぐ。近づいても今は変装のためにか煙草の匂いはしなかったが、触れ合った箇所は予想通り苦かった。
    「……………………」
    「それ、本当に本当に大事な指輪なの。絶対に貴方が責任持って返しに来てね」
     間近で双眸を真っ直ぐ見やってそう言うと、閃光はくっとあくどい調子で喉を鳴らした。
    「どうせそんな熱烈なお願いしてくれんなら、元の面の時にしてくれりゃあいいのによ」
    「あら、じゃあ届けてくれた時に御礼するわ」
    「要らねえよ、生憎不自由してないもんで」
     ふん、とやはり不遜な笑みを浮かべると、閃光はきいっと鉄格子を開いた。
    「それじゃあまあ、また後でな」


    * * *


     半ば以上予想していたことではあったが、ボートを降りて上陸するなりロキはマシンガンを片手にした男たちに囲まれた。別に客のように丁重に出迎えろとまでは言わないが、せめてもう少し礼節を弁えた者に対応して欲しいものだ、と思う。まあ、強盗団にそんなものを求める方が間違っているのだろうが。
    「お前がバレットの代理人か?」
    「はい、そうです」
    「持って来たものを見せてみろ」
    「……見せたところで、貴方たちに本物かどうかの区別はつくんですか? そうでないなら、早くウォルフさんのところに案内してください。こちらは時間が惜しいんです」
    「この、生意気な……」
     男たちが凶悪に眼差しを吊り上げて掴みかかろうとした時のことである。ばりばりっと耳障りな音と共に僅かな蒼い光が走り、彼らは声もなくその場に倒れ伏した。面倒事を起こさないためにスタンガン級の電圧〈魔法術〉を喰らわせたのだが、これはこれで目を覚ました後がうるさそうだ。
     取り敢えず彼らを縛り上げてから岩陰に転がすと、ロキは捨て置かれたままになっていると言う研究施設に向かって歩き始めた。地図データには何一つ残っていない場所ではあるが、スワロウテイルが人工衛星経由で手に入れたこの島のデータを使って見取図を作り、詳細を送ってくれたのだ。
    ――急がないと……
     先に潜入しているはずの閃光がミツキを助け出す算段になっていたが、果たして上手く行っただろうか? いかに彼の変装技術がすごかろうと、ウォルフたちと依頼主が互いの細かな癖まで把握しているような深い間柄でなかろうと、ほんの些細なことでばれてしまう危険とはいつも隣り合わせだ。
     今回は失敗が許されないだけではなく、本調子から程遠い彼には多くの負担と制限がかかることだろう。早く終わらせることでそれを少しでも軽減したい。
     研究施設は思ったより簡単に見つかった。それほど難しい地形でなかったのも幸いだ。古めかしいコンクリートの建物は、陽にあまり当たらないせいか苔生して蔦で覆われている。見張りはなし。
     一つ深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、ロキは意を決して建物内に足を踏み入れた。人間であったならどきどきと緊張で鼓動が早まったりもするのだろうが、生憎と自分を動かす器官は心臓などではない。それでも神経回路に僅かな高ぶりを覚えて、自然探るような慎重な足取りになってしまう。
     内部は研究施設であった頃の面影をその当時のままに残していて、エントランスに配置された受付の向こうにはたくさんの研究室が整列していた。他にもかけられた札を見る限りでは、資料室や実験室なども確認出来る。さすがにこの建物の構造やら何やらまでは解らなかったため、壁に貼られている案内図を頼りにするしかない。
     こうやって現在事実上葬られた建物であると言うことは、表向きの説明には描かれていない部分があると見て間違いないだろう。もしその場所にいられたらロキには解らない。
    ――機械化兵の彼なら索敵しちゃうんでしょうけどね……
     何とはなしにそう頭を過ぎった考えに、ロキは苦笑した。閃光がそんなことを口にした訳でもないのに、主人同士が対のように見えると無意識に己と彼とを比べてしまったらしい。機械の自分でも嫉妬などするのか、と息を吐いて思考を入れ替える。
     と、薄暗がりの中に僅かな気配を感じ取って、ロキは右手に意識を集中させた。
    「そこにどなたかいらっしゃいますか?」
     誰何に応じて姿を現わしたのはアレンだった。どことなく気まずい。
    「ウォルフ様の命で貴様を迎えに来た。指輪は持って来たか?」
    「勿論……ミツキさんは無事なんでしょうね?」
    「……取り敢えず命に別状はない」
     淡々とした口調に引っ掛かるものがなかった訳ではないが、今はとにかく取引を無事に終えることが大切だ。少なくともアレンが確認した時点では、ミツキはまだ囚われた状態だったのだろう。今この瞬間には閃光が彼女を救出している、と信じるより他ない。
    「解りました。案内、お願いします」
    「ついて来い」
     そう言うとこちらを振り向きもせずにアレンは踵を返した。
     罠、であるとも言えたが、立場上優位に立っているのはこちらである。このまま閃光がミツキを見捨てて本気で行方を眩ませたら、困るのは王手をかけた気でいるウォルフたちの方なのだ。
     黙ってその広い背中に続くと、アレンは案の定隠し通路から地下へと降り始めたではないか。これは案内がなければ、見つけるまでどれほど時間を費やしたか解らない。彼らが急ぐ理由は生憎思い当たらなかったが、追い詰められて切羽詰まっているのは確からしい。
     地下は長いこと空気が蟠り、滴る雨水に濡れて酷い臭いで充ちていた。数日間こんな空間に身を置けば、神経が参ってしまいそうだ。

    →続く