入り組んだ通路をどのくらい歩いただろうか。いつの間にか二人は研究施設の敷地内をとうに出て、鍾乳洞のような空間へ足を踏み入れていた。成程、やはりあの場所が後ろ暗い施設だったことに間違いはないようで、この通路ももしもの時のための非常用、脱出用のものなのだろう。
     ふと、一言も喋らずに先を行くアレンの背中を見やって、彼は一体どんな経緯でウォルフの下に就くようになったのだろう、と思った。
     嘗ては為政者の勝手のために他人を屠る殺戮マシーンとして最前線に立たされ、用が終われば全ての罪を被せるようにして処分される。人間に限りなく近づけて造られた物と、自らが壊れないために機械になった者と。立場は違えど恐らくは、彼も自分が閃光に救われたようにウォルフに某かを見出したのだろう。
    ――だからって同情も共感もしないし、出来ませんけどね……
     しばらく歩くと、やがて壁面に祭壇のようなものが掘られた広い空間が現れた。ウォルフはその祭壇の傍らに立ち、アレクセイ・ハーレンスキーが正面に腰掛けている。だがその立ち位置は逆に、全てが終われば依頼主の首を一刀で刎ねるため好都合な場所のように思えて、ロキは思わず知られないように溜息をついた。
     ミツキの姿は、ない。
     ウォルフが柔らかな笑みを浮かべたまま口火を切る。
    「やあ、わざわざお使いご苦労だったね、魔導人形。その後閃光の様子はどうだい?」
    「…………お陰様でまだ起き上がるどころか、人前に立てるような状態じゃありませんよ。傷も相当酷いし……しばらくは休業です」
    「それは残念だな……実を言うと、僕はあの閃光の完全獣化の姿を見てね、ますます彼が欲しくなったんだよ。やはりバレットは一介の怪盗如きに燻らせておくには惜しい男だ。君の方から、ぜひとも同盟の件を強く推して欲しいものだね」
    「勝手な……ことを」
    「それよりも一先ずは、手元の仕事を片づけようか。まさか、この期に及んで偽物なんか持って来ちゃいないだろうね?」
    「そんな時間の無駄なことはしませんよ。閃光は怒るかもしれませんが、僕にとっては彼の命以上に大事なものなんてこの世に存在しません。それよりミツキさんはどこですか?」
     問えば、ウォルフはちらりと視線を投げてアレクセイにそのまま質問を渡してしまったようだった。つまり最終的に彼女は伯爵の監視下にあったことになる。自分が指輪を持参していると聞いてから、取引が成立した形のウォルフに取ってミツキは用済みとなったからだろう。
    「女は無事に〈魔法術〉が発動した後に返してやる。なに、死んではおらんよ……使い物にはならなくなっているかも知れないが、な。さあ、早く指輪を出せ」
    「…………」
     促され、ロキは懐から指輪の入った箱を取り出した。少し考えてから、そのままアレクセイに放り投げる。一瞬驚いたような空気が向こう側に走ったが、彼は受け取った箱をゆっくりと開けてみせた。中には台座に収まった指輪が一つ。
    「おぉ……ついに、この指輪がワシの手に……」
     万感のこもった感嘆の言葉がこぼれる。
     それを伏せた視線でちらりと見やってから、ウォルフはアレクセイの背を押した。
    「さあ、閣下。〈魔法術〉を発動させます。この岩の上に指輪を」
    「うむ……」
    ――閃光……
     彼は一体どこに侵入しているのか。このまま指輪の〈魔法術〉を発動させようとしても、三つ揃っていない以上術式の効果は顕現しない。それでもこのタイミングを逃せば、ウォルフの手から『落陽』を奪うチャンスはもうそうそう訪れまい。
    ――閃光……!
     小さな指輪が岩の上に置かれる。
     ウォルフも懐から指輪を取り出して、隣り合わせで置いた。途端、共鳴するように蒼い輝きを発しながら、二つの指輪がゆるりと浮き上がる。
    「やった……やったぞ!! ついにこれで、ワシが長年探し求めて来た我が伯爵家の永遠の繁栄が……」
    「良かったですね、閣下。じゃあ、そのまま死んで下さい」
    「………………っ!!」
     ど……っ、とアレクセイの胸に突如切っ先が生える。その下に花弁を広げるようにじわりとスーツが朱に濡れ、豊かな髭の下の口唇から血の塊がこぼれ落ちた。
    「馬、鹿な……ウォルフ、貴様裏切るのか!?」
    「裏切る……? 閣下、人聞きの悪いことを言わないでいただきたい。あくまでも我々は、指輪を手に入れるまではご協力しましょう、と言ったのです。その後のこと? そこまで責任は持ちませんよ……言ってなかったですけど」
    「おのれ……この化け物が、本性を表わしおって……っ!!」
     しかし、老将はそれ以上の悪態をつくことが出来なかった。ゆっくりと斬り下げられた刃が、決して華奢ではないその体躯を獣の牙のように引き裂く。中身をぶちまけて倒れたアレクセイの残骸を蹴り飛ばしてから、ウォルフは実にきれいな笑みを浮かべてみせた。
    「貴方が言うものが人間なのだとしたら、僕は化け物でいる方がいい」
     ゆっくりと岩場を登ると、その紫暗の双眸が真っ直ぐにロキを捉えた。
    「君もそこでよく見ているんだ、魔導人形。僕の言葉が正しいのか、君のご主人サマの言葉が正しいのか……そして、どちらにつく方が利口なのか判断しろ」
     岩の上に置いた指輪へウォルフの手が伸ばされる。
    ――もう、間に合わない……
     指先に意識を集中する。せめてここで相撃ち覚悟で止めねば――きっと失わずにすむ命がまた消える。
     閃光がここにいたら、きっと同じことを思うはずだ。
     が、ロキの〈魔法術〉が発動するよりも早く、不意に岩の表面から凄まじい勢いで白煙が噴き出した。テレビやアトラクションの演出でもよく使われるそれは、閃光が好んで目眩ましに使用する方法である。
    「く……バレット、やはり来ていたな!? どこだ!?」
    「ボス、お怪我は!?」
    「別に問題ない……ただの煙幕だ」
     戸惑ったように声を上げるウォルフを背後に庇ってから、アレンが空気中に漂うそれを振り払うように抜刀する。同時に発動した〈魔法術〉の旋風が、白煙を一欠片も残さずに拭い去った。
     真っ先に岩の上を確認したウォルフは、二つ浮かんでいるはずの指輪を見やって鋭く舌打ちをした。
    「やられた……『暁』がない!」
    「そんな……たった数秒しか経っていないのに……」
    「数秒ありゃあ、俺たちには充分だ。なあ、違うか? 白い狼さんよ」
     不意に響いた予想外の――いや、寧ろ最もこの場に相応しい人物の声が、一同の鼓膜を叩く。白煙が収まった視界の中、アレクセイ・ハーレンスキーの死体があったはずの場所に忽然と姿を現わしたのは、まだベッドから起き上がれないはずの閃光だった。
     血溜まりを残して伯爵の残骸は、一つ残らず煙のように消え失せている。ウォルフの叛逆を見越して、白煙で視界が効かない間に再度作り物の人形とでも入れ替わったのだろう。
    「はー、ヤバかった。万が一斬られちまったらどうしようかと思って、ひやひやしたぜ。悪いが、テメーがいくら頑張ったところで、こいつの〈魔法術〉は発動しない。本来これは三部作だ。『暁』『落陽』と共に、この『天道』があって初めて永遠の繁栄とやらを約束する〈魔術式〉は完成する」
     言いながら、閃光はミツキの指輪を掲げてみせた。
     そこでようやく混乱から立ち直ったのだろう、ウォルフは薄い笑みを浮かべた。その双眸は偽りの柔らかさをかなぐり捨て、全てを斬り裂かんとする吹雪のように凍えている。
    「成程……油断したな、僕の悪い癖だ。やっぱり、君は面白い男だよ」
    「そりゃどうも……ってな訳で、このまま黙って退いちゃくれねえか? この勝負、俺の勝ちだ」
    「本物のアレクセイ・ハーレンスキーはどこにいる?」
    「テメーでも、事が終わって消すつもりだった雇い主のことは気になるのかよ?」
     くわえた煙草に火をつけながら閃光は皮肉気な笑みを浮かべてみせた。
    「心配しなくてもちゃんと『偽物の落陽と暁』を『偽者のウォルフ・キングスフィールド』が届けに行ったさ。案の定〈魔晶石〉が何たるかを知らねえ伯爵サマは、ガキみたいに大喜びしてたぜ。まあ、あんなクソ野郎……本物を渡して生き永らえさせたって、いいこたぁねえのかもしれねえけどな」
    「いつから……一体いつから入れ替わっていた!? あの男には、僕の部下の監視が着いていたはずだ」
    「さて……いつからだろうな? ああ、使えないからってそいつらを処分するような、可哀想な真似はするなよ? テメーが気づかないものを、パンピーな奴らが気づく訳なんてないんだからな」
     ふーっと白々しく紫煙を吐き出す閃光に、ウォルフの眼差しからさらに温度がなくなった。元々常に余裕綽々な彼の双眸には、あまり焦りや苛立ちと言った色が浮かぶことはないのだが、そんな感情も沸点を超えると凍えてしまうらしい。
    「調子に乗るなよ、閃光……一つの指輪を奪還したところで、まだ五分じゃないか。君の勝ちじゃない」
     未だ宙空を漂っていた『落陽』を乱暴に引っ手繰ると、ウォルフは慎重にそれを内ポケットへと収めた。ゆっくりと愛刀を抜き放ちながら、凶暴な獣が牙を剥く。
    「自分の力から逃げた出来損ないが、随分と僕を虚仮にしてくれるじゃないか。いいだろう、この際だ……徹底的に服従させてやる。どうと言うことはないさ、君を地べたに這い蹲らせてから指輪を奪えばいい。まあ、五体満足ではいられないかもしれないが、ね」
    「…………どうだか」
    「いくら君の放つ弾丸が他の銃を遥かに凌ぐ〈遺産〉のものだとは言え、そして君が銃遣いとして比肩する者などいない才能を持っているとは言え、それでもその牙は僕には届かない。視認された弾丸など止まっているに等しい、君の手の内は全て筒抜けだ!!」
     地を蹴り、ウォルフの身体が跳躍する。常人の目では既に追えるスピードではないその肉迫に、閃光は躊躇うことなく銃口を向けた。引き金を引き、銃声が昏い洞窟内に谺する。


    →続く