それから二人は、順にナレノハテが出現したと言う辺りを一つずつ調べて聞き込みに回った。店を訪ねれば包丁や鍋が飛んで来ること数度、取り囲まれて切っ先や銃口を突きつけられた数はその倍に上るだろう。
     佐々の件を除けば、ここ最近で起きた騒ぎは五件――それも徐々に周期が短くなっている。その内、三件はナナキが直に出動して鎮めることに成功しているものの、あとは彼女が動けなかった間に発祥していた。
     そのいずれも、死体が一片たりとて見つかっていないのは何故なのか。
    「時間帯が時間帯故にやはり目撃者もおらぬのう……まあ、訊ねた者たちが正直に話してくれていれば、と言う前提ではあるが」
    「としても、多分女はみんな玖街(くがい)の外から来てるだろうな。現場が北東部に集中してやがる。多分漆利木(しちりき)か捌須賀(はちすか)辺りの奴だな」
    「艮は鬼が来るから閉じよ、とはよく言うたもんじゃ。先人の言葉は全く正しいの」
     夜が更け、とっぷりと日が暮れるまで散々歩き回って見つかったものはと言えば、被害者が纏っていたのであろう着物の切れ端くらいなものだ。
     べっとりと付着した血だけでなく、泥や汚水で汚れ最早元が何色であったかなど判別出来やしない。
     ただ布地は特別高級ではなく、かと言って着古して擦り切れたようなぼろではなく、恐らくカゲトラの見立ては真実からそう遠くはないだろうとナナキは思う。
    「あとは阿片窟の辺りを回ってみるか……あっちはマダラの爺の領域に近いからあんまりうろちょろしてると、ヤバいんだがなぁ。どっちにしろ今日はもう四輪まで戻るぞ、これじゃあ突然刺されても解らなくなる」
     夜になるとこの国では、昼間上空に舞い上がって空を覆っていた廃蒸気の灰霧や煤が、夜露の湿り気を帯びて地上に降りて来る。
     じめじめとただでさえ気が滅入りそうな大気がなお一層重苦しさを増すのだから、政府が夜間の外出を控えるようにと勧告しなくとも、まともな神経の持ち主なら肺を患う危険を冒してまでわざわざぶらついたりしない。
     見通しが悪くなった靄(もや)の中では、携帯瓦斯(ガス)灯や提灯ごときの明かりなど何の役にも立たないからだ。
     自然闇夜に跳梁跋扈するものは、悪党か魑魅魍魎の類か――どちらに出会ったとしても、次の瞬間には屍になって路地裏に転がっている、と言うのが人々の共通認識である。
    「そうじゃの。車内泊して明日、朝からまた捜査した方が効率がよかろう。ところで、そのマダラとやらは三頭竜の一角であろう? コチョウと同じく阿片売買を行っておるのか?」
    「違え、お前会ったことねえのか? 爺は職人だ。ただその……真性の変態でな、材料が人間なんだよ」
    「はあ!?」
    「だから、人体使って機巧と組み合わせて何やかんやな調度品やらを作る、あっちの世界御用達の職人なんだよ。阿片窟の馬鹿共は阿片買う金を得るために、爺に自分の部品を売る奴が多い。死体が持ち込まれることも珍しくねえし、何か知ってるかもしれん」
    「……わし、そう言うのはちょっと……主一人で行って来い。陰ながら応援しておるぞ」
     思わず想像してしまったのか、青い顔で口許を押さえながらナナキがそう言う。
    「冗談じゃねえ、俺が生きたまま解体されたらどうすんだ! お前あれだけぐろけちょな死体の山築くんだから、寧ろ平気だろ、友達になれるだろ。お前行って来い」
    「嫌じゃ、絶対嫌じゃ! よし、もう阿片窟はなしにしよう。平等にどちらも行かぬ。これでいいじゃろ?」
    「でも阿片窟は絶対何かあるぞ。コチョウが市場に異変を感じたってことは、顧客が少なからず余所者の持ち込んだ品に流れたってことだ。考えても見ろ。この街で自分の市場を得たいにしろ、その品を使って何かを検分しているにしろ、ばら蒔いた阿片がたった五つか六つ程度だと思うか?」
     きっと明らかになっていない犠牲者が他にもいるはずだ。皆が揃って鬼化するかどうかも確かではないし、恐らくはその中で選んだ獲物が、桃色の着物を纏った若い女だったと言うだけで、本当はあちこちにばら撒かれているのだろう。
     クスリに限らず何かを生成するに当たっては、ある程度の量を作らなければ、手間暇と回収出来る金の折り合いが取れなくなってしまう。
     そしてその被害者を見繕うなら、消えても死んでも誰も困らない者である方が都合がいい。
    「でも嫌じゃ、わしは調度品になどされとうない! 変態爺に会うのはごめんじゃ!」
    「ち……っ、だったら隠密でこっそり行くしかねえ……あとは、運だ。神頼みだ」
    「物凄い凶相の主と一緒だと、死神とか何とか寄って来そうじゃの」
    「喧嘩売ってんのかテメー」
     ナナキの胸倉を掴み上げて、カゲトラがどすの利いた声で眉間を寄せた瞬間――ぞわっと全身鳥肌が立つような悪寒に襲われた。総毛立った産毛がちりちりと焦げるような悪意の炎を感知して、本能が警告を上げる。
    ――これ、か……
     ナナキに、陰人(オンヌ)に、ナレノハテと化した佐々に感じた、生物としての恐怖。間近にそれがいる。ナナキも感じ取ったのだろう。ぺろりと舌舐めずりをして、黄金(きん)の双眸を細めていた。
    ――どこだ……?
     次第に深くなる霧と闇に視界が利かなくなって行く。無意識にシュラモドキの柄へ手を這わせた。
     不意に向こう側から悲鳴が上がった。若い女の声だ。間髪置かずに二人はそちらの方角を目指して疾駆する。それは果たして、ナレノハテと化す前の最期の断末魔なのか、ナレノハテに襲われた悲鳴なのか――


    →続く