もし黒須の言葉を信じるなら、それでも築五十年は経過しているはずだが、そんな時間を感じさせはしない。
その手前には通常の軍用蒸気四輪が停車しており、どうやら上官が先に到着しているらしいことを伺わせた。
――しっかし回りに他の建物が何もねえ……飯とかどうすんだ、これ……
この期に及んでもそんなことが先に気になるのだから、自分も大概なのかもしれない。
隣に停車したところで、警邏官から降りるよう促された。外に出て目の前の建物を見上げると、カゲトラはますますもってそこかしこに漂う違和感のようなものが、急速に増したような気がした。
見た目にどこか異様な箇所がある訳ではない。至って普通の平屋建ての建物だ。
――ああ、そうか……
ここと比べれば明らかに堅牢であるはずの庁舎を『あんな設備』と称したものだから、てっきり要塞か何かのような場所にでも案内されるのかと、無意識の内に想定してしまっていたのだろう。
「カゲトラ、こっちだ」
「はいはい」
呼ばれるままに中に入ると、内装は洋式になっておりそのまま奥へと案内された。黒光りするほど磨き上げられた扉を叩くと、警邏官は見えもしないだろうにびしりと敬礼を掲げて大音声で告げる。
「ヒノモト帝国軍第九大隊所属、タツミ上等兵! カゲトラ一等兵をお連れいたしました!」
「ご苦労様。わざわざ遠いところすまなかったね」
かちゃりと手ずから扉を開けて黒須が出迎えてくれる。が、警邏官は本当に送り届けるまでが任務だったのか、カゲトラが室内に入ったのを確認すると、そのまま低くお辞儀をして踵を返してしまった。
「カゲトラ君もお疲れ様。そう言えば、君何も食べてないだろう? それくらい元気ならちゃんと固形物食べられそうだね。一応軽食を用意してあるけど、食べるかい?」
「あ、うっす」
今まで忘れていた――と言うか、自覚していなかったのだが、指摘された途端に腹の虫が盛大に自己主張の声を上げたためカゲトラは素直に頷いた。
案内された隣室には丸い食卓机が置かれている。恐らく昼食や休憩時に利用するのだろう。ほこほこと湯気を立てる数々の料理に思わず唾が沸いて来る。
一応こちらを気遣って、消化によいものや飲み込みやすく身体が拒絶しない献立を選んでくれたらしく、匂いにつられたカゲトラは、席に着くなり粥の入った椀を手に取った。たっぷり入った野菜の他に、仄かに香る生姜の匂いが食欲を刺激する。
「美味え……」
匙で掬って一口食べてからは、もう止まらなかった。
本当なら殺される可能性が皆無になった訳ではないのだから、毒でも盛られていやしないかと用心して然るべきなのだろうが、本能が欲するままがつがつと手当たり次第に皿を空にして行く。
ようやく満足して箸を置いた時には、数人前はあった料理がすっかりカゲトラの腹に消えていた。いつの間にか向かいに腰かけてこちらの様子を伺っていたらしい黒須が、相変わらずにこにこと笑いながら、
「いやぁ、凄いね……若いなあ。まさか全部食べちゃうとは思わなかったよ」
「あ、悪い。もしかしてあんたの分もあったのか?」
「いやいや、君の分だよ。そんなにきれいに平らげられたら、作った彼女も喜ぶだろうね」
「彼女……?」
「そう。これから君の仕事の相棒にもなる子でね。あれ? 何か嫌そう」
目敏く僅かに眉間を寄せたのを咎められる。カゲトラはがしがしと頭を掻きながら、視線を逸らした。
「嫌っつーか、苦手なんだよ。何考えてんのか解んねえし、扱いに困る」
「ははっ、成程。まあ、心配いらないよ。彼女は仕事に私情を持ち込むようなお嬢さん気質じゃない。落ち着いたなら、紹介しよう。着いておいで」
先達て立ち上がった黒須に、いやでもだってと駄々を捏ねる訳にも行かず、カゲトラは渋々と後に続いた。
――廃棄区画(こんなところ)でも平気で仕事してるオンナだぞ……多分あれだ、ゴリラみたいな女に違いねえ……
失礼だと言うことは自覚していたが、そうでも思わなければやっていられない。
とかくカゲトラは昔から、何をせずとも「顔が怖い」だの「すぐ怒鳴るから嫌い」だのと泣かれて来た口である。女に涙されると、例えこちらが悪くなくとも申し訳ない気持ちになってどう対応してよいのか解らなくて、取り敢えず距離を取るしかなかった。故にますます苦手意識が増幅されているのである。
→続く
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