「は……廃、棄……?」
     かつてこれほどまでに冷たい言葉を聞いたことがあっただろうか。ヒトではないにしても、まがりなりにも生きているものへ、呼吸しているものへ放つ言葉ではないだろうに。
     それはまるで既に死んでしまったモノに対する、最初から命などなかったモノに対する言葉だ。
     気付いた時には、黒須の胸倉を乱暴に掴み上げていた。
    「…………もう一回、言ってみろや」
     相手の呼吸が詰まって声の出ないことなど思考回路の外にすっ飛んで、カゲトラはそのまま黒須を喰い殺しかねない勢いで、その名の通り怒り狂った虎のように、腹の底から突き上げる焦燥と苛立ちのままに吼える。
    「テメー、俺より長くナナキとこの十三大隊やってたんだろうが!! つい今まですぐ隣にいた奴に、散々働いて貰った唯一の部下に、よくもそんな酷えことが言えるな!? 廃棄だと!?  あいつはテメーらの都合のいい玩具じゃねえんだぞ!!」
    「私、だって……」
     辛うじて声を絞り出した黒須は、弱々しくカゲトラの手を払ってからじろりと彼を睨みつけた。喉元を締め上げられたせいで皺くちゃになってしまった襟を正しながら、掠れた声で言葉を紡ぐ。
    「最後まで奪還作戦の実行を総督に直訴したさ……仮にも十年、私たちは共に戦って来た。少なくともそれなりに想い入れも情もある。だが、他の十二大隊の誰一人として兵を貸そうと言ってくれた部隊はなかった。軍編成に名すら連ねていない我々は、いざと言う時最も容易く切り捨てられる人員なんだよ」
    「…………っ、」
    「それどころか、私はヒノモト帝国軍最強にして唯一無二の対陰人(オンヌ)用陸戦兵器『マガツヒト』を損失した責任を問われて、あらゆる権限を剥奪された。君も一人でどうにかしようなんて、馬鹿なことを考えるんじゃないよ? 今度こそ反逆罪で銃殺刑確定だ。今の私では庇いようが……ない」
     そう言う黒須は視線を伏せたまま、カゲトラと目を合わせようとはしない。それが却って、この上官も苦渋の選択を迫られたのだと何よりも雄弁に物語っていて、ぎりぎりと奥歯を噛み締めるより他なかった。
     それでも簡単に「はいそうですか」と引き下がれる訳がない。納得出来るはずがない。たった数日の――実に短い付き合いではあるものの、カゲトラはその数と同じだけ何度も彼女と死線を共にしたのだ。
    「だからって、命令が出てるからって、それだけでナナキを見殺しにすんのか!?」
    「そうじゃない。言っただろう? ナナキ君は、この十三大隊唯一無二の戦闘要員は、この国唯一無二の対陰人(オンヌ)用陸戦兵器だと……彼女はヒトじゃない。生き物ですらない。彼女は兵器――陰人(オンヌ)を葬るための道具、機巧だ」
    「……それ以上あいつを侮辱するなら、いくらあんたでも容赦しねえぞ」
    「聞きたまえ!!」
     どす黒い殺気を滲ませるカゲトラに、しかし黒須は怯んだりしなかった。他者を威圧する底冷えのするような低音にも、切っ先そのもののような尖った眼差しにも。
     穏やかな人好きのする仮面をかなぐり捨てて大喝する黒須は、カゲトラの知らない軍部の上層で生きて来た男の顔をしていた。びりびりと振るえる大気に呼応するように、僅か窓硝子が鳴る。
    「……少し昔の話からしよう」
     ゆるゆると息を吐いて丸椅子に座り直した黒須に、毒気を抜かれて仕方なくカゲトラも布団の上に座り直した。長くなりそうな気配を感じ取ったためだ。
    「この国には遥か昔から――それこそ今は海に沈んでしまった西の陸地があった頃から、『蒸血症候群(じょうけつしょうこうぐん)』と呼ばれる不治の病があった。原因も感染経路も対策も不明。解っていることは、発症すれば体内で自然と血液が蒸発して行き、強烈な吸血欲に支配される、と言うことだけだ。彼らが自己生存するためには、他者から血を提供して貰うしかない」
    「……んな病気、初めて聞いたぞ」
    「そりゃ、国中が恐慌状態に陥らないように伏せているからね。いつ何時自我と理性が崩壊して自分が、家族が、友人が、他人の血を求めて襲いかかるようになるか解らないなんて、恐ろしくて夜も眠れないだろう? もっとも、今まで罹患者は玖街(くがい)でしか出ていない。まあ、何しろあの環境だ。変な病原体やら化学物質やらが発見されたところで、私は少しも驚かないよ」
     そして恐らくはその感染源の影響のせいなのだろうが、罹患者の身体能力全般が飛躍的に向上し、人外の戦闘力を持つようになってしまうのだと言う。額には硬質化した突起が現れ、その様相からかつては『隠(おぬ)』――転じてこの世ならざるもの『鬼』と呼ばれていたらしい。
    「つまり治る見込みのねえ奇病にかかった奴は、既に死んだ者扱いされるってことか。けど、ナナキがこの任務に就く前の奴らは、一体どうやって鬼を退治してやがったんだ?」


    →続く