男と交わした数少ないやり取りを、記憶の底から引き摺り出して反芻する。一体彼は何故に、マガツヒトたるナナキを連れ去ったのだったか――
    「そう言や、何でナナキだけナレノハテじゃなくてマガツヒトなんだ? 帝国軍籍だって区別するためか?」
    「いやいや、そんな特別扱いはしないと思うなあ……何か昔に聞いたことがあったような……ちょっ、ちょっと待って。頑張って思い出す」
     頭を抱えてうんうんと呻き出す黒須を尻目に、腕に刺さったままだった点滴の針を毟り取ると、カゲトラは病院着を脱ぎ捨てて十三大隊の隊服に袖を通した。本当は医者だか看護師だかを呼ぶべきなのだろうが、どうせ何やかんやと理由をつけてしばらく床に縛りつけられる羽目になるに決まっている。
    ――んなもん、悠長に待ってられっかよ!!
     罅が入っていると言われた横腹はずきりと痛んだが、身体は動く。得物も確認してみたが、さすが魔神兵装(ましんへいそう)であるシュラモドキは刃溢れ一つしていない。
     それを腰に佩いて出撃準備を着々と整えて行くカゲトラにようやく気付いて、黒須は慌てて沈んでいた思考の淵から戻って来た。
    「ちょちょちょっ、カゲトラ君!! 何やってんの!? 大人しく寝てなきゃ駄目でしょ!」
    「うるせえ、退け。俺ぁ、あいつを迎えに行かなきゃならねえんだよ。ナナキに血をやれるのは、今俺だけだろ」
    「そ、それはそうかもしれないけど……君、これ以上の命令違反は……」
    「軍編成に名前が載ってねえような悪たれなら、別にそんなもんに縛られる必要はねえだろうが。あんたに迷惑がかかるってんなら、除名にでも何でもしろよ」
    「ででででも怪我は!?」
     はしっとしがみついて梃子でも動くまい、とでも言うような体を取る黒須だったが、カゲトラは構わずそのまま引き摺って部屋を出た。
    「だからどうした。動ける限りは戦う、それが俺たち兵隊の役割だ。俺ぁ、まだ手も足もある。首も繋がってる」
    「そ、それはそうかもしれないけど……」
     ナナキはきっと、己の身に起こることを受け入れようとするだろう。あの男の大事な女を蘇らせるために、全部の血を差し出すだろう。そうすることで少しでも――その罪を雪ごうとするだろう。
    ――だけどそれが何だってんだ!!
    「そしてあいつはまだ生きてる。例えあいつが血を差し出して、誰かを救ったつもりで終わることを望んだとしても、生きてていいんだって、まだ死ぬんじゃねえってケツ引っ叩きに行くのが俺の、ナナキの相棒たる俺の役目だ。この先救えるはずの命ほっぽって、くたばるなんて許さねえ。死ぬなら戦場で、一人でも多くの敵をぶった斬ってからだ」
    「…………」
    「絶対ぇ連れ戻すから、宿舎で待ってろ」
     べりっと引き剥がそうとしたが、なおも黒須はカゲトラを放そうとはしない。これはいよいよ力尽くで押し通らねばならないか、と拳に力を込めたところで上官が顔を上げる。
    「…………思い出した」
    「あ?」
    「マガツヒトとナレノハテの違いだよ。ナレノハテの機巧では魔神兵装(ましんへいそう)を破壊することは出来ない。それと言うのも、魔神兵装はナナキ君の――マガツヒトの血を混ぜて作られているからなんだ」
     思わず目を剥いて腰に佩いた得物を見やる。普通の鋼ではないだろうとは思っていたが、よもやそんな風に作られたものだとまでは思いもしなかった。
    「まだ研究途中で全部が全部解明された訳じゃないけど、 彼女の血はナレノハテに取って猛毒に等しい……故に、マガツヒトはこの地上で唯一ナレノハテを殺すことの出来る存在――禍ツ人なんだ、と」
    「……相変わらずいい趣味してらぁ、くそったれ共が」
    「それでたった一人、製作班でナナキ君の血を研究しようとしてた男が、医者だったと思うんだよ。マガツヒトがもう一機増えたら、彼女の負担も減るだろうって」
     けれどただですら、いつこちらの手綱を引き千切るか解らない魔獣を、軍部が増やすはずがない。その研究員は追放され、個人で無断に進められていたナレノハテをかけ合わせてマガツヒトを生み出す研究は、全て燃やされ処分と言う形で闇に葬られたと言う。
    「だがそいつは、持ち出していたナナキの血で自ら魔神兵装を作ってた……内部に組み込めなかったのは、女がまだ拒絶反応を起こすせいだろうな」
    「成程……どうやってナレノハテを作っていたかは……捕まえて本人に訊くしかないね。それにしても、当てずっぽうに出てって闇雲に探すつもりかい?」
    「あいつらは得物を玖街(くがい)の周辺で物色してた。本拠地は絶対近くにある。それにあいつらがまだナナキへ手出ししていないのは、必要な贄が足りないからだ。若い女たちはマガツヒトへの進化素材だとしてあと一人……俺が要るはずだ」
     ナナキの能力の影響下にいるのなら、あの時意識を失ったカゲトラを襲おうとしたナレノハテたちが、その血を吸おうとした際に何らかの痛手を受けて退散した可能性が高い。
     その事実に丸眼鏡の男が気付いたとしたら、魔神兵装と己の作り上げたマガツヒトを融合させる緩衝材として、何より適していると諸手を挙げて喜ぶに違いない。邂逅の際に一度贄に定めたカゲトラが出て行けば、再び襲撃して来る可能性は十二分にある。
     油断して腕の力を抜いていた黒須を出来るだけそっと引き剥がし、カゲトラはにやっと悪辣な笑みを浮かべた。
    「黒須サン、一個用意して欲しいものがあるんだけどよ」


    →続く