最速で魔神兵装(ましんへいそう)を展開させ、すぐさまその砲門をヒナギクへ向けようとしたものの、踏み切ろうとした足を止めて、ナナキは陰人の巨影を見上げた。飲み込まれたカゲトラごと、彼女を消し飛ばしてしまうことを躊躇したからではない。
     今までゆらゆらと鉄索(ケーブル)や機巧を蠢かせていた陰人(オンヌ)の動きが、カゲトラを飲み込んだ途端にぴたりと停止してしまったからだ。
    ――どうなったんじゃ、一体……
     カゲトラはシュラモドキの最大火力がナナキのそれに劣ることは、正確に理解していただろう。その一撃必殺の攻撃すら、特殊な変化を遂げたヒナギクには通じるかどうか疑問が残る部分があったことも、純然たる事実として把握していたはずだ。
     それでも陰人の内部に危険を承知で『わざわざ』飛び込んだのは、有機物であろうと無機物であろうと、動き続けるための最重要機関は最も奥深い箇所で大切に護られていることを、本能でか経験値でか察したからに他ならないだろう。
     しかし、果たしてカゲトラは陰人に取り込まれる前に吸収される前に、それを見つけることが出来るのか。最悪の結果として彼の魔神兵装まで備えられてしまったら、自分でも完全に破壊出来るかどうか――ナナキには絶対の自信は、ない。
    ――撃つべきか、それとも待つべきか……
     撃つべきだ、と冷静な頭の片隅は判断を下す。そして、それが正しいことも、ナナキは理解している。
     けれど、
    「…………」
     ぎゅっと持ち手を握り締めたまま、ナナキは兵装の先をゆっくりと下ろした。今にも駆け寄ろうとする足に力を込めてその場に佇み、陰人(オンヌ)を見上げる。
    ――カゲトラは……わしを信じてくれた……
     本当なら、あの暴走が血を得ただけで停まる保証などどこにもなかった。さらに悪化して街を襲撃した可能性の方が高かっただろう。
     にも拘らず、カゲトラは躊躇なくこちらの懐に飛び込みその血をくれた。死の恐怖も犯した罪への憎悪も何もかも放り投げて、ただ純粋に自分をどうにかしようとその命を懸けてくれた。あの熱があればこそ、ナナキは我を取り戻せたのだと思う。
    ――ならば、わしも主を信じよう……
     内側と外側と二方向から攻撃を加えることが出来れば、思いがけない相乗効果で爆発的な破壊力を生むことが出来るかもしれない。いや寧ろ、そうでもしなければこの陰人を止めることは出来ないに違いないだろう。
     だがこのままでは、度重なる衝撃と破壊で廃坑下に溜まる有毒瓦斯(ガス)まで誘爆引火しかねなかった。よもや中立地帯である以前に、玖街(くがい)で最も危険なこの周辺に今わざわざ足を運ぶような物好きはそういまいが、どこまで被害が拡大するかは解らない。
    「…………迷っておる時間はないの」
     陰人はいつまた動き出すのか解らないのだ。
    ナナキは双眸を閉じると意識を集中させて、己の内にある魔神兵装(ましんへいそう)の駆動核に命じた。機巧が展開して翼のような形を取る。武器以外の形で顕現させたことがないため、想像通りに組み上げられたかどうかは定かでないが、今はそんなことを言っている場合ではない。
    「よし……」
     玖街(くがい)では軍部のナナキが幾ら声高に避難を叫んだところで、誰も耳を貸しはしないだろう。ならば、聞かざるを得ない相手から――三頭竜から誘導して貰うしか手はない。自分が赴いて頭を下げたところで相手をして貰えるか否かは甚だ疑問ではあったが、何もせずに手をこまねいて見ているだけよりはまだマシなはずだ。
     動力炉に火を入れると、機巧が稼働して白い蒸気を吐き出す。それと同時に地面を強く蹴ると、辛うじて身体が宙に浮きはしたが、こんな程度の力ではとても飛んで行けはしない。
    ――まだじゃ……もっと……もっと高温になれ!
     ぐぐっと臍の辺りに力を込めるとその度に細かな部品が回転して、ぐんぐん炉の中の温度が上がって行くのが解る。
    ――わしは……カゲトラを助けねばならんのじゃ!
     瞬間、燃え盛る炎が色を変えた。紅蓮から蒼白へ、一気に加速しぐん、と身体に負荷がかかる。均衡を取るのに瞬間戸惑ったものの、ナナキは上空へ浮上するとそのまま上昇力を推進力へ移行させて空を駆けた。
     まずは、コチョウの牙城――宵待月を目指す。


    →続く