が、その視線の先に佇んでいた少女は、小さな手に何かを握り締めていた。思わず自分の顔がぎょっと強張ったのを自覚する。
    ――しまった……核、あっちに転がってたのかよ!?
     ヒナギクが極小機巧を手にした瞬間、まだ美しき郷愁を湛えていた辺りの景色は一変した。どす黒い暗雲か廃煙が立ち込めたように世界が色を失い、全てが重たい鈍色で塗り潰される。
     まるでこの国を覆う薄汚い灰霧は、こうして人々の心に澱として降り積もり、絶えず夢も希望も朽ち果てさせてしまっているかのように。
    「ヒナギク……」
    「私、死にたくなんかなかった」
     ぽつりとこぼされた裸の言葉が、カゲトラの心の柔らかな部分にちくりと食い込んで忘れ得ぬ鈍い疼きを生む。
    「もっとやりたいことたくさんあったし、学校だってちゃんと通いたかったし、素敵な人と恋だってしたかったし、お兄ちゃんともっと一緒にいたかった……私、何も悪いことなんかしてないのに、何でこんな目に遭わなきゃならないのって、どうして私じゃなきゃならなかったのって、ずっとずっと誰かを恨みたくて憎みたくて、この嫌な気持ちを吐き出したくて堪らなかった」
     それは――
     確かに嘘偽りのない彼女の本音そのものであっただろう。誰にもこぼすことが出来なかった、必死に押し殺しひた隠しにして来た本当の気持ちだっただろう。
    「でも、私には痛いのや苦しいのを我慢してまで頑張って、最期まで病気と戦うだけの気概は持てなかった……貴方の言うように強い気持ちからなんかじゃない、治らないことは解ってて、死にたくなかったのも本当で、だからこそ私はお兄ちゃんから渡されたこれを、自分の意思で飲んだの」
    「…………それが何だか知ってたのか」
    「正確なところは何も……ただ『よくないもの』であることは何となく解ったわ。こう言うの、女の子は勘が働くのよ」
     ふふ、と笑う彼女の顔は確かに幼さの残る少女であるはずなのに、まるで自分よりいくつも上の女のようにも感じて、カゲトラは背筋を冷たい汗が伝うのを自覚した。
    「でもこんな風になるなら、飲まなきゃよかった……酷い有り様。これならまだ壊死した痕を晒してた時の方がよかった。腐り果てた無様な屍体を引き摺って、他人の血を求めて徘徊しなきゃいけないなんて……こんなの、化け物みたいになって、生きてるなんて言える?」
     自嘲気味に笑った双眸から涙がこぼれ落ちる。
     それにつられたようにずるずるとヒナギクの体躯は崩れて形を失い、機巧核を中心に兵装が肉を突き破って姿を表した。ぱきぱきと表面が不可思議な材質で覆われて行く音、ヒトではなく機巧ですらない化合物――ナレノハテのさらにその先、存在してはならぬものへとその身を堕とした彼女は、まるでその魂の在り方すらも、歪められ汚されてしまったかのようだった。
    「今の私を動かしているのは、心臓じゃない……こんなちっぽけな鋼鉄の塊と、死にたくないって妄執だけ……こんなはずじゃ、こんなはずじゃなかったの」
    「…………」
     大粒の涙を流してそう後悔を口にする一方で、生者の血と肉を屠るためにしか動かない機巧は鉄索(ケーブル)は、カゲトラの気配を敏感に察知し、ゆらゆらと蛇の鎌首のようにその切っ先を砲門をこちらに向けて展開し始める。
     が、カゲトラはそんなの知ったことかと言わんばかりに、思い切り凶悪な表情を浮かべて彼女を睨みつけた。
    「うるせえ、糞餓鬼。めーめー泣くな、鬱陶しい……だから女は嫌いなんだよ。兄貴がくそったれなら、妹も変わらずくそったれだ」
     きん、とシュラモドキの鯉口を切ってぐっと深い姿勢で構えを取ると、カゲトラはぷっと短くなった煙草を吐き捨てた。そのまま苛立ちを込めて吸い殻を踏みつけると、強い光を湛えた双眸を真っ直ぐにヒナギクへ注ぐ。
    「世界はいつだって理不尽で不条理だ。そう言う風に出来てんだから、今さらぐだぐだ文句を言ったって始まらねえ……どう言う風に生まれて来るか、見てくれも体質も環境も時代も国も、何一つ思い通りに選べるものはありゃしねえ」
    「お、い……何をする気だ……やめろ、」
     倒れたまままだ立ち上がれないらしい男が焦燥の滲んだ声を上げるが、カゲトラは聞こえなかったふりをした。
     けたたましく動力炉が燃え盛り、白い蒸気を噴き上げて陰人(オンヌ)の機巧がこちらを粉砕すべく熱量を蓄え始める。全力で薙ぎ払うまでもなかろうに、そこに込められているのは無力さを嘲笑う傲慢さか、こちらの挑発に対する怒りか――
    「でもな、どんな溝の底だろうが地獄の淵だろうが、俺たちゃ生き方と死に方だけは選べんだよ!! 最低な手札しかなかろうが最悪な状況しかなかろうが、それでも何にテメーの魂賭けるかは自由なんだ!」
    「ソン、な……ノ……」
    「なあ、おい選べよヒナギク。テメーの存在全部を賭けて、好きな終わり方を選べ」


    →続く