考えうる限り――ここでシュラモドキの駆動部がどうしようもないくらい壊れてしまうほどの最大火力をぶっ放したところで、恐らくヒナギクの機巧核を完全破壊することは出来まい。
     彼女を止める手立てはただ一つ。
     外にいるナナキと呼吸を合わせて、同時に攻撃をしかけることだけだ。内側と外側と両方から圧力をかければ、いかな陰人(オンヌ)として特殊な進化を遂げていたとしても一溜まりもないだろう。
    ――だが、そりゃまだだ……
     腰を落としてじ、と機巧の動きを見守る。
     もはや、どのくらい思考回路や理性が残っているのか定かではない、肉塊と鉄索(ケーブル)だらけの姿を晒しながら、彼女は滂沱の涙を流している。例えその身が異貌になろうとも、言葉と言う伝達手段をなくそうとも、それでもその心は魂はまだヒナギク自身が繋ぎ止めていると信じて、カゲトラはなおも言葉を紡ぐ。
    「ここで俺を喰い殺して、あとはその魂すら腐らせた文字通りのナレノハテになるか、まだヒトである内に俺にぶち殺されるか、お前の選択肢はもうあと二つしか残されてねえ。でも、まだだ。まだ、どちらかマシな方をお前は選べる」
     こんな言葉はただの詭弁だ。ただの、茶番だ。そんなことは口にするカゲトラが一番よく解っている。けれどそれでも。ヒナギク自身が選択することにこそ意味がある。逃げずに立ち向かうことに意味がある。
     兄の管理下から外れてしまった彼女に残った道は、完全にヒトとしての枠から外れてしまった彼女に待つ未来は、どの道破滅一択でしかない。
    「わた……シ、は……」
     壊れた蓄音機のように雑音混じりの声ではあったが、それでも何とか言葉を紡ごうとするヒナギクに、その意思に背くように唸った鉄索(ケーブル)がこちらに迫る。しかし、カゲトラはぴくりとも反応せずに抜刀姿勢を保ったままだった。その鋭い鋼が腕を脚を掠め食らいついて、いくつも鮮血が飛び散って紅い華が咲く。
     それに狂喜して、残った最後の一欠片を捨ててしまったら――彼女は、
    「あアああア……っ!!」
     もがきのたうつような咆哮。己の内から突き上げる獣の衝動と、ヒナギクは戦っている。何よりも御し難く、誰よりも手強い己と向き合っている。
     そして何度とはなく、そうやって壁を越えて来たからこそ、カゲトラは吼える。
    「テメーの名前を答えてみろ!!」
     びりびりと震える大気を叱咤するように。
     踵を返しそうになる足を激励するように。
    「どうありたいか、何でいたいか、テメーが誰だか答えてみろよ!!」
     名は魂を縛る最初で最後の呪いだ。
     何よりも強く己を留めておく楔だ。
    「わ、タシは……ひナギ……クです……!!」
     悲鳴のような、懇願のような、祈りのような、けれど、何よりも純粋な叫びに、硝子が砕けたような音を立てて世界が弾け粉々になる。白い光も黒い闇も灰色の欠片も一緒くたになって押し寄せて来るような。
     怒濤の機巧として牙を向くそれらを見据え、カゲトラは懐から煙草を取り出して一本くわえると、着火具で火をつけて不敵な笑みを浮かべてみせた。
    「よーぉし、よく言った。偉いぞ、ヒナギク」
     柄に手をかけ、全ての意識を刃に乗せる。
     紫煙をくゆらせるどころか、煙草ごと吹き飛ばそうとカゲトラごと消し飛ばそうとする鉄索(ケーブル)と機巧と弾丸と――全てを解放したヒナギクに、深くゆっくりと息を吐き、もう一度限界まで吸い込んで、力の限りに大喝した。
    「俺はカゲトラだ!! テメーを殺す男の名前、確と胸に刻んでヒトとして死ね!!」
     言葉と共に抜き打ちに放った一太刀は、その刀身が真っ赤に滾るほど最大限に熱量を込めたものだった。
     機巧と言う、本来なら刀が持ち得ぬ機関を搭載されたシュラモドキだからこそ放てる鋭い斬撃は、その蒸気駆動が溜め込んだ力と初速の鞘走りの摩擦から生まれる衝撃、ぶつかり巻き込まれる大気も噴き出す白煙も、ありとあらゆるものをない交ぜにして、巨大な不可視の刃を生み出す。
     迫り来る無数の鉄索を薙ぎ払い、暴れ狂う虎のようにヒナギクへ牙を剥いて襲いかかった。それが彼女へ届く前にシュラモドキの砲門を全解放したカゲトラは、全ての弾装が空になるまで引き金を引いて撃ち尽くす。
     それでもきっと最奥までは届かない。
    ――気付け……
     この攻撃にナナキが反応してくれなければ、カゲトラの目論見は不発に終わる。そうなれば、ヒナギクは永遠にあの姿のまま苦しみながら、この世界を彷徨わねばならなくなる。
    ――関わっちまったんだ……ちゃんと、終わらせてやらなきゃなるめえよ……
     これ以上、自分たちのような人間とも化け物ともつかぬ生を引き摺って歩く存在を、増やしてはならない。
     地を蹴り、折れた鉄索や機巧の破片を足場にしながらカゲトラは徐々にヒナギクの本体へと近付く。もう駆動を展開して接近するほどの熱量が、シュラモドキにもカゲトラにも残されていない。
     この爆発が――収まるまでにナナキが返してくれなければ、残された手段はない。それでも最後の一太刀を浴びせるべく、得物を握り締めながら、カゲトラは腹の底から叫んだ。
    「ナナキ、撃てえええええっ!!」


    →続く