瞬間――
     空間そのものを破壊するかのごとき勢いで、突如辺りを蒼白の炎が染めた。
     初めて見た時のように、全てを焼き尽くさんとする業火の熱はない。どちらかと言えばそれは、優しく全てを受け止めようとする腕にも似た柔らかさで、ヒナギクの鉄索(ケーブル)を機巧を、飲み込み融かして引き剥がして行く。
    「主らの言葉、ちゃんと届いたぞ」
     炎の向こうから凛と響くナナキの声。
     今持てる火力の底の底まで出し尽くした彼女は、もはや立っているのもやっとのはずなのに、手にはしっかりと刀を握り締めていた。その突き出された切っ先は、寸分違わずヒナギクの機巧核を貫いている。
     往生際悪くぎぎぎ、といまだもがいているそれを思い切り地面に叩きつけて軍靴の底で粉々に踏み潰してから、ナナキはがらがらと取り込んだ人間たちの残骸や鉄索や欠片を崩壊させて行くヒナギクを見やった。
     余計なものを全て吐き出してしまって、ほんの一瞬病に侵される前の元の産まれたままの姿を晒し、彼女の華奢で小さな身体は瞬く間に蒼い炎に飲み込まれて消える。
    「ごめんなさい……そして、ありがとう」
     最後の最期まで涙を流してはいたものの、去り際浮かべた表情は確かにきれいな笑顔だった。
     全て焼き払い拐ってしまった炎は、燃やすものが何一つなくなってしまってもまだ瓦礫のあちこちで燻っている。その青白い照り返しを受けながら、緩く細く紫煙を吐き出したカゲトラにナナキは問うた。
    「…………後悔、しておるか?」
     始めカゲトラは、通常軍の任務においては保護対象であった一般人へその剣先を向けることに、かなり強い抵抗を示していた。それは恐らく、物心ついてより戦い続けて来た彼が唯一越えてはならない一線として、深く強く自制し戒めていたものだったからだろう。
     曲がりなりにもあんな姿になったとは言え、元を正せば彼らは皆玖街(くがい)の一般人――平民なのだ。ヒナギクは唯一例外として中流階層出身ではあるものの、元来同じく武器など持たぬ抵抗する術のない立場である。
     しかし、カゲトラは静かに一つ吸いつけてからいや、と首を横に振った。
    「戦場で一つ一つ背負ってたら、俺ぁ今ここにゃ立ってねえ……重くて潰れちまわぁ。テメーと同じで俺の辞書にも、そんな言葉は載ってねえよ」
    「だが……それでも、助けたいと思うたんじゃろう?」
    「俺たちゃ人間だ。腕は二本しかねえ。そんなに何もかも助けられると救えると思うほど、傲慢にゃなれねえな。命にゃ優先順位がある。今回守らなきゃならなかったのは帰る身体のねえあの餓鬼の命じゃねえ……ヒトとしての魂、矜持だ」
     ざ、と踵を返すカゲトラの顔はいつも通り不遜で凶悪だ。憂いや哀しみややるせなさを覚えない訳ではないのだろうが、そんなものは微塵も滲ませない。
    「それでも」
     瓦礫の中から比較的汚れていない綺麗な形を残している石材を幾つか抱えて来ると、カゲトラは器用にそれらを積み上げた。きちんとしたものに比べればすぐにでも崩れてしまいそうなそれは貧相ではあったが、確かに彼女の墓だった。
    「俺たちゃ忘れちゃならねえ。どんなに言い繕ったって、手ぇ汚した事実は変わりゃしねえ。いつかどっかで誰かに斬られて地獄に堕ちるまで、俺たちゃ命を奪って生きさらばえてんだってことを、常に覚悟してなきゃならねえのさ」
    「…………うむ」
     ナナキが頷いた時だった。
     突如ぴしっと派手な音を立てて地面に大きな亀裂が走った。それは瞬く間に二人の足元に迫り、下から何かが競り上がって来るように土塊が盛り上がる。一体これ以上地下に何が潜んでいたのかと、二人揃って思わず青ざめた。今の自分たちでは鼠一匹倒せる気がしない。
     が、破壊し尽くされたこの地ではいかにナレノハテであっても、生き残りがいるとは思えなかった。
     では一体何が――そろりそろりと後退さりながら思考を辿り、ここが一体『どこであるか』を思い出して一気に全身の血が足元まで急降下する。廃坑が不可侵の地であるのはその危険さ故――この大地の下には、有毒瓦斯(ガス)の吹き溜まりがある。
    「………………っ、」
    ――間に合わねえ………!!
     退避も停止も何もかもが手遅れだ。世界を激震が襲う。
     カゲトラは咄嗟にナナキを抱き寄せて、最後の力を振り絞り魔神兵装(ましんへいそう)を展開させた。いかな強力な攻防一体の機巧と言えど、果たしてそれがどれだけ役に立つだろう。
     崩れる瓦礫が頭上から牙を剥いて降り注ぐ。同時に足元が完全に崩壊し、吐き気を催しそうな異臭と共に目に見えない瓦斯が噴き上げる。
     世界はぐちゃぐちゃにかき混ぜられて混沌のまま、音もなく閃光と共に弾けた。


    →続く