許容出来ないほどの轟音と言うものは、耳だか脳だかが拒否するものらしい。濛々と立ち込める粉塵がようやく収まった辺りで、カゲトラは意識を取り戻した。
    「痛つつつ……」
     自分の声がちゃんと聞こえる。取り敢えず耳は無事だったようである。しかし、身体を起こそうと身動ぎしたところで、頭の先から足裏まで激痛が全身を貫いた。悲鳴すら上げられず思わず呼吸が詰まる。
    ――あー、こりゃ完全にいったか……まあ、これだけですんだなら奇跡だな、相変わらず俺ぁ悪運が強い……
     あれだけの大爆発に巻き込まれたにも関わらず、罅の入っていた横腹の骨を数本犠牲にしただけで五体満足でいられたなら、何かが憑いているとしか思えない。四肢の感覚は確か、苦し紛れに展開させた魔神兵装が上手いこと隙間を確保してくれたお陰で、押し潰されてぺしゃんこにならずにすんだのだ。
    ――とにかく、動かさねえように何か充てて固定して……そうだ、ナナキは……
     視界が利かない暗闇の中、抱えたはずの相方を探して指先を伸ばす。すぐ傍らに柔らかな温もりはあった。
    「ナナーキ、無事か? 怪我は?」
    「大事ない、平気じゃ……んっ、ぁ……ちょっ、どさくさ紛れでどこを触っておるか!!」
    「俺、ヤベえわ。死ぬわこれ……あ、でもお前がいろいろ大胆になってくれたら治るかも痛だだだだっ!!」
    「……主は、直前であれだけ格好つけたことを言っておったのが台無しじゃな」
     思い切り指を逆に反らされて、カゲトラは渋々その手を引っ込めた。それにふん、と鼻を鳴らしてナナキが立ち上がる気配がする。閉塞感を覚えなかったのは、それなりの広さと高さがあるからなのだろう。
    「一体どこまで落ちたかの……いや、それよりも外は無事なのか」
    「っつーか、有毒瓦斯(ガス)が溜まってるって警戒してた割りには、俺たち身体何ともなくね?」
    「うむ……わしはともかく主が平気と言うのは、噂は所詮噂じゃったと言うことかの?」
     かつかつと暗闇に響く軍靴の足音。
    「ほら、あんまあちこちうろちょろしてんな。寒いんだからこっち来い」
    「寒い……? またそんな口から出任せを言いおって……言っておくが、わしをそんじょそこらの娘と一緒にするなよ。吊り橋効果を狙っても無駄じゃ」
    「はあ? お前こんだけ寒いのに何ともねえのかよ。あーくそ、せめて着火具使えりゃ暖も取れるし回りも見えるのに!」
     しかし何が停滞し空気中に漂っているか定かでない地下では、下手に火など扱おうものなら消し炭になっても文句は言えない。
     それでもナナキは慌てた様子でこちらへ戻って来た。やはりこちらよりは夜目が利くのか、傍らへしゃがみ込んで躊躇なくカゲトラへ手を伸ばす。
    「主、どこか怪我しとるのか!?」
    「あー、今のでって訳じゃねえけどな。ちょっといろいろ……おいやめろ、くすぐったい」
     華奢な小さな手が身体をなぞるように這う。相変わらずこちらからの接触は駄目なくせに、自分から触れて来る時のナナキは無防備と言うか危機感がない。
    ――俺ぁ一応、健全な男なんだがな……
     明るければその口唇に噛みついてやるものを、と思っていると、ナナキの指先が負傷部に触れた。再び激痛に襲われ、カゲトラはびくりと身体を強張らせる。
    「ぐ…………っ、」
    「折れておるのか……無茶をしよって、馬鹿者」
     しゅる、と衣擦れの音。
     寄せられた身体に思わず降参するように両手を上げて無罪を主張するも、鼻先を掠めた甘い匂いに喉が鳴った。負傷部に兵装の欠片なのか鉄板のようなものが押し充てられ、まるで抱きつくかのように腕を回してナナキが布を巻いてくれる。
     無論応急手当て以上の他意はないことは解っているが、不覚にも彼女に触れたい欲求が突き上げて、カゲトラはぎりぎりと奥歯を噛み締めた。
    ――どっちが吊り橋効果だよ……
     そんなこちらの思いなど知らず、器用に暗闇でも布を結んで固定したらしいナナキはよし、と満足気に頷いた。
    「これで少しは楽になったと思うが、どうじゃ? 息苦しくないか?」
    「ああ……大丈夫だ。ありがとうな、ナナキ」
    「うむ。立てるか? 可能なら早くここを出ねば……今は何ともないかもしれぬが、やはりここは人間が長くいるべきではない場所な気がする」
     僅かに声が震えたような気がしたのは、気のせいだろうか。気付かなかったふりをして、
    「そうだな……ここじゃ煙草の一つも吸えやしねえ。ナナキ、立ち上がるのだけちょっと肩貸してくれ」
    「解った」
     傷とは反対側の利き腕を抱えて脇に潜り込み、ナナキの華奢な腕が背中に回る。
    「せえの、」
     呼吸を合わせて立ち上がる。瞬間はやはり痛みが走ったが、それを無理矢理押さえ込んでどうにか大地を踏み締めた。じっとりと脂汗が滲む。
    「大丈夫かえ? カゲトラ」
    「どうにかな……歩くくらいは問題ねえ」
     ぺろりと嘗めた指先を掲げてみると、僅かながら空気の流れを感じられた。ほんの微かでも風があると言うことは、そちらに出口があると言うことだ。
    「こっち行ってみるか」
    「お前に任せる」
     手探りでナナキの手を掴んで歩き出す。少し躊躇したような気配があってから、そっと握り返された。
     じりじりと腕を掲げ、足裏で地面を探りながらの行軍だ。まるで己が蝸牛か蛞蝓にでもなってしまったかのような進み具合に、じりじりと神経が焼けそうになる。焦ったら終わりだと言うことは重々承知していたが、元々気が長い方ではないカゲトラは、傷のこともあって苛立ちのあまり叫びそうだった。
     ナナキがいなければ、とっくの昔に取り乱して自滅していただろう。
    ――落ち着け、大丈夫だ。出口は必ずどっかにある……
     いくらか障害物に遮られているとは言え、完全に剥き出しの天然岩盤や地層でないと言うことは、まだ坑道として整備された施設内であると言うことだ。それほど深くまで落ちた訳ではない。
     丸眼鏡の男が潜伏していたのもこの辺りであったのだろうか? 心なしかこちらの手を握るナナキの手がぎゅっと力を込めたような気がした。
     相変わらず気温は低い。
     山の洞窟などに入った時のような独特の冷気は、非常に珍しかった。大体玖街(くがい)の地下と言うものは、人々が吐き出す廃蒸気の熱がこもり、何もしなくともじとりと汗が滲んで来るような湿度と温度が常の場所である。まあ、今の上手く呼吸が出来ない状況にあっては、不快指数の高い湿度の中より随分ましではあるが。
    「大丈夫か?」
    「わしは平気じゃ。主の方こそ無理をするな。早く医者に見せねばならんが、下手をすると肺が傷つくぞ」
    「あー、くそ痛え」
     浅く早い呼吸は体力を消耗する。出来るだけ速やかに脱出するに越したことはなかった。
     しばらく進むと、不意に靴底が水を跳ねさせた。ほんの僅か撒かれた程度ではあったが路面が濡れている。
    「カゲトラ、下がれ!」
     不意にナナキに腕を引かれて、カゲトラは思わず眉間に皺を寄せる。
    「いだだだだっ! 痛いんだけど俺怪我人なんだけど」
    「す、すまぬ! だが、何故有毒瓦斯(ガス)が消えたのか、廃坑の中の気温が低いのか、その答えがそれじゃ」


    →続く