「……そんなもん生やしといて人間ですってか? 信じられるか」
    「うむ……人間、と言い切ることも出来ぬの。どこから説明したものか……」
     ナナキが眉を寄せた時、不意に室内に耳障りな鐘の音が鳴り響いた。急き立てられるようなそれは伺わずとも解る、緊急事態の警報だ。
    「言葉を重ねるより、実際目にした方が早かろうの。仕事じゃ、行くぞカゲトラ。立て」
    「ちょっ……おい、待てよ! どいつもこいつも勝手だな、こら!!」
     素早く立ち上がって部屋を飛び出したナナキは、呆れるほどの速度で長い階段を飛ぶように駆け上がって行く。カゲトラとて体力には自信があったのだが、血が足りないことも手伝って身体が思うように動かない。
    「くっそ、速え……」
     やっとのことで地上へ出ると、そこには飛空挺が停まっている。その操縦席には既にナナキが座って、動力炉には火が入っていた。
    「遅いぞ、馬鹿者! ちんたらするな」
    「ふざけんなよ、血が足りねえのに全力疾走させんな!」
     怒鳴りながらもカゲトラは後ろに飛び乗り、固定ベルトを装着する。
    「振り落とされんよう、しっかり捕まっておれよ!!」
     遮風壁が閉まるのももどかしいと言わんばかりに出力を全開にした飛空挺は、蒸気駆動を限界まで稼働させて白煙と共に大地を飛び立った。通常であればゆっくり浮上して加速すべきところを、始めから全速力にするものだから、身体にかかる負荷が半端ない。
     高度も定めず取り敢えずぶっ飛ばしているせいで、機体は安定せず切り揉み状態で前進していた。がたがたと軋む音が絶えないせいで、そのまま空中分解してしまわないかと胆が冷える。
     そしてそれよりもまるで巨大な掌に外へ押し出されそうになりながら、カゲトラは必死に操縦席の背中にしがみついていた。
    「おま……っ、ちょっ、ナナキ!! テメー場所解ってんだろうな!?」
    「心配いらぬ。主はわしを誰だと思っとるんじゃ」
    「知らねえよ!!」
     方角から察するに更に西――廃棄区画の奥に向かっているようであったが、はっきりとは解らない。
    ――廃棄区画って進めば海に出るはずだろう……昔はあったはずの大地がまるごと消し飛んでるって話だったんじゃ……そんなとこで何が起こってるって?
     しかし、操縦悍を握るナナキは躊躇なくそちらへ飛んでいる気がした。
    ――緊急事態の鐘と言い、まさかこれで今さら異国の艦隊なんてぇオチじゃねえだろうな、おい……
     不意にナナキが固定ベルトを外して立ち上がった。お陰で機体がぐん、と傾く。
    「ぅおあっ!? 何やってんだ、死にてえのかよ!?」
    「操縦を代われ、カゲトラ。陸軍故に出来ぬなどと、戯れ言は抜かすなよ」
    「ちょっ……危ねえ!!」
     遮風壁を開いてナナキが操縦席を放棄するものだから、カゲトラは慌てて身を乗り出して操縦悍に手を伸ばした。荒れ狂う風を受けながら、どうにか空いた席に潜り込んで身体を収める。
    「何か見えたのか!?」
    「うむ、あれじゃ」
     いざ操縦を変わると視界はぞっとするほど不透明だ。絶えず霧が満ちている上空は、例えその薄いところでも前方がほんの手前までしか確認出来ない。この辺りには遮るような建物がないとは言え、よくもこんな右も左も定かでない中を馬鹿みたいな速度で飛んで来たものだ。
     細かい水滴と風とで上手く呼吸が出来ない。
     それでもナナキが指差したものは解った。まるで突如として小山が出現したかのような、丸く盛り上がった影――カゲトラが知る中では、海軍が誇る蒸気戦闘艦が一等でかい個体であったが、それがまるで玩具に見えてしまうほどの巨躯だ。
     背丈は帝国内で最高の高さを誇る蒸気機関『タカマガハラ』にも迫るだろうか。これほど巨大な生物がこの地上に存在するとは、想像を遥かに越えている。
     ぎらりと剣呑に光る双眸、頭頂部にはナナキのような角も一本見受けられる。大きく口が開かれぞろりと並んだ牙が見えたかと思えば、腹の底に響く咆哮が鼓膜をつんざいて大気を振るわせた。
     思わず持って行かれそうになった機体をどうにか踏み留まらせて、カゲトラはナナキに叫んだ。
    「おい、ありゃ何だ!? 化物か!?」
    「あれを化物と言ってしまえば、わしも大差ないものになるがの。あれはオオイナルケガレ――隠人(オンヌ)じゃ」


    →続く