「ごめん……起こした」
「いいの、大丈夫。閃光」
「うん?」
「キス、して」
ねだると一瞬短く息を詰めて、少し躊躇いがちながらも閃光は口唇を重ねてくれた。先程までそれ以上のことをしていたと言うのに、そう言うところはまだ初で擦れていない、柔らかで無防備なままの少年なのである。
「この毛布、閃光の匂いがして暖かい」
「……まほろ、あのさ」
名残惜しさを振り払うようにしてその温もりの中から抜け出ると、まほろは何か言いかけた閃光の言葉を封じるように、微かな明かりに晒していた裸身へ再び服を――重石を枷を纏って行く。
「もう戻るね、ありがとう閃光。夜、またご飯持って来るから」
「まほろ」
「心配しないで。大丈夫。貴方が私を拒まないでくれたから……もうただそれだけで、私、あとどんなに辛いことも頑張れるよ」
「まほろ!!」
こちらを見ようとはしない彼女の手を掴んで引き寄せ、両の頬を捉えて上向かせる。長い睫毛は案の定、涙で濡れていた。
「戻るな」
言うな。言うな。言っては駄目だ。
警鐘を掻き鳴らす理性とは裏腹に、本能は勝手に閃光の本音を言葉にする。
「あいつのとこに戻る必要なんてない。まほろを泣かせてばっかのクソ野郎なんかに、お前を返してやるもんか」
「…………閃光、駄目だよ」
「逃げよう、まほろ」
閃光はこの土蔵の外のことなど、何も知らない。
どんなものがあるのか、どんな状態であるのか――物心つくよりも前にここに閉じ込められて以降、そこから出ることを許されなかった彼に取って、世界は己を囲い捕らえているものが全てだった。
けれど、それはただの甘えだ。飼われることを良しとしたのは自分だ。その掌中には、檻を壊し自由を得るための爪牙を握っていたと言うのに。
――それを……
今この時使わずに、いつ使うと言うのか。
「ここから二人で逃げるんだ」
閃光が口にした言葉を、想像すらしたことがないと言いた気な顔で、まほろは目を丸くした。それがどんな意味を持つのか、閃光は解っているのだろうか? が、返された視線は真剣だ。
「逃げるって……どこへ?」
「どっかすげえ遠いところ。俺たちのこと、誰も知らないところ」
「そんなの無理よ……無茶だわ。私も貴方もまだ子供だもの。逃げたって、それから先誰にも頼らないで生きてなんて行けないわよ」
きちんと管理された社会と言うのは、想像以上に厄介で面倒なものだ。その枠組みからはみ出したりこぼれ落ちたりした者に対して、情け容赦などない。
調べれば居場所などすぐ探し出されるだろうし、もし望んで堕ちようと道を外れようと言うのなら、二度と光を見ることは叶わないだろう。綺麗になど生きられるはずもない。そうしていつ死ぬか解らない危険を侵してまで、逃げ出す利点はあるだろうか。
「何してだって、俺がまほろを守る」
「……そんなことしないで」
閃光に手を汚して欲しい訳ではない。危険な生き方をして欲しい訳ではない。幾らどん底の今より下はない、と思っても、絶望はそこここに口を開けて罠を仕掛けて、誰かが堕ちて来るのを今か今かと待ち望んでいる。
閃光が他人を傷つけることに躊躇しなくなれば、間違いなくヒトではいられなくなるだろう。時折垣間見せる獣としての血が勝るだろう。
それは堪らなく嫌だった。
――そのためなら……
閃光の手がぎゅっと肩を掴む。
「嫌なんだ」
「……閃光……」
「まほろがあいつに触られるのも、あいつのせいでまほろが泣くのも……嫌なんだ。だから、俺と逃げようまほろ」
もし、そんなことが叶ったなら。
閃光はちゃんと生きられるだろうか。
自分はちゃんと笑えるだろうか。
――嘘でも夢でもいいか……
たった一時でもそんな幸せが味わえるなら、この手を取って駆け落ちごっこをするのも悪くはないかもしれない。
「だったら、約束してちょうだい」
「約束……?」
「危ない真似はしないこと。人を傷つけたりはしないこと。自分を大事にすること」
「……解った。約束する」
「それから……ちゃんと私の手を放さないでいること」
「……勿論」
悪戯っぽく笑うと、閃光は照れ臭そうに双眸を細めてからそっと口唇を寄せた。柔く重ねられて、しばし互いの体温を味わう。
今ある全て――失ってしまうかもしれない不安と焦燥と心許なさと。
それでも信じる未来のために、二人は片割れ以外の全てを捨てる道を選んだ。
* * *
→続く
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