いつもならまだぐだぐだとシーツに丸まっているはずの閃光が、どうした訳かその朝は既に起きて、まほろが来るのをそわそわと落ち着かない様子で待っていたらしかった。まだ自分で着替えるのも下手くそなのに頑張ったらしく、寝間着ですらない。ただし、釦が一つずつずれてかけられていたが、それでも充分及第点だろう。
    「おはよう、閃光。どうしたの? もう起きてるなんて珍しいね。それに着替え……自分で出来たんだ?」
    「俺、もう子供じゃないし!」
    「偉い偉い」
     得意気にそう言う弟が無性に可愛くて、釦の位置をなおしてはみ出たシャツの裾をしまってやりながら、まほろは小さく笑った。
     近頃は自我が急激に芽生えて来たものか、何でも手を出されるのを嫌がるようになった閃光は、別に距離を置こうなどと考えている訳ではないのだろうが、まほろからすれば幾分寂しさを覚える場面も増えて来た。
     こうして近付くと視線を逸らしてそっぽを向いたり、わざと突き放すような仕草をしたり、多分構われて照れ臭いのが勝って来るようになったのだろう。
    「だから、これまほろにあげる」
    「え?」
     そう言って、部屋の隅から何やらごそごそと閃光が取り出したのは(万が一にも修晟に見つからないよう隠していたらしい)、まほろがこっそり持ち込んだクレヨンで描いたらしい絵だった。恐らく絵本の見様見真似なのだろうが、それでも色とりどりの花と一緒に描かれているのは、
    「これ……私?」
    「そう。今日まほろ誕生日だろ? だから、プレゼント。俺には……これくらいしかあげられないから」
     以前閃光の誕生日をケーキで祝った時に、まほろの誕生日はいつ来るのかとしつこく訊いていたのは、どうやらこのためだったらしい。それは確かに、幼児の拙い落書きじみたものだった。けれど同時に、彼が初めてくれたかけがえのないプレゼントだった。
     身動きの取れない閃光が、それでも何とかまほろに気持ちを伝えようとして描いてくれたものだ。
    こんな状況にいるにも関わらず、他人のために何かしたいと思ってくれた証だ。
    「ありがとう……とっても嬉しい。素敵ね。ずーっと大事にするわ」
    「うん」
     珍しくはにかんだような表情を浮かべて笑う閃光の顔を、まほろは昨日のことのように覚えている。長ずるに連れてカレンダーを理解してからも、弟は変わらず毎年欠かすことなく誕生日を祝ってくれた。
     今年渡してくれたのは、紙細工の花束だった。年齢に合わせて十八本の色とりどりの花。
     初めてのプレゼントの時から比べると(まほろはちゃんと全部大切に保管しているのである)格段に腕を上げたその造作は、大人も顔負けの出来だ。   
     元々手先が器用だったのか才能があったのか、鼻先を近付ければ芳しい香りが漂って来そうな気すらした。
    「……本当は、本物あげたいんだけど」
    「私、こっちの方が嬉しいよ? 閃光が一生懸命作ってくれたんだもん」
    「でも……」
    「ありがとう。大好きよ、閃光」
    「……うん。俺も、まほろ大好きだ」
     ぎゅっとまだほんの少し目線の低い背中に腕を回して抱き締めると、しばし躊躇するような間があってから、閃光はまほろを抱き締め返してくれた。それは姉弟の親愛と言うには幾分か熱が籠っているように感じられて、思わず心臓が大きく跳ねる。
     いつからだろうか? 閃光が向けて来る視線や言葉は、異性としての色を滲ませるようになっている気がした。
     そっとその腕を抜け出す。
    「今日は父様と一緒に食べなきゃならないから、夕食は少し早めに持って来るね」
    「解った」
    「いつか……みんなで一緒に食べようね」
    「……うん」
     そんないつかなどきっと来ない。
     それが解っていながらも、まほろは心からの願いを口に出さずにはいられない。
     偽善だと――自由な立場故の優越感から来る言葉だと言われようが、下らない慣習をやめて柵(しがらみ)をなくして、他の普通の家族のように生きたい、と言うのが、物心ついてからの願いだった。
     盟主を務めるためにこんな大仰な決まりはいらない。村を守る役目は血で行うのでも、家柄で行うのでもないはずだ。他の村の人々にだって協力を仰げば、幾らだってやりようはある。
     もう一度父ときちんと話そうと、改めて心に決めた。
     部屋に戻ったまほろは、並べてある閃光からのプレゼントの中で一番目立つところに花束を飾った。花瓶代わりの手近な容れ物がないから、後で何か探さねばなるまい。
    ――そうだ……
     ふと思いついて、束ねられた中から鮮やかな赤い色に塗られた一本を摘まみ上げる。
     造作を壊さないように苦心して、丁寧に茎の部分を取り外すと、「よし」と満足気に頷いて、まほろはその花弁をポケットの中にしまった。
     閃光の身代わり――と言ってしまうには、あまりにも可憐な代物だったが、それでも決してあの檻を出ることを許されない弟も傍にいてくれるような気がして、勇気を貰って修晟と話が出来るような気がして、まほろは宴席が用意されている客間に向かった。
     広過ぎる屋敷の寒々しさが和らぐよう尽力出来るのは、もう自分だけなのだから。きっと亡くなった母だって、何度となく閃光を庇っていたことから考えても、本心ではそう望んでいたはずだ。
     けれど、この時まほろはまだ知らなかったのだ。己が自由でいられるのは、所詮囲われて閉ざされた父の掌の上だけであったことを――


    * * *


    →続く