恐怖故にか金に目が眩んだか、ともかくその名の効果は抜群だった。
     直属ではないのだろうが、この機を貸しにしようとする青年たちが、次々と凶器を手に取り襲いかかって来る。あるいは、巨漢がこちらを押さえ込もうと飛びかかって来たところを、背負い投げの要領で別の一団へ向かって投げつけ、老婆が投擲した酒瓶は振り向きもせずに裏拳で叩き割った。
     牙を剥いた集団を突破する際、最も重要なのは足を止めないことだ。大半は自分が追えないと解れば諦める。
     どうにか長い表通りを走り切り、閃光は四つ角を右に曲がった。
     何としても捕まえねばならない黒服の男たちは、それでも諦めずに数秒の差で同じく右折する。が、まばらになった人通りの中にその姿はもう見えなくなっていた。
     どこか店に入ってしまっただろうか?
    「おい、ガキ!」
     男は暇そうに土産物の露店の番をしている少年に向かって、顎をしゃくった。
    「ここを黒尽くめの若い男が通らなかったか!?」
    「…………さっきから大勢うろうろしてるせいで、客が来ないんだけど」
     ちらりと自分たちを一瞥した少年の言葉を、一瞬理解しかねた。が、よくよく考えれば、こちらの服装も黒尽くめではないか。
     強面数人が目の前に立ちはだかっていると言うのに、少年はおくびも怖がる様子を見せず、それどころかふてぶてしい口調と表情である。
     この辺りのあまり治安が良くない界隈に住まう者は、子供の頃から危機や修羅場に遭遇することも多いため、早くから肝が座るものだが、彼はまた一段と一筋縄では行かない性質らしい。
     こめかみを引きつらせて少年の胸倉を掴み上げようとした若輩を制し、ポケットからくしゃくしゃの紙幣を取り出して彼に握らせる。急いでいるのだ。しぶとそうな反抗的な眼差しの少年が吐くまで殴りつけている時間も惜しい。
    「多分日本人だ。サングラスして、ずぶ濡れだった奴は通ったか?」
    「……それなら、さっきその電気屋の角右に行った。日本人かどうかは知らねえけど」
    「本当だな?」
    「李家の黒服に嘘つくほど馬鹿じゃねえし、人生捨ててねえよ」
    「……邪魔したな。行くぞ」
     さっさと踵を返して走って行く男たちに、「戻って来るなよな!!」と少年が叫ぶも、そんな戯れ言に耳を貸すのも勿体ないとばかりにその背中はみるみる小さくなって行く。彼らの気配が完全に去り、後から追いついて来る輩がいないことを確認してから、少年は戸棚をコツコツと叩いて、その背後に隠れていた件の男に知らせてやった。
    「……行ったよ」
    「人生捨ててねえんじゃなかったのか?」
     立ち上がり、砂埃をはたきながらそう笑った閃光を見遣って、少年はふん、と鼻を鳴らして腕組みをした。
    「オレ、あいつら嫌いなんだよ。偉そうに威張り散らしやがって……それにアンタがくれた小遣いの方が高かったし」
     ポケットから取り出した紙幣の束を見て、にやりと笑い返す。確かにずぶ濡れではあったが、そんなものは乾かせばすむことだ。
    「まあ、どっちにしても助かった。礼を言うよ。序でに口の固い洋服屋とか教えてくれたらありがたい」
     寒い時期は当に過ぎていたから風邪を引くような心配はあるまいが、大河が近いこの街はじめじめと纏わりつくような湿度の高い空気をしている。昼間は恐らく蒸し風呂のようになるだろう。日が沈んだ現在でもこの体たらくだ。服が自然に乾くとは思わない方がいいだろう。ならば調達した方が早い。
    「……ん」
     少年がまだ華奢な掌を差し出す。
     小さく舌打ちをしたものの、閃光は黙って残りの紙幣もまるごと少年に渡してやった。どうせ小道具で用意しただけだ。この先使う宛はない。
    「まいど」
     それを先の紙幣と併せてポケットに突っ込むと、少年は並べていた商品の中からTシャツとジーンズと下着、スニーカーまで取り出してくれた。
    「上着はねえのか?」
    「そんな上等なもんないよ。アロハならある」
    「…………じゃあ、それでいい」
     さすがにラフすぎる服装では得物を隠せない。      


    →続く