ネオンよりも星明かりの方が多い。しかし、近年急成長した中華帝国は環境汚染が世界的にも問題視されている通り、スモッグでそれらも霞んでいた。
     建てつけの悪いドアを開けると、そこはもう目の前が作りつけの台所と居間が広がる居住区だ。夜半遅い時間にも関わらず、フーシャオの祖父は木製の椅子に腰かけて本を読んでいた。がたがたと騒がしい物音を立てながら帰宅した孫に視線を上げるも、その背後に見知らぬ男たちが続いたことで、糸のように細い双眸を僅かに見開く。
    「じっちゃん、ただいま」
    「お帰り、フーシャオ……そちらのお客人は?」
    「あー、えっと……行きがかりでちょっと今晩だけ泊めてやることになったんだ」
     あまりいい顔をしなかったのは、閃光が黒尽くめだったこともあるのだろう。咎めるような視線を受けて、少年は慌てて手を振った。
    「じっちゃん、こいつニホン人だよ。あいつらとは関係ないから心配しないで」
    「あいや、それなら英語で話した方がいいのかの? お前さん、英語は解るのか?」
    「お心遣い感謝します。そのままカントン語で支障ありません。勿論、英語でも」
     世界中のどこに行っても、自国の言葉以外には滅法疎い、と言うニホン人のイメージは共通のものらしい。〈世界政府〉誕生から早数十年経っているにも拘らず、未だ満足に自国語以外で会話が出来ない者が大半な現状では、それも仕方のないことかもしれないが。
    「はっはっ、じゃあ一番ラクなカントン語で話すかな。フーリャンだ」
    「天狼閃光です。こっちは相方のロキ。ご迷惑おかけしますが、一晩厄介になります」
    「何か……オレの時と態度全然違うくね?」
    「…………俺だって敬意を払うべき相手には、ちゃんと敬意を払うさ」
     差し出された皺だらけの手を握って礼儀正しく挨拶する閃光に、ぼそりとフーシャオが一人ごちると、ちゃんと聞こえていたらしい。同じように潜めた低音が返って来た。しかしフーリャン翁には聞こえなかったのか、彼は長い白髭を梳くように撫でながら、
    「しかし、ニホン人? こっちの金髪君は違うじゃろう」
    「ええ、まあ……生まれは違いますけど……」
    「いやいや、それどころかお前さん〈魔導人形〉じゃな。まだ稼働しとる代物にお目にかかるとは、思いもせなんだ」
     ずばりと確信を持ってそう言い切る老人に、閃光の双眸がサングラス越し剣呑な気配を纏って僅かに細められる。
    「〈魔導人形〉……何ですか? それ」
     ロキはあくまでも穏やかに事を終わらせようと、無邪気を装って問う。しかし、フーリャンは首を横に振りそれを制した。
    「隠す必要などないよ。政府に告げ口してどうこうしよう、などと言うつもりはない。わしは従軍中、技師として多くの〈魔導人形〉の管理や整備もしておったでな。今の奴らは解らんじゃろうが見分け方を知っておる。最も……ここまで精巧な型を見たのは初めてじゃから、ちょっと自信はなかったんじゃが」
    「…………」
    「随分〈魔法術〉の負荷がかかっとるようじゃな……自動修復プログラムだけじゃ追いつかんじゃろうて。診せてみなさい」
     手を差し伸べるフーリャンに、ロキは困ったようにちらりと閃光を窺った。正直に話すことは躊躇われるものの、言われたようにあまりいい状態でないのは確かなのだろう。
     信用してもよいものか――どの道香炉の本来の持ち主であるならば、このまま無関係だと押し通せるものではない。下手に巻き込んでしまうよりは、きちんと事情を説明して助力を仰いだ方がいいに違いなかった。
    「……俺じゃ治してやれねえ。超過してんのは間違いねえだろ。診て貰え」
    「はい。じゃあ、お願いします」
     主人の許可を得てそう頭を下げるロキに鷹揚に頷き、フーリャンはその右手を取った。つ、と手首の筋を親指の腹がなぞると、ホログラムのブラウザが立ち上がり、直近のログデータが可視化する。
     しばらくかかりそうだと見て取ったのか、閃光は断りを入れてから湯を借りることにしたらしい。その背が消えても、特に案じるでもなく己の手に身を委ねている〈魔導人形〉にフーリャンは思わず笑いをこぼした。
    「はっは……こんな状況になってもまだ『通常モード』とは、いやはや……お前さん、大事にされとるのぅ。いや、お前さんがあの若いのを心底信頼しとるからか。ようよく知らんジジイ相手に預ける気になったもんだ」
    「……僕は、人を傷つけるために彼と一緒にいる訳じゃありません。そう生きていいと……言ってくれたことを誇りに思ってます」
    「ふむ……じゃあ、この〈魔法術〉の多用展開は人助けのため、と? 最後に調整入れたのは十日前……ははっ、何と。螺旋工房のサイン……技師はフェイか」
     声が嬉しそうに弾む。
    「……お知り合いですか?」
    「わしの唯一の馬鹿弟子じゃよ。心底機械弄りが好きでな……生まれは大陸じゃあないが、知り合いの伝手で一時期こっちに渡って来とった。ニホンに拠点を構えるとは聞いていたが、はは……っ、成程。世界屈指の怪盗が馴染みになるほどになっとったか」
    「ええ……いつもお世話になってます。それにしてもフーリャン大人、僕たちがいつ怪盗だと言いました?」
     静かに問うロキに、フーシャオがびくりと顔を強張らせる。不穏な気配など感じない穏やかな表情であるはずなのに、閃光へ害をなそうとするならば、微塵も容赦するつもりなどないことがはっきり伝わる声音であった。


    →続く