「何……推測と言うのも烏滸がましい話じゃよ。こんな辺鄙なところでもネットワークは活きておる。わしはテレビは好かんが、ニュースは見るでな。さっき飛行船事故の速報が最速で出ておった」
    「…………」
    「李伯龍が香炉の展示会を行うことは聞いていたからの。その後でフーシャオが客を連れて来たとなれば、普通なら考える流れじゃろう。その子は優しいが、おいそれと誰にでもここまで手を貸してやる馬鹿ではない」
    「成程……香炉を取り戻してくれた怪盗ならば、匿ってやろうとする理由になるってことか。ご名答だ」
     戻って来た閃光の声が後を継ぐ。人心地着いていつもの余裕が戻って来たのか、その声に尖ったところはない。抱えていた香炉をことりとテーブルの上に置き、
    「フーシャオが言っていた……『胡蝶の夢』は李家の正統なる後継者が代々継ぐものだと。そうなると大陸四大財閥筆頭の李伯龍は、その資格を持っていないことになるな」
     空いた椅子に腰を下ろして、煙草に火をつける。
     発表では開発地区の工事中に偶然出土したものを、発見したことになっていた。無論そんな表向きの世迷い言を頭から信じる訳もない閃光は、スワロウテイルにその詳細を調べさせてはいたのだが、彼が香炉を手にした経緯はいまいちはっきりしたことが解らないままだったのである。
     立ち昇る紫煙を眺めながら、フーリャンは頷いた。
    「人が集まればそれと同じ数だけ意見も出る。一枚岩と言うものは、そうそう簡単に築けるものじゃないのは、お前さんたちも知っての通りよ……李家もそうじゃ。始祖の教えを守り香炉をそのまま守ろうとする者たちと、使用しその素晴らしき〈力〉を人々のために使うべきだと主張する者たちと、真っ二つに割れた。奴はその後者――分家の血を引く者なんじゃ。今じゃどっちが本家か解らんほどに、立場が逆転しておるがの」
    「……それでも、三年ほど前までは香炉はここにあったんだな?」
    「そうじゃ。当時はフーシャオの父、わしの息子のフーロンが当主として香炉を保管しておった。強盗に入られて嫁共々滅多刺しで殺されるまで」
    「よくあんたら二人は無事だったな」
    「その頃はわしもまだ膝が痛まなかったからの……街の方に一緒に店出しに行っておったんじゃよ。まああの二人も、いつもなら畑に出ておって鉢合うことはなかったんじゃろうが、その日はたまたま天気が崩れて早めに家に戻って来たらしくてな……運がなかった」
    「…………」
     ぎゅ、と握り締められるフーシャオの、手。
     理不尽な暴力で両親を突如奪われた悔しさと悲しさは、未だ少年の心をじくじくと苛み続けているのだろう。
     けれどあの手の男は絶対に証拠を掴ませはしない。蜥蜴の尻尾のように切って捨てる鉄砲玉たちを、山と抱えている。例え実行犯を捕まえたところで、その繋がりを白状する可能性は低い。
     だからこそ李伯龍は、未だ誰からも断罪されることもなく、堂々と奪い取った香炉をあんな派手な方法で公表出来たのだろう。
     問題は何故三年もの空白期間を置いて、今公表しなければならなかったか、だ。
    「確かにわしらはいろいろ研究しとった分家と違って、代々この香炉を継承しとるだけで、〈魔法術〉が使える訳でもなければ〈魔晶石〉に関する知識がある訳でもない。宝の持ち腐れ、と言われてしまえば、確かにその通りじゃろう」
     フーリャンは短くなったしけもくを灰皿から摘まみ上げてくわえると、再び火を灯して紫煙を吐き出した。
    「だがの、だからと言ってそれまで先祖が各々抱えて来た想いやら何やらを、一緒くたに放り投げてお前さんに差し出す由縁もない。違うかえ? 奴から盗み出してくれたことは本当に感謝しておる。礼を言う。ありがとう……だが、お前さんが持つ理由もなかろう。勿論ただでとは言わんよ。金は出来る限り払おう。香炉をわしらに返して貰えんか」
     山羊の髭のように垂れ下がる白い眉からちらりと覗く眼光は、思いの外鋭い。
     例え李伯龍の息がかかった者ではないとしても、いやだからこそ尚更、見ず知らずの人間に簡単に触れさせる訳には行かないのだろう。
     ロキが伺うような視線を投げて来る。
     が、閃光は敢えてそれに応えず、フーリャンの射抜くような眼差しから視線を逸らさずに、普段人前では絶対に外すことをしないサングラスをゆっくりと取ってみせた。
    「…………っ!!」
     フーシャオが鋭く息を飲む気配。
     露わにした鮮血のごとき真紅の双眸に、しかし老翁はやはり、と言いたそうに静かに吐息をこぼしただけだった。
     色の濃いレンズで守られていた視界に、光が溢れ過ぎて眩しい。色素が極度に薄い閃光のこの瞳に取って、外界の明度は夜半や日陰や室内にあっても常人が太陽のぎらつく日向に立っているのに等しいのだ。
    「俺は」
     真っ直ぐに目を上げ、告げる。
    「産まれつき〈魔法術〉の呪いを受けた身だ。それを……どうにか解く方法を探している」
    「…………」
    「あんたたちの香炉が、その鍵となるのかどうかは解らねえ。でもどの道……人が持つべきじゃねえ〈魔法術〉は、須らく分解すべきだと……俺は思ってる。だからこの〈魔晶石〉に込められた術式がどんなものであれ、二度と使えねえようにはさせて貰う。勿論、俺たちは香炉そのものを奪うつもりはねえ」
     これほど真正直に、閃光が己の手の内を晒け出すのは稀有なことだ。
     今までの過程で強引に〈魔法術〉を展開しようとすれば、出来ないことはなかった。今この瞬間にだって、二人の前からこの香炉を持って逃げるのは決して難しくない。それでもそうしないのは、礼を尽くしてくれたフーリャンに対しての義があるからだろう。
    「万に一つの可能性……どころじゃねえ。もしかしたら、もう失われた品の中にそれがあったのかもしれねえ。でも、俺ぁ馬鹿みたいに一個ずつ探して行くしかねえんだ。別にくれとは言わねえよ。頼む、力を貸してくれ」


    →続く