「……じっちゃん……」
    「まあ、わしらが使う宛もないしの……分解して貰って役に立たねえ代物になっちまった方が、下手に狙われずにすむかもしれんな」
     頭を下げた閃光をじっと見つめていたフーリャンは、不意にぷかり、紫煙の輪を吐き出しながら品定めするようだった視線を伏せた。香炉を手に取り、
    「いつか壊れる形あるものを、後生大事に抱えてるのは滑稽かもしれん。だがの、あいつらが守ろうとしたものを無碍にはしとうないんじゃ」
    「…………」
    「傷一つ、入れてくれるなよ」
    「ありがとう……恩に着るぜ」
     再度老翁に礼儀正しく頭を下げた閃光は、サングラスをかけ直し、手渡された品をそのまま目の前に静かに置いた。席を譲るように身を引き、傍らの相方を見遣る。
    「いつもより丁寧に頼まぁ」
    「承知しました」
     にこりと穏やかな笑みを浮かべ、ロキは一歩前に出るとおもむろに香炉へ両手を翳した。
     何が行われるのかと好奇な想い半分、大丈夫なのかと言う不安半分で注がれるフーリャンとフーシャオの視線を受けながら、双眸を閉じて香炉の〈魔晶石〉の核へとアクセスを開始する。〈魔導人形〉であるロキの目には、マナや様々な粒子や電子で構成されたネットワーク上の擬似的画面や空間が見えているのだが、二人には何をやっているのかさっぱり解らないだろう。
    「い……一体どうなってんだ!?」
    「大丈夫なんじゃろうな?」
    「…………まあ、いいから見てろよ」
     全面的に信頼を寄せる閃光の口調は揺るぎない。
     蒼白い光を放って浮き上がり、くるくると宙空に己を構成する〈魔術式〉を吐き出して行く香炉を、祖父と孫は信じ難い気分で見つめていた。
    「〈魔術式〉展開、ロジック・オープン。ダウンロードにより可視化します」
     自分たちがずっと何の気なしに保持して来たものが、本当に〈魔法術〉を有するものであったことを間近で見て、言葉が出て来なくなる。これは斯々然々何たらと曰くが伝えられていたところで、年月を経た遠い昔の話など誰も心底からは信じていないものだ。
    ――それを……こいつは、そんな微かな希望に賭けて……あんな命懸けの真似、してるって言うのかよ……
    「あのさぁ、アンタいつからこんなことやってんの? 危ない奴らとどんぱちやり合って、物になるより骨折り損の草臥れ儲け、だっけ? の方が多いようなさ……元に戻るための〈魔晶石〉がある保証もないんだろ?」
    「さあ……忘れたな」
     ずらずらと吐き出される、どこの国の言葉とも図式ともつかない〈魔術式〉を眺める閃光の横顔を見遣りながら、フーシャオは小さく唾を飲み込んだ。
     やがて全て出し尽くしてしまったのか、エンドロールのように流れていた光る式の羅列は、ゆっくりと止まった。
     息を詰めるようにしてそれを見守っていた閃光は、深々と呼吸して椅子の背凭れに身体を預け天井を仰ぐ。眉間に皺を寄せたまま双眸を閉じている主人に、ロキは憂うような表情を滲ませた。
     これだけ探し回っても、閃光の呪いを解く方法は未だに手掛かりすら見つからない。
     何か似たような記述を含んだものでも見つけられればいいのだが、そもそも彼の獣化の呪いの原因となった『知恵の魔獣』と言う石像は、彼の悪名高き〈魔女〉ルナ・クロウリーの手によって作られた彫刻だ。現在は彼女の作品自体残さず処分されたのは勿論のこと、写真データなどもアップされないように、厳しく管理されている。
     ネットワーク上で単語検索でもしようものなら、即座に文保局の要注意人物リストに上げられてしまうほど、〈魔女〉についての警戒の手は、数十年経過してもなお緩められることはない。
     そんな中で〈遺産〉と呼ばれるルナの作品を、あるかどうかも解らないものを、探して回るのが途轍もない愚行であると言うことは、閃光自身が誰よりも理解しているだろう。
     けれど、自分が手にした〈遺産〉の銃がある以上、ウォルフが手にした〈遺産〉の刀がある以上、きっとどこかにそれはある――そう信じて途方もない労力を費やして来たものの、その影すら見えないほど遠いのが、現実である。
     いかに強靭な忍耐力と不屈の精神を持つとは言え、閃光が気落ちしてもうやめようといつか言い出すのではないか――ロキはずっとそれを危惧してやまない。無論、それならそれで止めるつもりも権利も彼は持っていないのだが。
     が、ようやく双眸を開いた閃光の口からこぼれたのは、嘆きでも諦めでもなかった。
    「フーリャン大人……この香炉を作ったのは、李家の始祖本人か? そいつ、もしかして女じゃなかったか?」
    「……ああ、そう聞いている」
    「そいつの資料か何か残ってないか? もしくは香炉についてのものでもいい」
    「閃光……?」
    「くそっ、何ですぐに気づかなかったんだ……ロキ、こいつを見てみろ」
     前髪をぐしゃりとかき上げて舌打ちをこぼしながら、閃光は香炉の蓋を引っくり返して見せた。そこには、何かの鳥が葉のついた枝をくわえた図を簡略化した紋が描かれている。背面の丸はその名と同じ月を表すのだ。閃光の銃の台尻にも小さく刻まれたそれは、他でもない――ルナ・クロウリーがサイン代わりに押印していたものである。
     すなわち、
    「この香炉『胡蝶の夢』はルナ・クロウリーが作った〈遺産〉だ。しかも初期の頃の手だろうな……恐らく俺の銃より前のものだと思う。〈魔晶石〉の錬成度がまだ荒いところがあるからな」
    「ほ……本当ですか!? 間違いなく!?」
    「ああ……術式の効力は正確には『細胞の不老化と究極の再生』が真の能力だ。致命的な傷やら何やらを負った時、瀕死で踏み留まって自力で回復を遂げる、即ちその副作用代償は不死……いや、死ねないことになる。本来なら細胞は再生する際、コピーを重ねた画像がぼやけるように少しずつ劣化して行くもんだが、この〈魔法術〉では元の細胞そのものを再生する――失ったことを『なかったこと』にする」
     おおよそ想定していた範囲内であるとは言え、『胡蝶の夢』が持つ〈魔法術〉は考えうる限り最悪の答えを提示してくれた。
    「それって、閃光の身体がやたら傷の治りが早いことと何か関係あるんじゃ……」
    「解らねえ……だが、術式の書き方も〈魔女〉のもので間違いない。本物だ。やっと…………やっと初めて見つけた手掛かりだ」
     普段あまり感情を露にすることをしない閃光も、さすがに感極まるものがあったのだろう。昂りを押し殺し切れないのか、興奮で震える手をぎゅっと握り締めていた。
    「つまり……我が家の始祖はあの〈魔女〉であったと?」
    「少なくとも、そうなんじゃないかと俺は疑ってる」
    「やれやれ、何と言うことだ……〈文化改革〉の時に政府が根刮ぎ持って行ったからの。何か残ってたか……」
     言いながら、フーリャンはよっこらせと立ち上がり部屋を出て行った。某か探してくれるようだ。
    「で、でも……お前ら〈魔女〉の顔なんて知ってるのかよ? 写真はおろか、似顔絵だってもう残ってないんだろう?」
    「まあ、本物かどうかなんて解りゃしねえさ。いくつも名前があったように、面だって一つかどうか知れたもんじゃない。でも目安として、自分をこんな風にしたかもしれねえ女の面くれえ、拝んどきたいだろう?」
     しばらくしてフーリャンが持って来てくれたのは、黴臭い箱だった。一体どのくらい前のものであるのか、表面は変色して書いてある字もよく読めないような有り様だ。


    →続く