「家系図とかそう言う関連のものが入っとる……もしかしたらこの中に残っとるかもしれんが……あまり期待はするな」
     蓋を開けると、つんと鼻を突く臭い――もう長いこと開けた試しがないのだろう。埃が舞い、澱のように溜まった古い空気が溢れ出す。
     どうやら新しいものが上積みされているようだったので、思い切って引っくり返した。一番下に収められていたのは額縁だ。思ったよりしっかりした造りで侵蝕や破損は見受けられない。左下隅に書かれたメモには『庭園にて傲騎氏と月烏夫人』とある。
     それは古い肖像画だった。
     当時、まだ写真技術はなかったのだろう。油絵の具で描かれたカラーのものではなく、モノクロの墨だけ入れられた線画である。それでも紙の変色具合から鑑みるに、ざっと数百年は昔の作品だ。〈黄金期〉初期――あるいはもっと前なのかもしれない。
     陰影をつけた筆触や写実模写的表現は、この年代にしては珍しく、写真代わりと言っても過言ではないだろう。
     描かれているのは、李家の初代当主夫妻。
     しかし、妻である女の顔を見た閃光は思わず絶句していた。ミツキと瓜二つだったからである。
    「…………何で……」
     他人の空似、と言ってしまうにはあまりにも鏡写し過ぎだ。目元の泣き黒子や艶やかな黒髪であること(ミツキは赤味の強い茶系だ)、やや大人びた顔立ちであることを除けば、本人だと言われても疑いはしないだろう。
    「ミツキさんにそっくりです……髪と目の色こそ違いますけど、まるで鏡に写したみたいだ。この泣き黒子がなかったら、寧ろご本人じゃないかって言うくらい……血縁者にしても似過ぎです」
    「まあ……〈魔導人形〉のお前がそう言うなら、そうなんだろうな」
     ロキは人間の顔を認識する時、多くの監視カメラや防犯システムがそうであるように骨格や目鼻の位置など個々人で異なるものを重視して判断する。無論、変装や整形などでそうしたパーツを変えることは可能であるが、それを加味してもその正確性はかなりの精度を誇っていた。
     ましてや人間には頭部の指紋とも言うべき耳殻がある。これは一人一人異なるにも関わらず、多くの人間が見落としがちな個人識別部位だ。
     この墨絵からだけではそこまで正確に科学的根拠で同一人物である、と言い切ることは出来ないにしても、もやもやとしたわだかまりを抱くには充分過ぎた。
    「待ってください、閃光。この李家の初代当主がルナ・クロウリーである、と言う前提が既におかしくないですか? 彼女が処刑されたのは〈世界大戦〉後期、約五十年ほど前です。でもこの絵はもっと前に描かれたものじゃ……」
    「ルナ・クロウリーがこの香炉の〈魔法術〉を使って、既に不老不死の身だったら? 恐らくそれを隠すため、何度も名を変え身分を偽り、〈魔女〉は長き時を生きて来た……でなけりゃ、あの女が作り出して来た作品はあまりにも多すぎる。それに〈魔法術〉が成立したとされているのは約四百年前……その始祖である〈魔女〉が処刑されたのが五十年前ってのが、そもそもおかしいんだ」
     彼女の作品を全て処分するのに、一月以上昼夜を問わず炎が炊かれていたと言うのだから、その数は推して知るべしである。それは制作期間などを考えれば、一人の人間が生み出すにはあまりにも膨大な量だ。例えどれ程手の早い創作家でも、そこまで呆れるほどの数の作品を生涯で作ることは出来まい。
     代々名が継がれて来た可能性がないこともないが、どれほど真似て似せようとも違う人物が作品を作る以上、全く同じ作風や術式の記述にはならない。感性とは個性とはそう言うもので、既にあるものを模倣するのともまた訳が違う。
     それこそ無限の時を生きることを許された――手慰みで暇を潰すくらいしか、最早やることが残っていない存在でもなければ。
    「もし、仮にこの女性がルナ・クロウリー本人だとして、ですよ? どうしてミツキさんに瓜二つなんですか? こんな……偶然なんて、ないでしょう」
     生まれ変わりなんて非科学的な妄想が、現実に起こったのでもない限り。
    「一つだけ可能性があるだろう? 〈魔晶石〉に関係が深そうで、なおかつそっくりのお嬢ちゃんを残せるとしたら血縁者……あいつに指輪の天道を託したバーさんだ」
    「あ…………」
     ミツキは早くに両親を亡くして、祖母である月乃に育てられたことになっている。そしてその祖母も、学生時代に亡くしたことになっているが――もし、
    「もし、お嬢ちゃんのバーさんが戦後の処刑を免れた〈魔女〉だったなら、不老不死の術を得たルナ・クロウリーであったなら、孫の手前死なねえ訳には行かねえ。正体が露見する。だからどうにかして死を偽り、存在を消して別の人間となっているとしたら……?」
    「閃光はルナ・クロウリーがまだ生きているって言うんですか?」
    「解らん……ただ、そう考えると辻褄が合うことはたくさんある」
     フランスのオペラ座で、行方に空白期間があったはずの首飾りをその間所持し、怪人へ渡した人物は一体誰であるのか?
     今回ウォルフがらしくない戦闘をしかけて来たのは、誰かの助言があったからではないのか? この香炉だって盗まれて公表まで長い時間が置かれたのは、何者かの意志が介在していたからではないのか?
     もし、もしもそもそもの始まりである日本での指輪の件も、誰かに仕組まれ、その掌の上で転がされ弄ばれているだけだったとしたら――一番得をするのは誰であるのか?
    「面白くねえ、な」
     懐から取り出した煙草をくわえてジッポーを鳴らすと、閃光は火を灯したそれをゆっくりと吸いつけた。独特の匂いがする紫煙が広くはない空間を薄っすらと白く染めて行く。
    「……全然面白くねえ」
     ぎりぎりとフィルターを噛み締めながらそう一人ごちる閃光に、ロキは仕切り直すように咳払いをして、
    「ともかくこの香炉の〈魔法術〉はどうしますか? 稀少な手掛かりであればしばらくはこのままにしておいた方が……」
    「分解したくともこのままじゃ出来ねえよ」
    「え?」
    「術式は欠けてる。多分ちゃんと香木を炊いて、そこから発生する煙に含まれたマナがないと完成しねえ」
    「香ならいくつか家にもあるが、こう言う場合は何か普通の品じゃあ駄目なのじゃろうな」
     申し出てくれたフーリャンに、閃光は僅か目を伏せて頷いた。
    「ああ……どれでもいい、なんて大雑把な作りじゃ〈魔法術〉は成立しない。この場所のこの種類、って必ず特定した品があるはずだ」
     しかし、老翁が持って来てくれた箱の中には、やはり香炉に関する資料と思しきものは発見出来なかった。恐らく先の言葉通り、〈文化改革〉の際政府に没収されてしまっているのだろう。ここまで来たのに手詰まりだ。
     それにこれが作られた数百年前と現在とでは、土地の環境も大きく変わってしまっているだろう。原生する植物が当時のまま残っているとは限らない。
    「くそ……っ、やっと……やっと何か解るかもしれねえってのに……」
     珍しく焦燥の滲んだ声で拳を握り締める閃光の背を、フーリャンの皺だらけの手が宥めるように軽く叩いた。
    「まあもう今日は遅い……夜が明けちまう。一度ちゃんと寝た方がいい。わしのような年寄りには堪えるよ。それに疲れを押して考えたところで、正しい判断は出来んのじゃないかえ?」


    * * *


    →続く