「何か……変だと思わねえか? この香炉の模様」
     翌日、ようやく落ち着いて品を検分出来るようになって、開口一番に閃光がこぼしたのは不審の言葉だった。
     居間で朝食とも昼食ともつかない時間帯のご飯を振る舞われて、寛いでいる最中のことである。無理をさせたためかフーリャンはまだ起きて来ない。畑での作業準備をしながら、フーシャオが眉を寄せる。
    「変って……センスないとか、そう言うのか? ゲイジュツってそんなもんじゃねえの?」
    「確かに……僕の知るどの形状とも違う初めて見るパターンですが、奇妙かどうかと言うのは……その、よく解りませんね」
    「いいか、古今東西組み合わせは無限にあるとは言え、『模様』ってのは規則性があるもんだ。それをどこにどんな風に持って来るかってのがセンスなんだろうが、そんなこたぁどうでもいい。問題はそこじゃねえ。大事なのはな、模様はこんな風にデタラメに並んでるものじゃないってことなんだよ」
     深い蒼で描かれた筆の軌跡を、黒革手袋に包まれた指先がなぞる。
     細かく描き込まれている故に見逃してしまいそうだが、その実筆運び自体は手当たり次第気紛れに書き殴られた子供の落書きのようで、何かの意図を持って精密に描かれている訳ではないように思える。
    「何かに……似てる気がするんだが……この辺りまで出かかってんのに、こう……出て来ねえ。さっきから気持ち悪くて、な」
    「……こんな球面に描かれた奴で解る訳ねえじゃん! ぐるって回してる内に、反対側のことなんて忘れちまうよ」
     呆れたように肩を竦めて溜息をこぼすフーシャオの言葉に、は、と我に返る。
    「そうか……平面にすりゃいいんだよ」
    「はあ? 何訳の解んねえこと言って……」
    「ロキ、こいつをスキャンして展開しろ」
    「あ、成程」
     閃光に差し出された香炉へロキが手を翳すと、蒼白い光がぱあっと辺りを照らす。続いてそのまま3D立体ホログラムが立ち上がり、彼が読み取った香炉表面の模様が忠実に映し出される。
    「……何か、この下から走ってる太めの線、蛟河に似てるな」
     じっと黙ったままそれを眺めていた少年がぽつりとこぼした言葉に、閃光の眉がぴくりと跳ね上がる。
    「蛟河ってどこだ? 河か?」
    「え……? ああ、うん。近くだよ。この辺りじゃ一番デカい河さ。っつっても、長江とか本物の大河に比べたら、全然名前負けしてる竜とミミズくらいのしょっぼい河だけど」
    「おい、この辺りの地図あるか? 出来るだけ詳細なやつ。出来れば古い奴がいい」
    「ええ? 何で古い奴なんだよ。普通新しい奴だろ」
    「うるせえ、いいから黙って持って来い」
    「んだよ、エラそうに!」
     むっと口唇を尖らせて不貞腐れたような表情を浮かべはしたものの、フーシャオはしばらくしてから言われた通り古びた地図を抱えて戻って来た。黄ばんでかなり草臥れた図面は、長いことどこかにしまわれていたのか埃っぽく昨夜の箱同様黴臭い臭いが鼻をつく。
     広げたそれはいくつか印刷が薄れて肉眼では見難い箇所や、虫食いやら何やらで欠けた箇所があったものの、同じようにロキが取り込んで展開すれば何の不自由もなかった。
     縮尺を合わせ、二つの展開図を宙空で重ね合わせる。少年が似ていると言った太い線と地図上の河は、絶妙なカーブを描くうねりまでぴたりと一致した。この『胡蝶の夢』が李家に代々伝わるものであると言う以上、これは偶然ではあるまい。
     地元の人間でなければ一見して解らないようなこの図が示すのは、ある物の在り処を記した詳細なのである。それは香炉の頂点――蓋の摘み一点だけ蒼く塗られていた部分が重なる『紺碧』なる山で間違いないだろう。
    「成程……この模様、地図も兼ねてるのか。つまり、『中身』の在り処はここって訳だ」
    「でも紺碧山って結構デカいぜ? その中から、どんなのか解らない香木探すのかよ? 気が遠くなるな……」
    「地球上から自分の名前が書かれた米粒一つ探せって言われるよりは、随分楽な仕事だ。大したこっちゃねえよ」
     うんざりした顔で机に突っ伏すフーシャオを見遣って、ふん、と鼻を鳴らすと、閃光は懐を探って煙草をくわえて火をつける。
    「とにかく、香炉の地図を辿って何かありそうなその場所に行ってみましょう。もう少しはっきりしたことが解るかもしれません」
    「そうだな……どのみち李伯龍もウォルフの奴らもこいつを血眼になって探してるはずだ。長居すりゃあここに迷惑がかからぁ。すぐ出るぞ」
    「はい」
    「ちょ……待てよ! お前ら何も持たずに山登る気か!? 馬鹿じゃねえの!? ニホンの甘っちょろい山と同じだと思って舐めてたら遭難するぞ。あと、じっちゃん起こして来るからちょっと待ってろ」
     きっと眦を吊り上げてばたばたと部屋を出て行く少年に一瞬呆気に取られてから、閃光は声を殺した苦笑をこぼしてみせた。
    「……あいつ、いい奴だな」
    「ええ……本当に」


    * * *


    →続く