「閃光…………っ!!」
     けれど一体、今この場で誰がそんな強烈な一撃を放つことが出来ると言うのだろう? ウォルフはまさしく屠られる寸前で命を救われた形になったし、核を粉々に握り潰されたアレンはまだその自己再生を果たしていない。元より二人が使う〈魔法術〉とは、ミツキが知る限り属性が違うはずだ。
     回りに散らばるモシャスを含めた強盗団の部下たちは、李家の黒服たちは〈魔晶石〉を貸与されていない。勿論、文保局員たちも〈魔法術〉は使えない。
     だとしたら――
     こんな強力な〈魔法術〉を詠唱なしに行使出来る人物は、たった一人しかいないのではあるまいか?
     しかし、背中に伝う冷たい汗をどうすることも出来ないまま、その場から動けずにいるミツキの目の前、晴れた粉塵の向こうに佇んでいたのは、予想に反して見知った――けれど、そんなことが出来るはずがない人物だった。
    「ロキさん……どうし、て?」
     ウォルフに胸を貫かれ、首を刎ねられたはずではなかったのか? いくら彼がヒトとは違う〈魔導人形〉であるとは言え、確実に致命傷――少なくともアレンがそうであるように、まだ動けるほど回復はしていないはずだ。
     それなのにロキは一体どんな〈魔法術〉を使ったものか、先程の光景がまるでただの悪夢だったかのように平然と五体満足で大地を踏み締めている。掲げた右腕は余韻でまだバチバチと小さなパルスを迸らせており、
    「あ…………その瞳……」
     その蒼い双眸には、煌々と輝きを放つ〈魔方陣〉が浮かび上がっている。〈魔晶石〉だ。
     そこに強力な〈魔術式〉が予め仕込んであったから、再生と修復が急速に行われ、〈魔法術〉詠唱のタイムラグが生じなかったのか。
    「僕は……閃光に誰一人殺させたりしない。それが例え誰より大事な人であろうと、敵対している相手であろうと、憎き因縁がある相手であろうと、誰一人、です」
    「僕としたことが……詰めが甘かったな」
     ウォルフが声を殺して笑いながら、ゆっくりと起き上がる。
     〈魔導人形〉は〈世界大戦〉時、不足しがちな歩兵の増援部隊として製造された。
     始めこそその構造は人体を模して正確に組み上げられていたものの、その内頑強さや任務をこなす正確さ、命令への従順さ、攻撃対象への躊躇のなさを買われて主力へと押し上げられてからは、『人間と間違われて攻撃されても壊れないように』動力中枢部である核の〈魔晶石〉を心臓部から別の場所へ移行させたのだと聞いたことがある。
     ロキは恐らくその後発型なのだろう。だとすれば普通の人間を殺すように斬っても、自己修復プログラムのおかげで何度でも回復する。〈機械化歩兵〉同様、核を壊さなければ〈魔導人形〉は止まらない。そして厄介なことに後発型は型によって核の位置が違うのだ。
    「ミツキさん、走れますか!?」
    「え……あ、はい! 大丈夫です!」
    「じゃあ、出口まで全速力で! 絶対に振り返ったり立ち止まったりしないで!」
     まるでスタートを知らせる空砲のように、ぱんっ! っとロキに手を叩かれて、ミツキは反射的にダッシュで駆け出した。
    「総員撤退して下さい! ここが崩れる前に早く!!」
     ミツキの声で、局員たちも慌てて駆け出した。
     舗装されていない剥き出しのままのでこぼこした岩肌は、実に全力疾走には向いていなかったが、それでも比較的走りやすそうな箇所を選びながら真っ直ぐに出口を目指す。一本道で、枝分かれした迷路のような洞窟でなかったのは幸いだ。
     その背中を見届けると同時、刹那で閃光の元に駆け寄ったロキは、ぐったりと意識を失っているその身体を軽々と抱え上げた。
    「逃がすと思ってるのかい?」
     びきき、と凍りつき巨大化した細雪の周辺に、なおも幾重にも別の〈魔法術〉が展開される。立っているのもやっとで己の息も絶え絶えであるはずなのに、まだ闘いをやめようとはしないウォルフの狂気すら帯びた紫暗の眼差しを見遣ってから、
    「閃光に誰一人殺させたりしない、とは言いましたが、僕自身が殺さない、とは言ってないですよ?」
     そう告げるロキの顔は、普段の穏やかで人好きな――温もりすら感じさせる豊かな表情とは打って変わって、目の前の対象『物』を跡形もなく蹂躙することに、躊躇いなど一欠片も抱かないであろう冷徹な戦闘機兵の顔をしていた。
    「く……あはははっ! 何だ、ちゃんとそんな顔も出来るんじゃないか、〈魔導人形〉。てっきり執事機能以外は消去されたものだと思ってたよ」
     血の噴き出す傷口を無理矢理凍りつかせて塞いでしまうと、ゆらりと上体をふらつかせながらもウォルフは辛うじて得物を構えた。
    「ちょうどいい、君もそうある個体じゃないからね……連れ帰ってプログラムを書き換えて、もっと有効活用してあげるよ。そうだな、手始めに閃光の目の前で、あの馬鹿な女を引き裂くのを任務にしようか!!」
     咆哮と共に振るわれる刃。
     空気を凝らせ、縦横無尽に牙を剥きながら、展開された〈魔法術〉が透明な凶器となってロキに迫る。その強大な圧倒的質量は、まるで雪崩のような大群となって襲いかかった。
     けれど、ロキは眉一つ動かさず空いた右手を掲げてみせた。
    「貴方の〈魔法術〉は僕と最高に相性が悪い。知りませんか? 水は電気分解出来る……この洞窟内で集めた水分は、純水ではなく様々なものが溶け込み、入り交じってますからね。氷になって形状が変わろうと同じ成分……電気を通します」
     ばちち、と弾けながらロキの腕に纏わりつく紫電の奔流の群れ。
    「例え貴方の方が魔力が上でも、これは書き換えられることではないですよ」
    「それはどうかな!?」
     互いの〈魔法術〉が真正面からぶつかり合う。凄まじい衝撃と轟音が辺りを揺らし、堪え切れなくなった岩壁が嫌な音と共に大きな罅を刻んだ。
    「ボス……無茶だ!! これ以上はここが崩れる!!」
     手の出しようがない他のメンバーを反対の通路へと逃がしながら、モシャスが声の限りに叫ぶ。彼自身止めに入りたくとも、その術がないのだろう。
     先の閃光との戦闘で、ダメージを蓄積していた地層だ。
     恐ろしい勢いでマナが消費され、限界を超えたエネルギー自身が暴発しかけている。もうこの洞窟は幾許も保たない。しかし、最早ロキと閃光しか眼中にないウォルフにはモシャスの声が届かないのか、全く聞く耳を持ってはくれなかった。
     このままでは崩れて来た岩盤の下敷きになってしまう。彼がいくら無類の強さを誇るとは言え、生身の生物だ。無事にはすむまい。
    「ボス……っ!!」
     モシャスの目の前で愛刀を振り被ったウォルフが、地を蹴りロキに躍りかかる。放出される〈魔法術〉の氷壁と、一際大きく身をくねらせた紫電の奔流が真面にぶつかった。鼓膜がイカれたのか、脳が轟音を拒否したのか、世界が容易く崩壊する気配――はやって来なかった。
     二人の間に割って入った影が一つ。
     ウォルフを庇うように背後からの一撃に身を晒したのは、
    「アレン……僕の邪魔をするのか? 一体何のつもりだ」
     己の身体を盾にして一太刀を阻んだ片腕に、ウォルフは珍しく牙を剥くような苛立ちの滲んだ表情を浮かべた。ぎりぎりと噛み締めた歯の隙間から、苦々しい吐息がこぼれる。
     完全修復には程遠いぼろぼろのこの男が、自らの意思や意見を主張したことは今までただの一度もない。例えウォルフがどんな無茶苦茶な要求をしたとしても、決して否とは言わず無理だとも言わず、目を伏せて「御意」とだけ答え、黙してその意に従って来た。
     それが望ましい〈機械化歩兵〉の在るべき姿であることを、アレンは誰より正確に理解していたし、ウォルフがその従順さと腕を買って己を傍に置き重宝していることを知っていたからだ。
     白い獣の紫暗の双眸に、吹き荒れる氷雪のように鋭い光が宿り、炯々と男の武骨な顔を見据える。怒りに触れた空気が震え上がり、アレンの肩口に食い込む細雪の刃を中心に軋んだ音を立てながらぴしぱしと凍りついた。
     多大な損害を与えながらなおもアレンの鋼の体躯を侵食して行く切っ先に、しかし斬り裂かれんとする当の本人はいつも通り顔色を変えることもなく眉一つ動かすでもなく、静かな口調で淡々と口を開いた。
    「ボス、貴方は……彼を殺すべきではない」


    →続く